一章第一節・黎明 灰より目覚めし者3
応接室の扉を開け、ゆったりとした足取りで中へ入る。
視線の先には、すでに席についているヴィクトリアの姿があった。
その表情に、どこか安堵の色が浮かんだ気がしたが──
軽く首を傾け、冗談めかして声をかける。
「一体どうしたの? わざわざ“記録に残る形式”で会談なんて。私たちに遠慮なんていらないでしょ?」
「……ここ数年、帝国国境で起きている小競り合い、気になってる?」
ヴィクトリアの声は低く、わずかに緊張を帯びていた。
「確かに最近の動きは急だね。西部、北部……各地で異変が増えてる。
戦線の再編や統合の話も耳に入ってきたよ」
アグニスは椅子に腰を下ろしながら、簡潔に言葉を継いだ。
「最近、“私たち”に対する視線が強まってきてるって話、聞いてない?」
「……視線って?」
「財務局筋。皇家軍が優秀すぎるんですって」
その一言に、アグニスは肩をすくめ、苦笑をこぼした。
「いつから褒め言葉が、皮肉になるようになったのか」
ヴィクトリアは視線を逸らさず、淡々と返す。
「少なくとも、私の部隊では皆が警戒してる。
任務に支障が出るほどじゃないけど──じわじわと、何かが仕掛けられてる。そんな不穏さがあるの」
アグニスは静かに頷いた。
胸の奥に沈んでいた違和感が、ようやく輪郭を得て、言葉になり始めていた。
「……冗談じゃない」
低くつぶやくその声に、ヴィクトリアは黙って頷いた。
「私たちの軍がどれだけ動いてるか、奴らはわかってるのかな」
熱を帯びた声が、思った以上に鋭くなっていた。
はっとして視線を落とす。
「……私ね、今日中に部隊へ戻るわ。勅命任務、西方。戦線の再編に関わってくるかも」
「勅命で?」
眉がわずかに動く。ヴェルディアにはまだ同様の命令は届いていない。
皇家同士で情報に時差があるなど、通常では考えにくい。
「分散か……いい思い出はないな。私たちが各地にばらばらに飛ばされたとき──
各自の偵察任務のはずが、結果は最悪だった」
ヴィクトリアも深く頷いた。
──そのとき、窓の外から、エリーナの笑い声が聞こえる。
翼竜の尾をくすぐりながら遊ぶその様子に、ふと遠い日がよみがえった。
「小さい頃、私たち4人で無断で翼竜を借りて、夜中に空へ出たこと……あったよね」
「……あったわね。今思えば、あれは無謀だった」
「私、ゲイルさんに死ぬほど怒られたよ」
「今では、その人、団長よ」
「……ほんとにね」
笑いがこぼれ、空気が少し和らぐ。
けれど、胸の奥に、かすかな疼きが走った。懐かしくて──どこか、苦い記憶。
──もうひとり、かつてその輪の中にいた。
リュカ・ヴェルディア。
アグニスの兄。
誰よりも真面目で、誰よりも人のために動いた人。
彼は、ある日──帰らぬ人となった。