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第三章:壁の中の囁き



エリーゼがフロストウッド屋敷に到着してから一週間が過ぎた。広大な屋敷での新しい生活に徐々に慣れ始めていた彼女だったが、この場所には何か言葉では説明できない不思議な雰囲気があった。


「おはようございます、公爵夫人様」エルナは朝食のトレイを持って寝室に入ってきた。「今日はよく晴れています。窓から見える山々が特に美しいですよ」


「ありがとう、エルナ」エリーゼはベッドから起き上がり、窓辺に歩み寄った。雪を頂いた山々が朝日に照らされて輝いていた。「本当に美しいわ」


朝食を取りながら、エリーゼは一日の予定を考えていた。「今日は図書室を整理しようと思うの。あの部屋には興味深い本がたくさんありそうだわ」


「図書室ですか?」エルナの表情が一瞬こわばった。「あの部屋は長年使われていませんので、埃だらけです。私たちが先に掃除いたしましょう」


「いいえ、自分でやってみたいの」エリーゼは微笑んだ。「少し手伝ってくれるだけで十分よ」


朝食後、エリーゼは図書室に向かった。屋敷の西翼にある広い部屋は、床から天井まで本棚が並び、中央には大きな木製の机が置かれていた。窓からは庭と遠くの湖が見えた。


「驚くほど本があるわね」エリーゼは感嘆した。「何年も開かれていないとは思えないほど保存状態がいいわ」


エルナはためらいがちに言った。「この部屋だけは、何か特別なのです。埃も少なく、湿気もありません。屋敷の中でも不思議な場所の一つです」


エリーゼは本棚に近づき、指を本の背に滑らせた。すると突然、彼女の指先から小さな青い火花が飛んだ。


「あっ!」彼女は驚いて手を引っ込めた。


「どうされましたか?」エルナが心配そうに尋ねた。


「いいえ、何でもないわ」エリーゼは混乱しながらも答えた。「静電気かしら」


エルナは少し落ち着かない様子だったが、掃除道具を持ってきて手伝い始めた。二人が働いている間、エリーゼは奇妙な感覚を抱き続けていた。まるで部屋が彼女を観察しているかのような…そして本たちが彼女に何かを伝えようとしているかのような感覚だった。


午後、エリーゼは一人で本を整理していた。彼女は手に取った古い本のページをめくっていると、特定のページに引き寄せられるように感じた。そこには「星の力と魔法の覚醒」と題された章があった。


「魔力は血の中に眠り、時に何世代にもわたって隠れることがある。しかし適切な場所、適切な時に、適切な人の中で再び目覚めることがある…」


エリーゼは夢中でページを読み進めた。本によれば、魔法の才能は時に外的な刺激によって目覚めることがあるという。特に強い魔力が宿る場所では、眠っていた才能が活性化する可能性があるとのことだった。


「公爵夫人様」


突然の声にエリーゼは飛び上がった。振り返ると、庭師のトーマスが立っていた。老齢だが背筋の伸びた、穏やかな表情の男性だった。


「失礼しました、驚かせてしまって」トーマスは頭を下げた。「エルナから、公爵夫人様が図書室にいらっしゃると聞きました。庭の花について相談があるのですが」


「ええ、どうぞ」エリーゼは本を閉じた。


「屋敷の庭に咲く青い花、氷の星と呼ばれるものですが、通常この季節には咲かないはずなのです。しかし、公爵夫人様がいらしてから、一斉に咲き始めました」


「私が来てから?」エリーゼは驚いた。「それは…偶然でしょう」


トーマスは静かに首を振った。「この屋敷には偶然などありません、公爵夫人様。すべてには意味があります」


彼の言葉は謎めいていたが、エリーゼは不思議と理解できた気がした。「その花を見せてもらえますか?」


庭に出ると、確かに青い小さな花が咲き乱れていた。雪解けの水たまりの周りに集中して咲き、その姿は星のようだった。


「美しいわ」エリーゼは息を呑んだ。彼女が花に近づくと、不思議なことに花々が彼女の方に向かって少し傾いたように見えた。


「花があなたを認識しています」トーマスは静かに言った。「フロストウッド屋敷が、あなたを選んだのです」


「私を?何のために?」


トーマスは神秘的な笑みを浮かべた。「それは、あなた自身が見つける答えです」


夕食後、エリーゼは寝室に戻った。窓の外では、月が雪原を照らし、幻想的な光景を作り出していた。彼女はベッドに横たわり、今日の出来事を思い返していた。


突然、壁の向こうから小さな音が聞こえた。まるで誰かが話しているような…しかし言葉ではなく、風のような、水のような音だった。


エリーゼは静かに起き上がり、壁に耳を当てた。確かに何かが聞こえる。彼女は部屋を出て、音の方向へと進んだ。


廊下を歩いていると、不思議なことに床のランプが彼女の前で次々と明るくなっていった。まるで彼女を導くかのように。


音は彼女を小さな塔の階段へと導いた。屋敷の地図で見た記憶では、ここは「星見の塔」と呼ばれる場所だった。階段を上ると、円形の小さな部屋があり、天井には大きなガラス窓が設置されていて、星空が見えた。


部屋の中央には、台座の上に青く光る水晶が置かれていた。エリーゼがそれに近づくと、水晶はより明るく輝き始めた。


「これは何?」彼女は息を呑んだ。


「星の欠片です」


声に驚いて振り返ると、エルナが立っていた。


「公爵夫人様、この塔に来られるとは思っていました」エルナは静かに言った。「水晶があなたを呼んだのです」


「私を呼んだ?どういう意味?」


エルナは部屋に入り、水晶の近くに立った。「この水晶は、約三百年前に空から落ちた星の欠片だと言われています。エドガー公爵がこの地に屋敷を建てたのも、この星の力を守るためだったのです」


「本で読んだ『星の落ちた夜』の伝説…」エリーゼは呟いた。


「そうです。この水晶には特別な力があり、魔法の才能を持つ者だけがその力を感じることができます」エルナは意味深な視線をエリーゼに向けた。「公爵家の血筋には強い魔法の才能がありましたが、近年は眠っていました。しかし…」


「しかし?」


「時に、新しい血が加わることで、眠っていた力が再び目覚めることがあります」エルナはエリーゼの手を取った。「あなたの中に何か感じませんか?何か変わったこと、不思議な出来事は?」


エリーゼは図書室での青い火花のこと、花が彼女に反応したことを思い出した。「少し…奇妙なことが起きています」


「それは始まりに過ぎません」エルナは微笑んだ。「フロストウッド屋敷は、あなたの中に眠る才能を感じたのです。だからこそ、壁の中から話しかけてきた。古い魔法があなたを呼んでいるのです」


エリーゼは水晶を見つめた。青い光が彼女の顔を照らし、不思議と心が落ち着くのを感じた。


「では、これからどうすればいいの?」


「まずは耳を傾けることです」エルナは静かに答えた。「屋敷が、水晶が、そして古い魔法があなたに語りかけるでしょう。それを恐れず、受け入れてください」


その夜、エリーゼは不思議な夢を見た。彼女は青い光に包まれ、空を飛んでいた。そして遠くから、優しく彼女の名を呼ぶ声が聞こえた…


朝、目覚めたエリーゼは、枕元に一輪の氷の星の花が置かれているのを見つけた。しかし、昨夜は誰も彼女の部屋に入った様子はなかった。


窓の外を見ると、庭には青い花がさらに増えていた。そして不思議なことに、彼女自身も昨日よりも元気で、体の中に温かいエネルギーが流れているのを感じた。


エリーゼは深く息を吸い込んだ。「始まったのね…」彼女は小さく呟いた。「私の新しい人生が」


彼女はまだ知らなかった。この変化が彼女をどこへ導くのか、そしてどれほどの力が彼女の中に眠っているのかを。ただわかっていたのは、フロストウッド屋敷での生活が、彼女の想像をはるかに超えるものになるということだけだった。

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