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第二章:北への旅



馬車が揺れる度に、エリーゼの心も揺れた。首都を出発してから既に半日が過ぎ、景色は次第に変わっていった。華やかな都の建物は後方に遠ざかり、代わりに広大な平原と点在する小さな村々が窓の外に広がっていた。


「公爵夫人様、そろそろ昼食の時間です」御者のホーキンスが馬車の窓から声をかけた。「前方に小さな宿があります。休憩しましょうか?」


「ええ、お願いします」エリーゼは応えた。長時間の旅で体は疲れ始めていた。


小さな宿は、道路沿いにひっそりと佇んでいた。「銀の鹿亭」という名の宿は、思ったよりも清潔で心地良い場所だった。エリーゼが席に着くと、宿の女主人が駆け寄ってきた。


「まあ、貴族のお方が!」彼女は驚いた様子で言った。「何かお手伝いできることはございますか?」


「昼食と少しの休憩だけで結構です」エリーゼは優しく微笑んだ。


しばらくすると、温かいスープとパン、チーズが運ばれてきた。エリーゼは美味しく食事を取りながら、周囲の会話に耳を傾けた。


「フロストウッドの方角で、また青い光が見えたそうだ」と誰かが言っていた。


「あの屋敷には近づかない方がいい。魔力が満ちているというからな」


エリーゼは思わず聞き耳を立てた。フロストウッド屋敷について話しているのだろうか。レイモンドが言及した「奇妙な噂」の一つかもしれない。


食事を終え、宿の女主人に声をかけた。「北の方角、フロストウッドについてお話されていましたね。何か特別なことがあるのですか?」


女主人は一瞬ためらった後、声を潜めて言った。「あの地には古い力が眠っていると言われています。フロストウッド屋敷は魔法使いが建てたもので、今でも時々不思議な光や音が聞こえるとか…」彼女は急に我に返ったように慌てた。「ただの迷信ですよ、お客様。気にしないでください」


エリーゼは静かに頷いた。「ありがとう。とても興味深い話です」


旅は再開され、馬車は北へと進んだ。日が傾き始めると、空気は冷たくなり、景色も変わっていった。豊かな農地は次第に姿を消し、代わりに広大な森林地帯が現れ始めた。


「今夜は森の中の宿場町で一泊します」ホーキンスが告げた。「明日の夕方には、フロストウッド屋敷に到着する予定です」


夕暮れ時、馬車は小さな宿場町に到着した。「凍える月の宿」という名の旅籠は、首都の豪華な邸宅とは比べものにならなかったが、暖炉の火が温かく、地元の料理も素朴ながら美味しかった。


部屋に案内されたエリーゼは、少し休んだ後、宿の小さな書斎に足を運んだ。そこには北方の地域に関する古い本が数冊置かれていた。彼女は一冊を手に取り、ページをめくり始めた。


『北方霊山記』と題された本には、この地域の伝説や民話が記されていた。特に目を引いたのは、「星の落ちた夜」についての記述だった。


「約三百年前、空から星が落ち、その場所に強い魔力が宿った。霊山と呼ばれるその場所では、時折不思議な現象が起こり、特別な才能を持つ者だけがその力を感じることができるという…」


エリーゼは思わず息を呑んだ。三百年前というと、フロストウッド屋敷が建てられた時期と一致する。偶然だろうか?


「公爵夫人様、お休みになられますか?」宿の女中が声をかけてきた。


「ええ、そうするわ」エリーゼは本を閉じ、部屋に戻った。


窓から見える月は、首都で見るよりも大きく明るく感じられた。エリーゼは窓辺に立ち、静かに夜空を見上げた。明日には新しい家に到着する。そこで彼女はどんな生活を送ることになるのだろう。


夜が深まり、エリーゼは眠りについた。その夢の中で、彼女は青い光に包まれた森の中を歩いていた。そして遠くから、誰かが彼女の名を呼ぶ声が聞こえた…


朝日とともに目覚めたエリーゼは、不思議な夢の記憶を頭の片隅に残したまま、旅の準備を始めた。朝食を取った後、馬車は再び北へと進んだ。


時間が経つにつれ、風景はさらに荒々しくなった。森はより濃く、道はより険しくなり、時々雪の名残が見られるようになった。空気は冷たく澄んでおり、エリーゼの息は白く霧となって消えていった。


「もうすぐフロストウッド領に入ります」ホーキンスが告げた。「あの丘を越えると見えてくるでしょう」


丘を越えると、突然視界が開け、壮大な景色が広がった。雪を頂いた山々、深い緑の森、そして遠くには凍った湖が輝いていた。そしてその風景の中に、一つの建物が佇んでいた。


フロストウッド屋敷。


灰色の石造りの建物は、周囲の自然と調和しながらも、威厳を放っていた。高い塔、広い窓、緻密な装飾が特徴的だった。


「あれが…私の新しい家…」エリーゼは呟いた。


馬車が近づくにつれ、屋敷の詳細が見えてきた。玄関には氷の結晶のような模様が彫られ、窓には青みがかった特殊なガラスが使われていた。そして不思議なことに、屋敷の周囲には雪が残っているにもかかわらず、庭には花が咲いていた。


「変わった屋敷ですね」エリーゼは思わず言った。


「ええ」ホーキンスは緊張した様子で応えた。「フロストウッド屋敷は特別だと言われています。何世代も前から、魔法の気配が残っているとか…」


馬車が屋敷の前に停まると、数人の使用人が出迎えに現れた。彼らは明らかに彼女の到着を待っていたようだった。


先頭に立つ年配の女性が一歩前に出た。「公爵夫人様、ようこそフロストウッド屋敷へ。私は家政婦のエルナです。皆、公爵夫人様のお越しを心待ちにしておりました」


エリーゼは馬車から降り、深く息を吸い込んだ。空気は冷たく清々しく、どこか不思議な香りがした。彼女の周りでは、わずかに風が吹き、花々が揺れた。


「ようこそ、公爵夫人様」と、エルナは再び言った。「お部屋の準備は整っております。どうぞお中へ」


エリーゼが屋敷の玄関に足を踏み入れた瞬間、彼女は奇妙な感覚に包まれた。まるで屋敷自体が彼女の存在を認識し、歓迎しているかのようだった。温かい風が彼女の周りを囲み、そして一瞬、廊下の燭台の火が明るく燃え上がった。


「奇妙ね…」エリーゼは小さく呟いた。


「何かおっしゃいましたか、公爵夫人様?」エルナが尋ねた。


「いいえ、何でもないわ」エリーゼは微笑んだ。「この屋敷を案内してもらえますか?」


エリーゼは知らなかった。彼女の到着とともに、長い間眠っていた力が再び目覚め始めたことを。フロストウッド屋敷の壁の中で、古い魔法が動き始めたことを。


そして彼女自身の中でも、何かが変わり始めていることを。

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