第5話「最後まで折れない奴が一番怖い」
※
遠い存在だと思っていた姫野先輩の中には、すでに『木ノ下敦也』という枠があって、物理的にも近かった。
俺は先輩と色違いで買ったリストバンドを眺めながら一考した。
もしかして姫野先輩、俺の事好きなんじゃね?!
……と。
普通、好きでもない男子と二人で出掛けるかね?
心底なんとも思ってないのなら分からなくもないけど、先輩の中に俺はある。心底なんとも思ってないということはないだろう。
「ワンチャン……ある……っ!」
いや、ニチャンくらいの可能性である……!
二階の俺の部屋の窓からは、先輩の家の明かりが見える。
……今日もポニーテール可愛かったな……。
※
部内戦二回戦。
俺の相手は二年生の夏冬春秋先輩。前回の部内戦では二年生トップの成績。
一ゲーム目のサーブ権を奪われた俺は、事前の戦略通りベースラインより前に立った。
「へぇ」
「……!」
俺の様子を見て不敵に笑う夏冬先輩はボールを振り上げる。俺はそっと、左手首にはめたリストバンドに触れる。
事前に練った戦略では、まず、夏冬先輩はファーストサーブを強烈なフラット、セカンドサーブをスピンサーブで打ってくることが多い。
「ふッ!」
「────ッ!」
夏冬先輩が打った瞬間、俺はボールの軌道を読みつつ前へ踏み出す。
強烈なサーブだからこそ、前に出て推進力を足し、ラケットを振る。
つまり、速攻────!
「くっ────!」
夏冬先輩もすぐに俺の速攻に気付いて動き出す。
この場合、オープンスペースになるのは、夏冬先輩がサーブを打った地点。
「マ……ジか!」
だが俺はフォアサイド────先輩のバックサイド────を打ち抜いた。
夏冬先輩は、俺が打つより先に打たれるであろうオープンスペースに足を向けていた。彼の経験値からそう感じ取ったのだろう。
「そこまで読んでくるとは大したもんだよ敦也」
「ありがとうございます」
だからこその正面。
読んで、読まれて、読み返す。
テニスは腕や脚だけでするものじゃない。頭も常にフル稼働させなければ勝てない。
「負ける気は一切ないんで」
「おう。俺も譲る気ねぇよ」
見てて下さい姫野先輩。俺、絶対負けません。
────試合は進み、ゲームカウントと2-1なり、俺がリードしていた。
しかしコートチェンジ後、俺は衝撃の光景を見る。
「なっ……!」
「どうした敦也。交換されるのは初めてか?」
その反応を待っていた、と言わんばかりの笑みを浮かべる夏冬先輩。
流石はテニス強豪校の部内戦で上位に入る腕の持ち主。やることがひと味もふた味も違う。
「ラケット交換……ですか」
「あぁ、認めたくないが劣勢なんでな」
冗談を、と俺は苦笑いする。
確かにゲームカウントではリードしているが、試合の内容を見てみれば、夏冬先輩のポイントは俺のミスによるものばかり。……いや、ミスを誘発させられていると考えるべきだな。
「さて、始めようぜ敦也」
「っ……! はい!」
サーブ権は俺。
どんなボールになって返ってくるかわからない以上、ここは様子見のスピンサーブ……?
いや、夏冬先輩ならばそこまで読んでくるに違いない。ならフラットサーブ────!
「ふッ!」
その瞬間、夏冬先輩は大きく前に踏み込んだ。それは、俺が一ポイント目でしたことと同じ速攻。
ヤバい、来る……! どっちに……?!
思考を加速させ、動きから弾道を予測する。
右サイドか左サイド、どっちに打ってくる……!
「ふっ」
「……!」
目線が一瞬右に寄った!
右かッ!
パコンッ!
「なっ……!」
夏冬先輩のリターンは、俺が走り出したと同時、左サイドを走り抜けた。
右に目を向けたのはブラフか……!
「覚悟しろよ敦也、ここからは経験の差が出るぞ」
「……はいっ!」
試合は進み、ゲームカウントは3-4。ついに追い抜かれてしまった。
流石は前回部内戦上位の夏冬先輩。一筋縄じゃいかないよな。
ベンチで水分を摂り、荒くなった息を整える。
今は完全に夏冬先輩の流れ。このままいけば俺は二回戦敗退となり、姫野先輩とミックスダブルスで出れる可能性が遠のく。
「ふぅー……」
落ち着け。落ち着くんだ。
確かに劣勢だがプレイ内容は悪くない。むしろ先程よりも良い動きが出来ている気がする。しかしそれでも夏冬先輩はさらに上をいっている。
「そろそろ始めていいか?」
「は、はいっ!」
夏冬先輩に声を掛けられ俺は慌ててコートに戻る。先輩のサーブ。だけど、最初にやったような速攻技は通じない。
なら今は────
「ふッ!」
「くっ!」
俺は夏冬先輩のフラットサーブを速度の遅い緩やかなボールでリターンした。
※
小鳥遊心は順調に部内戦を勝ち抜き、準々決勝進出を決めていた。今日の試合はもう無く、準々決勝は明日となる。
暇を持て余していた心は、心の赴くままに敦也の試合を眺めていた。
「ありゃりゃ、追い越されてらー」
「まあ無理もない。相手は前回部内戦二位の夏冬先輩だよ。入ったばっかの新人が勝てる相手じゃない」
心の言葉に大賀が答えた。
「随分辛辣だね。もっと応援してあげなよ」
「俺がいつ負けろって言ったよ。負けるわけないだろあのテニス馬鹿が」
「…………ぷぷっ」
「なんだよ」
心は大賀の言葉を聞いて思わず吹き出す。
「いやぁ……」
「なんだよ?」
「言っても怒らない?」
「怒らない」
「熱血部活ラブコメのキャラにでもなったつもりですかー? 流石にキモイんですけどー」
「こんにゃろう……」
今の敦也と大賀が勝負したところで、敦也は大賀に一ゲーム取るので精一杯だろう。しかし……
「アイツにとって今は見定めタイムなんだろうな。流されないよう食らいつきつつ、夏冬先輩のプレイを分析しているんだと思う」
「あの敦也がそんなことできる? 私にはただ必死なだけに見えるけど」
「いいや……」と大賀は心の考えを否定する。
「フットワークを見てみろ。敦也の移動している範囲と夏冬先輩が移動している範囲。最初は敦也の方が大きかったが、徐々に夏冬先輩の方が振られるようになってきている」
「敦也が、動かしてる……!」
テニスとは、ボールの主導権の取り合いだ。
敦也が夏冬将を振るようになったこと、それは────
「主導権が、流れが敦也に向いた……?」
「そういうことだな」
敦也は主導権を握り返し、ゲームカウント4-4へ。
「勝負事はなんでもそうだが、勝つ時って大体、結果が出るより先に相手が折れているんだ。お前だって、見るからに格上とやる時は少しくらい不安になるだろ?」
「ま、まぁまね……」
「でも敦也は違う」と続ける。
「アイツは格上だろうが、なんだろうが絶対に折れない。折れない心を持っている。 いや、テニス馬鹿過ぎてわかんないのかも」
「…………」
「昔から言うだろ?」
大賀は、何かを確信しているかのような目で敦也を見つめる。
「最後まで折れない奴が一番怖い、って」
第5話でした!
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