ヴォラレウス
腹の底に響くような男の声がしたため、ジェノコアは身を起こして声の正体を確かめる。
そこには背中から昆虫のような羽が生えている巨大な男が、庭の中央で仁王立ちしていた。
「……おまえはヴォラレウス! 私を邪魔立てするのか?」
「邪魔などしておらん。だがな、ここまで現実の世界に干渉するは戒律違反だと申しておるのだ」
「黙れっ! おまえは悪しき感情が満たされぬ世界に嫉妬しているのだろう? 己の養分が足りないから、私を恨んでいるのだ」
ヴォラレウスと呼ばれた男は、ジェノコアの話を聞くと苦笑いを浮かべる。
「……どうやら誤解しているようだな。我はあくまで戒律違反だと指摘したまでだ。この世界での貴公の影響力は十分理解しておるし、それを阻害するつもりもない」
そう言うと、ヴォラレウスはマリーを肩に担ぐ。
「何処へ連れて行く? その娘は私の得物だ!」
「貴公は少し箍が外れているようだ。ダイロスのような小国で勃発する紛争への誘導は大目に見てやるが、いずれは大国同士の争いにまで発展した場合、貴公にはそれなりの裁きを受けてもらう必要がある。ようは調子に乗るなという意味だよ」
「ぐっ……!」
「それから、このマリーという娘だけでなく、イシュクワも人質に取る」
「なんだと! それは認められんぞ!」
「文句があるなら力ずくで我から奪え」
見ると、ヴォラレウスの右肩にはマリーが担がれ、反対の左肩に気を失ったイシュクワが現れた。
二人の存在を確認すると、ヴォラレウスは空高く飛翔し、月夜の闇の中へと消える。
ジェノコアは空を見上げながら強く唇を噛み、その傷口から一筋の血が流れ落ちた。
飛翔したヴォラレウスの向かった先は郊外にある廃城であり、その廃城の庭へ舞い降りると、担いでいたマリーとイシュクワを肩から地面に下ろした。
そしてヴォラレウスは近くの井戸で水を汲み、その水をマリーへ思い切りぶっ掛ける。
「わっわっ! 何? 何が起こったの?」
「……目を覚ましたか」
マリーはすぐ傍にいる巨大な男の存在に気が付き、思わず体を強張らせる。
「あんた誰?」
「我の名はヴォラレウスだ。おまえたちが悪しき者と呼ぶ、幻異界の刺客である」
ヴォラレウスの言葉を聞いて、マリーは咄嗟に後ろに下がって臨戦態勢に入る。
「何をしている? 我は襲うつもりはないぞ。それに、拳一つで戦いを挑むなど愚かにもほどがある」
「だってあんた、悪しき者の刺客でしょ? 私を殺すことが目的なんじゃないの?」
「確かにそうだが、今はその時ではない。まずは落ち着いて我の話を聞け」
ヴォラレウスは懐から何か取り出し、それをマリーの前に投げ捨てる。
見ると、それはマリーの愛刀であり海斗の愛刀でもある『兼佐陀・紫電』だった。
「穂積海斗……いや、今はマリーか。おまえは銃も持っていたはずだが、あれはどうした?」
「あれは……多分、時代にそぐわないから、メモヴェルスが再現できなかったのかも」
「ふむ、そうか。では日本刀だけで実戦を磨けば良い」
そう言うと、ヴォラレウスは地面に落ちていた小枝を拾って、その場でブンブンと振り回した。
「これをその日本刀で受けてみよ」
「……へ?」
するとヴォラレウスは小枝を持って大きく振り被り、そのままマリーの頭を目掛けて打ち下ろした。
マリーは言われた通り、日本刀で小枝を受け止めようとする。
――ガキィィィン!
刀身と小枝が交わった時、凄まじい衝撃がマリーの全身に伝わり、日本刀を握っていた手を思わず離してしまう。
マリーはあまりの痛みで意識が飛びそうになり、額から大量の汗を流しながらしばらく沈黙する。
「……これを1万回ほど受けて貰うぞ。おまえの力が目覚めるまでな」




