国家の消滅
――そして一週間後。
イシュクワは学士院を休み、勉強部屋に籠っていた。
父親の思想にショックを受けてしまい、誰とも会いたくなかったからだ。
ウルタール家の繁栄のため、他人を犠牲にしてまで富を得たいとは到底思えず、あの冷酷な言動にはさすがのイシュクワも吐き気を催すものがあった。
その時、コンコンと窓を叩く音がする。
イシュクワは訝し気に窓へ近付くと、マリーがひょっこりと顔を出した。
「まあマリー、ここまで登って来たのですか?」
「そうだよ~、借りた本を返そうと思ってさ」
「下で執事の者に渡せば良かったのに。この高さを登るなんて危ないでしょ」
「聞いたけど学士院を一週間も休んでるんだって? なんか心配だから様子を見に来たんだけど」
「ええ……まあ……でも来週には登校しようと思ってるよ」
「そっか、良かった! 顔色を見ても元気そうだし、また一緒に散歩しながらお話でもしよう」
すると、イシュクワの背後で勉強部屋のドアをノックする音が鳴り、「何をしているイシュクワ? 入るぞ」というジェノコアの声が聞こえた。
「は、はい! 今、ドアを開けます」
イシュクワは慌ててドアの鍵を開け、ジェノコアを部屋の中に招き入れる。
「……他の者の声が聞こえたような気がしたが、私の聞き間違いか?」
イシュクワが振り返ると、窓の傍にいたマリーの姿はすでに消えていた。
「い、いえ……誰もいません」
「そうか。おまえもこの一週間、勉強部屋に籠りっきりだと執事から聞いているぞ。私の話にショックを受けたのか?」
「…………」
イシュクワは黙ってしまう。
あの一連の出来事の後、母親3人を撃った男の子は軍に捕縛されたが、ジェノコアが救いの手を差し伸べることはなかった。
正直なところ、自分の父親が何を考えているか分からない時がある。
代々の当主も同じように冷淡な性格で、ウルタール家が呪われた血族なのかと思うと、イシュクワも胸中穏やかではない想いが芽生え始めていた。
「答えたくないならまあ良い。今日はおまえに見せたいものがある」
「……今度はなんでしょうか?」
「私の働いている姿を見て欲しい。議会で重要な決定事項があるのでな。議場の隣に休憩室があるから、そこで本会議の内容を聞いておくといい」
「何故? 私は政治に関わるつもりはないです」
「おまえにとっても他人事ではない話だからだ。今日でこの国の行く末が決まる。歴史的な瞬間に立ち会えるのだから、経験しておくと良いと思ってな」
――イシュクワの眉間に深い皺が寄ったが、ジェノコアにいくら抵抗しても無駄なことを知っているため、了承せざるを得なかった。
そして二人は正装に着替え、国家中央議場へと向かう。
イシュクワは議場の隣にある休憩室に通されると、誰もいない部屋に一人で椅子に座り、本会議が始まるのを待った。
……1時間後、大勢の足音が廊下から聞こえ、続々と高官たちが議場へ集まって来るのをイシュクワは察した。
幼い頃に本会議が行われている様子を見たが、巨大な円卓に30人ほどの高官たちが座り、お互いに向き合いながら激しい議論を交わしていた。
ジェノコアのディベートは優秀で、彼の一声で場内の雰囲気が変わることもある。
だが、隣から聞こえて来た会議の内容は、そのジェノコアを糾弾するものだった。
「我がダイロスを陥れる気かジェノコア! 聞けば貴殿は近隣諸国の者と結託し、互いに戦争を起こそうと画策しているという噂もある」
「……あくまで噂の範疇に過ぎませんな。証拠を見せていただきたい」
「ウルタール家は過去に武器商人だった経歴もある。他の国の灰色人種も国家に忠誠を誓っている素振りを見せているが、その内情は裏で戦争を起こし、武器を売った巨万の富を組織内で分配すると耳にした」
「それも噂の範疇だ。憶測で物事を判断するのは、いささか無粋だとは思いませんか?」
「どうだかな! 少なくとも、貴殿が高官の職に就いた過去より、この国はいらぬ戦争に巻き込まれてばかりいる。今回の近隣諸国との対立も不自然極まりなく、下手をすればダイロスが消滅することになり兼ねない!」
「私の愛国心は本物である。だが、その心情が伝わらないのであれば……」
ジェノコアは椅子から立ち上がり、議場を出て行こうとする。
「貴方たちだけで国家の行く末を決めるといい。私は退席させていただく」
……そう言葉を残すと、ジェノコアは議場を退室した。
「お父様!」
ジェノコアは廊下に出ると、イシュクワが休憩室を飛び出して彼に駆け寄った。
「狼狽えるなイシュクワ。議会では良くあることだ」
「まさか国内で戦争が起きるのですか?」
「その一歩手前だった。だが話を聞いて分かったと思うが、私の意見は通らずに近隣諸国と同盟を結ぶことになるだろう。強国に挟まれた弱小国としては、賢明な判断だと言えるな」
ジェノコアはイシュクワの頭を撫で、優しい目をして微笑みを浮かべる。
「……ではイシュクワよ、ちょっとした魔法を見せよう」
「魔法?」
「そうだ、魔法だよ」
そう言うとジェノコアは背を向け、再び議場の扉に手を掛ける。
そして左手を上げ、パチンと指を鳴らした。
すると議場から盛大な拍手が聞こえ、その合図と共にジェノコアは扉を開けて中へと入った。
「素晴らしいぞジェノコア! 貴殿こそが愛国者だ」
「皆と共に戦って後世まで語ろうではないか! この国は誰にも渡さない!」
「ダイロスに栄光の歴史を刻もう。腐敗した強国に抗う国家として!」
議場から聞こえて来たのは、ジェノコアを賛美する声だった。
イシュクワは何が起こったのか分からず、ゆっくりと閉まる扉をただ見つめていた。




