ウルタール家
鳥が鳴く声が聞こえたため、イシュクワ・ウルタールは眠りから目覚めた。
ロココ様式の机にあるベルを鳴らすと、執事がドアを開けて部屋の中に入り、配膳台に用意した紅茶をイシュクワに差し出す。
「良いお天気ですよイシュクワ様。今日は外を散歩されてはいかかですか?」
「本当に良い天気ねロイル。友達と一緒に国立公園を歩こうかな」
イシュクワは出された紅茶を一口啜る。
「お父様の今日のご予定は?」
「本日は政務のご予定はないようなので、自室に籠って人体の研究に勤しむかと」
「また解剖学ですか? 私は嫌いよ、あの学問は野蛮だわ」
「ははは、確かに死体を解剖するのは少し残酷かもしれませんね」
そう言うと、執事のロイルは飲み終わった紅茶のカップを配膳台に戻し、イシュクワに一礼して部屋を出て行った。
しばらくイシュクワは、窓から外の景色を眺めて物思いに耽る。
(……今日も平和ね。お父様のご政務が順調な証拠だわ。ウルタール家の繁栄も永遠に続けばいいのに)
――イシュクワはウルタール家の長女で、ジェノコア・ウルタールの一人娘である。
母親はイシュクワが幼い頃に亡くなっているため、ジェノコアは一人で彼女を育て、ウルタール家を継ぐ者として相応しい教養を身に付けさせた。
通う学校もダイロス共和国の最古となる学士院であり、イシュクワはそこで医学や科学などを率先して学んだ。
自分は建築学を専攻したかったのだが、ジェノコアに「建造物ならいつでも窓から眺められるではないか」と窘められたため、泣きながら断念した過去がある。
その思い出のためか、イシュクワの勉強部屋は共和国の街を一望できる場所にあり、新古典主義に向かう少し手前、ロココ様式が色濃く残る建造物の数々を鑑賞することができる。
――そしてイシュクワは着替えてその勉強部屋へ向かうと、机の上に置いてあった医学書を手に取り、パラパラと捲って見せた。
ウルタール家は代々医学を専攻している者が多く、イシュクワも父親の強制により学士院で医学を学んだが、将来医療に従事する自分の姿が想像できず、なんのために学んでいるのか分からない日々が続いていた。
……その時、窓ガラスにコツンと小石が当たる音が聞こえたため、イシュクワは首を傾げながら窓を開けて顔を出す。
「イシュクワ! 下だよ下!」
イシュクワは下を見ると、友人のマリ―・カミュが顔を上げてこちらを見ていた。
「マリー、どうしたの? 今日は学士院がお休みの日じゃなかった?」
「うん知ってるよ。あのさ、イシュクワの勉強部屋にモリエールの著作って置いてなかったっけ? それを今日は借りたいんだけど」
マリーにそう言われたため、イシュクワは書棚を探してモリエールの本を手に取る。
「あったよ、これでしょ」
「そうそうそれそれ! お願い、今日一日だけ貸して欲しいな」
「読んでないから一週間でも貸してあげるよ。そっちに持って行こうか?」
「そこから落としてくれて大丈夫。ちゃんとキャッチするから!」
イシュクワは窓から本を落とすと、マリーは下で上手くキャッチした。
「ありがとう! 助かったよ」
「あっマリー、今日は一緒に国立公園でお散歩しない?」
「ごめ~ん、今日は無理かな。課題を明日提出しないと怒られちゃうんだ。この埋め合わせはきっとするから!」
「うん分かった。課題、頑張ってね」
マリーは手を振りながら街の方向へと走り去った。
その後ろ姿を見ていたイシュクワは思わず吹き出してしまう。
(相変わらず元気だなぁ。自分の夢を追っている人は輝いてる感じがする)
マリーはイシュクワとは違い、畑違いの演劇学を専攻している。
また両親の家が裕福なので、冒険家として様々な航海も経験しているという異色の経歴があった。
箱入り娘のイシュクワにとってマリーは羨望の的であり、学ぶ場所は違えどお互いに才能を認めているため、不思議と馬が合って仲良くなった。
(また色々とお話が聞きたいな。半年前、西の航海を終えて帰って来たらしいし)
イシュクワは窓をそっと閉じて、再び机の椅子に座って自習を始めたが、背後で部屋のドアが開き、執事のロイルが顔を覗かせてイシュクワにこう告げた。
「イシュクワ様、旦那様がお呼びしております」




