那波の時代
――メフィストが語る内容はこうだ。
この世のはじまりは穏やかな海のようで、乱れのない波が揺れる世界だったという。
だがその波に歪が生じ、『はじまりの世界』は呆気なく終わりを迎えてしまった。
何故、歪が生まれてしまったのか?
その原因は諸説あるが、どうやら波の中に【意識】というものが芽生えたらしく、その意識が『原初の者』たちを創造した。
「原初の者たち……」
その名前なら覚えている。
原初の者たちはやがて『善き者』と『悪しき者』に分かれ、幻異界を支配する存在になったとクライザーレから聞かされた。
今の混沌とした幻異界とは対照的に、その原初の者たちも、はじまりの世界に肩を並べるほど穏やかな世界を創造したらしい。
また、原初の者たちは言葉がなくとも互いに意思疎通ができるため、最初の頃は争いも起こらず、永遠の平和が続くと思われていた。
――しかしながら、原初の者たちはある不安に苛まれてしまう。
はじまりの世界でさえ壊れたのだ、いずれは自分たちが創造した世界をも消えてしまうのではないかと。
「原初の者たちでさえ克服できない恐怖があったのです」
「克服できない恐怖?」
「それは【喪失】の恐怖ですよ。人間はもちろん、神でさえ克服できない原初の恐怖と言えるでしょう」
メフィストはそう言った。
つまりは自分たちの創造した世界がすべて失われる恐怖。
穏やかで調和の取れた世界でも、少しの乱れが生じれば滅亡してしまう恐怖。
完璧であったはじまりの世界でさえ滅んだ事実が、原初の者たちを常に苦しめたのだ。
「この平穏な『はじまりの世界』と『原初の者たちの世界』を、我々は『那波の時代』と名付けました」
「ななみ……」
「その那波の時代に生きた原初の者たちは、喪失への恐怖を克服するため、ある答えを導き出したのです」
それなら最初から歪で乱れた存在を創造してしまおう。
明確な意識が淀みのように残れば、永遠に世界が失われることはない。
意識は感情の起伏から生じ、その振り幅が大きいほど鮮明となる。
善悪の判断も一貫せず矛盾だらけ。
常に対立の歴史を繰り返す。
言語はバラバラで意思疎通すら満足にできない。
「それが人の子……つまり人間です。あなたが創造し、この世に送り出しました」
メフィストは俺を指差してそう言ったが、話はまだ続く。
やがて原初の者たちは、人間が持つポジティブな感情とネガティブな感情を喰らい続け、それらを偏って好む者が『善き者』、『悪しき者』として分裂した。
また宇宙から飛来した原生種を使役し、人間の感情に反応するよう改造を施す。
「善き者や悪しき者にとって、人間とはどんな存在なのか分かりますか?」
「食糧みたいなものか?」
「いえいえ、そんな単純なものではありません。食べてしまえば跡形も消えてなくなりますからね。何かいい例えがあれば……そうですね、人間が発明したものであれば説明できるのですが」
「人工知能とか、そんな感じか?」
「おお、近いですね。だが残念なことに、人工知能は将来的に人間よりも優秀になってしまいますから、ここでは該当しないと思います。強いて例えるなら……」
メフィストは抽斗をゴソゴソと探して、一台のスマートフォンを取り出す。
「これです」
「スマホか?」
「そうですスマホです。お互いに強い依存関係にあり、画面を通して様々な情報が得られます。これを鑑賞して楽しんでいる人間たちは、とても彼らと似ていますね」
「馬鹿言うな、俺ら人間をスマホと同じだって言いたいのかよ」
「冗談だと思いますか? 善き者や悪しき者にとって、人間はただの道具に過ぎない。アップデートもせずに古い機種となった者は切り捨てられ、新しい機種を常に渇望する。こうした機械は人間の写し鏡のようで面白いとは思いませんか?」
メフィストはクククと含み笑いをする。
「もしかして、貴方はイーテルヴィータを進むことを、人類の救済だと勘違いしているのではないですか? それはスマホの救済のために立ち上がる人間のようなもので、実に滑稽な話ですな」
「……俺は知らない。進んでいる理由もな」
「いずれにせよ、貴方がこの道を進めば人類にとって明確な惨禍となります。それだけは知っておいて欲しい」
メフィストは嵌めていた腕時計を指先でコツコツと突く。
「おっと、どうやら閉店の時間のようです。出口まで案内しますので、こちらへどうぞ」
――俺は「時間なんてここにはないだろ、アホ」と心の中で悪態を吐くも、言われるままメフィストの後を追って書店の出口に向かった。
「このドアを開ければ転生が始まります。それでは次に会うことを楽しみにしていますよ。ここから先はさらに壊れた世界に向かいますので、どうか油断なさらぬようお気を付けください」
そう言うとメフィストは恭しくお辞儀をする。
だが頭を下げた時の表情は分からず、恐らく不敵に笑っているのだろうと思われた。




