幻異界の古書店
ここは地に足が付かないような感覚があった。
空を見上げれば巨大な都市が逆さまになって浮いており、足元を見れば活火山から灼熱の溶岩が流れ出している。
遠くには宇宙にも届くような樹木が何百本と大地に根を下ろし、その木々の傍では数十メートルほどの大きさと思われる猛獣たちが、互いに争い、喰い殺し合っていた。
ここが天国か地獄なのかも分からない……だが進むことはできそうだ。
俺はスーッと滑るように空を飛びながら、この異空間の中をあてもなく彷徨った。
すると突然、目の前にゴシック調の建物が現れたので、俺は重厚な鉄の扉を開けて中へと入る。
そして玄関口に入ると、手前には山積みとなった分厚い書籍が行く手を遮っていたため、その書籍をかき分けながら奥へと進んだ。
……これら書籍の数から図書館なのかと思ったが、どうやら違うらしく、開けた場所へ出た時にお金を払うカウンターのようなものが見えたため、ここが本屋だと知る。
ふと大量の書籍が収められている書棚を見ると、踏み台を使って本を整理している男の存在に気が付いた。
「ああ、いらっしゃい。すいませんが、そこにある本を私に渡してくれませんか?」
その男は足元にある書籍を指差したため、俺は屈んでその書籍『ニベルの魔術総集』を手に取り、踏み台の下から渡した。
「どうもどうも。これだけ本が多いと整理に困りますな、人を雇わないと永遠に終わりそうにない。もっとも、ここに人間なんて居やしませんがね」
男はそう言うと口を開けて大声で笑う。
何が可笑しいのかは分からないが、書籍で埋もれた陰鬱な場所とは対照的な、明るい性格の男だと俺は思った。
そして男は踏み台から下りると、左手を差し出して俺に握手を求める。
「幻異界の古書店にようこそ。私の名前はそうですね……少し陳腐かもしれませんが、メフィストフェレスとでも名乗っておきましょうか」
俺は差し出された手を握手で返し、「どうも」と一言だけ返事をした。
「ずいぶんと無口な方だ。ここでの会話がメモヴェルスに記録されるため、喋るのを警戒しているのですか?」
「いや……そういうワケじゃない。俺が喋ると何か不都合でもあるのか?」
「貴方は色々と知ってますからねぇ。今は記憶が定かでなくとも、このままイーテルヴィータを進めばいずれ真相に辿り着きますから。おっと、どうやら私も喋り過ぎたようだ」
メフィストはコホンと誤魔化すように咳をして呼吸を整える。
「これは失礼……では本題に入りましょうか。まずは20年の壁を越えましたので、おめでとうございます。これで『20年離れ』と馬鹿にされることもありませんな。この古書店を訪れたのはあなたで3万3024人目となりますが、ようやくスタートラインに立ったと言うべきでしょう」
「3万……残りの243万人はすべて失敗したのか?」
「いえ、あくまでこの古書店を訪れた者の数です。世界は無限に枝分かれしていますので、別の次元で私と同じように道案内する者がいます。そのため実際の数は分かりませんが、20年の壁を越えた者は恐らく10万人前後ではないかと」
「そうか、俺も『穂積海斗』で何度も殺されそうになったし、挫折しそうになったもんな」
「でしょうでしょう。貴方は誇っても良いのですよ、なかなか辿り着ける場所ではないですから」
――「場所」という言葉を聞き、俺は古書店の窓から外の景色を見る。
「それから、ここは何処なんだ? 俺はまた転生したと思ったんだが、今までの現実世界とは性質がまったく違うように思える」
「ここは『次元の狭間』です。様々な世界が複雑に絡み合い、交差している場所なので、最初に見た時は驚いたでしょう」
「じゃあ遠くに見えるあの光景は、いずれ俺が向かう世界でもあるのか?」
「ええ、その可能性は高いかと」
……この古書店を訪れるまで、俺は様々な景色をこの目で見た。
巨大な原生種たちが徘徊し、人類を喰い漁っている光景。
世界が極寒に覆われ、外を歩くことも叶わない光景。
テクノロジーが異常に発達し、社会が権力者に完全支配されている光景。
自然災害が頻発し、水や食べ物が枯渇している光景。
神話の怪物たちが召喚され、現代兵器を使って応戦する光景。
どの世界も目を覆いたくなるようなものばかり。
こんな過酷な道を行かねばならないのかと、俺は嘆きにも似た感情が心の中で芽生えた。
「そもそも俺はなんで次元の狭間になんか来たんだ?」
「私が呼んだからです。貴方に気の迷いのようなものが見られましたので」
「気の迷い? 特に意識してないけどな」
海斗は強がるように笑って見せたが、メフィストは深刻な表情を崩さないでいた。
「いいえ、貴方には心の動揺が窺えます。それは自分が『人の子』を創造した理由を思い出せないからです。今からそのお話をしたいと思います」




