トモダチ
海斗はぶつぶつと愚痴を言いながら長い坂を一人で歩いていた。
「……ちっくしょう、こんな危険な世界を一人でサバイブすんのかよ。それに俺の使命って何だよ、教えてもらってないんだけど」
理不尽さを感じつつも、七奈美に言われた通りに文京区を目指した。
立ち止まって周囲を見ると、先ほどまで起こっていた出来事は嘘だったかのように静かで、いつもと同じ東京の風景がそこにはあった。
(人通りはまったくないけど、化け物が出るような雰囲気じゃないよな)
――とは言え油断は大敵である。
海斗は自分を奮い立たせるように再び歩き出した。
「おう、海斗じゃねぇか! 何やってんだおまえ?」
すると突然、背後から聞き慣れた声で自分の名前を呼ばれた。
海斗は驚いて振り返ると、そこには一人の青年がニコニコ顔でこちらを見ていた。
「え……陽介か?」
「おまえさ、今日は大事な試験があるとか言ってなかったっけ? こんなところウロついてていいのかよ」
大学の友人である木下陽介だと分かると、海斗は一気に緊張の糸が切れ、涙目になりながら陽介に抱き付いた。
「キッショ! おいおいおい、どうしたんだ? まさか泣いてんのか?」
「陽介ぇぇぇ、今日は酷い目に遭ったんだよぉぉぉ。なんて説明していいか分かんないけどさ、とにかく酷い目に遭ったんだよぉぉぉ」
「分かった分かった。さっき駅前で貰ったポケットティシュやるから、とりあえず鼻でもかんどけ」
海斗は陽介からポケットティシュを手渡されると、もの凄い勢いで鼻をかんだ。
「何があったのか知らないけど、試験まで後一時間しかないだろ。早く駅まで行こうぜ」
「……えっ、電車って動いてんの?」
「おまえ頭おかしくなったのか、動いてるに決まってるだろ」
海斗は陽介と出会うことで日常を取り戻すことができたようだ。
(俺は夢を見てたんだな……きっと試験のプレッシャーで精神的に疲れてたのかも)
……そうと分かればボーッとしてられない。
精神科のセラピスト通いを心配するよりも、まず今日の試験をクリアしないと卒業できずに人生が終わってしまう。
海斗は我に返り、陽介と一緒に慌てて駅を目指した。
そして石神井公園駅の改札前に辿り着くと、死人のようにフラフラと歩いている者は一人もおらず、いつも通りの光景が目の前に広がっていた。
もうホラー展開になりそうな要素は一つもなさそうである。
海斗はスマホのタッチ操作で改札を通ると、自分の通っている大学に向かう電車へ飛び乗った。
――7時間後。
海斗は陽介と一緒にファミレスで食事をしていた。
「ぎゃははは! おまえさ~、おクスリでもやったんじゃないのか? 警察に通報すんぞ」
「やってねぇよ。俺だってあんな幻覚見るなんて思わなかったからさ」
「まぁもの凄い美人と話せた幻覚だから幸せだよな。おまえの願望がモロに出てる感じで笑えるわ。それで……どこへ行くつもりだったの?」
「なんか文京区を目指せって言われた」
「文京区だぁ? 練馬から歩いてけっこうな距離があんだろ。その時点で胡散臭いと思わないとな」
「だってさ、血だらけの男がゾンビみたいに人に襲い掛かったり、他の連中も死人のようにフラフラ歩いてたりしたのよ。胡散臭いと思える余裕なんてなかったんだわ」
「ホラー映画の観過ぎ」
「俺さ、そんなにホラー映画好きじゃないぞ」
「……面白そうだな、行ってみようぜ」
「は? 何処へ?」
「文京区だよ、もしかしたら怪奇現象がまた起こるかもしれないしな」
怪奇現象って……そう言われた海斗は苦虫を噛み潰したような顔になった。
――ただ陽介の言うことにも一理ある。
日頃から頻繁に文京区を訪れるならまだしも、海斗にとって特に関りのない地域でもあるため、何故そこを目指せと言われたのか分からない。
また疲れていたとは言え、幻覚を見た理由にも興味があった。
「……じゃあ行ってみる?」
「いいぜ、またこっから歩いて行くか?」
「嫌だよ、試験終わりで疲れてるから地下鉄にしよう」
海斗はそう言うと、陽介と一緒にファミレスを出た。
そして目的地である文京区の後楽園駅で二人は地下鉄を降りる。
「海斗さ、なんで後楽園駅なんだよ」
「う~ん、なんとなく。中央大か東大の近くが良かったか?」
「あ~やめとくやめとく。東大スベッたこと思い出すからな……やっぱ後楽園で正解かも」
そんなことを喋りながら、しばらく二人は駅前を散策した。
「腹減ったな~」
「はぁ!? さっき食ったばかりだろ。おまえは胃袋に動物でも飼ってんのか?」
「……ってか飲み屋でビールとか飲まない? 他のも奴らも呼んで騒ぎたいんよ」
「仕方ねぇな~、今月金欠なのに」
海斗は渋々陽介の提案を受け入れ、財布の中身を確認した。
幸いなことに1万円札が入っていたため、誰かに借りる必要もなさそうである。
(あれ……? このカードってなんだっけか?)
海斗は家電屋のポイントカードだと思ったが、見るとそれは七奈美が手渡した様々な文字が書かれている黄金色のカードだった。
(う、嘘だろ……なんでこれが入ってるんだよ)
海斗の額から生暖かい汗が流れ落ちた。
やはりあれは幻覚ではなかったというのか?
「おい海斗、沢田と磯部をここに呼ぶからな」
……しかし海斗は「沢田」と「磯部」という名前に心当たりがなかった。
「は? さ、沢田と磯部って誰よ?」
「なに言ってんのおまえ? いつもつるんでる沢田と磯部じゃん」
「いや知らないぞ。そんな名前は聞いたことない」
「おまえさ~かなり疲れてるんじゃないの? 親友の名前を忘れるとかどうかしてんだろ」
「し、親友? その沢田と磯部って奴が?」
――海斗が混乱していたその時である。
どこからともなく聞こえる甲高い笑い声が周囲に響き渡った。
そして辺りに瘴気のような靄が広がり、海斗は全身が金縛りのような感覚に襲われ動けなくなる。
「ホホホ、お会いできて光栄です穂積海斗殿。遠くからでも分かりますね~メモヴェルスの眩い輝きが。あなたが取り出してくれたお陰で探す手間が省けましたよ」
背後から声を掛けられたため海斗は驚いて振り返ると、そこには身長が2メートルあると思われるタキシード姿の男が立っていた。
「あんた……誰?」
「まずは自己紹介させていただきましょうか」
タキシードの男は被っていたシルクハットを脱ぐと、仰々しく海斗の前でお辞儀をした。
「私の名前はミゼラムと申します。あなたたちが『悪しき者』と呼んでいる刺客の一人でございますよ。正式にはモルテーム教団に所属する、幻異界の荒廃と腐敗を願う一人として活動する者ですがね」
ミゼラム……悪しき者……?
そう言われた海斗は七奈美の言葉を微かに思い出す。
(これが七奈美さんの言ってた連中のことか? あれは幻覚じゃなくリアルな異変だったのかよ)
海斗が戸惑っているのを他所に、陽介はミゼラムの前に立つとこう悪態を吐いた。
「なんだこのデケェおっさん」
「おっ……さ……」
ミゼラムは怒りで蟀谷に血管が浮き出ると、陽介の前で突然両手を広げた。
そして指先の尖った爪が10cmほど伸び、その鋭い爪を陽介の頭蓋に突き刺した。
「口の利き方がなってませんねあなた。神に等しい私に軽口を叩くなど、人の子の分際で無礼にもほどがありますよ。そんなあなたには大量の原生種をプレゼントしましょう。この原生種はと~っても痛いですよ……何せ全身の血管を通って植物の根っ子のように寄生するんですから。その苦しみを100年味わって私の尊い養分となりなさい」
ミゼラムはそう言うと、突き刺していた爪を陽介の頭蓋から引き抜いた。
陽介はゴボゴボと口から泡を吹き、のけ反るように頭から地面に倒れた。