現実を受け入れろ
「えっ……き、貴様? それって俺のこと?」
「貴様以外に誰がここにいる。外で見た出来事なら理解している、私の前で冷静さを装っても無駄だ」
「あ、あんたはこの異常な状況を説明できるのか?」
「詳しく事情を話せるほど時間はない。要点だけ話すからよく聞いておけ」
その女性は胸ポケットからカードを一枚取り出し、テーブルの上に置いた。
服装を見るとレディース・スーツで身を固め、都内のオフィスで働いているような、落ち着きのある大人の雰囲気を漂わせている。
……それにもの凄い美人だ、視線を合わせるだけで海斗は挙動不審になってしまう。
「246万5462回だ」
女性は唐突に数字を述べた。
「……は? に、240万……?」
「246万5462回だ。それだけの数、貴様は転生を繰り返して失敗している」
――何を言っているのかサッパリ分からない。
どうやらこの女性もまともではないようで、海斗は泣きそうになった。
「転生って……今の俺は誰かの生まれ変わりってワケ? 急にそんなこと言われても」
「今回は目覚めた時点で異変が起きるパターンらしい。話が早くてこちらは助かるがな」
「待て待て待て、目覚めた時点てどゆこと? 俺は今日生まれ変わったって意味なの?」
「そうなるな」
海斗は呆れたかのように大声で笑い出した。
「……何が可笑しい」
「だってさぁ、俺は昨日までちゃんと大学に通ってたんだよ。さすがにその話は無理があり過ぎで、騙すならもう少し上手くやりなよ。これって宗教か怪しいビジネスの勧誘ですか?」
「なら貴様は1年前のこの時間、自分が何をしていたのか説明できるか?」
「は? い、1年前なんて覚えてるワケないだろ」
「では20年前ならどうだ?」
「それって俺が2才だろ! 余計に覚えてねぇよ!」
「じゃあ1分前だって詳しく説明できないさ。何故なら過去なんて人間が創り出した記憶の集合体だからな」
馬鹿にしてるのかと海斗は内心で憤ったが、女性は大真面目な様子で続きを語り出した。
「貴様たち人の子は過去が確定したものだと思い込んでいる。それが奴らの罠だとも知らずにな。だが奴らからすれば未来こそが確定したものであり、過去を支配することで未来をいくらでも書き換えられるのさ」
海斗の目がますます丸くなり、内容の半分も理解できないでいた。
……だが女性の話は続く。
「私たちは奴らを『善き者』と『悪しき者』と呼んでいる。ただし人の子が考えるような単純な善悪ではなく、あくまで利害で動く存在だから、こちらの理屈はまったく通じない相手だよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。さっきから話の内容がファンタジー過ぎて、さすがに受け入れられない。悪いけど俺は出て行く」
――ドォォォン、ドンドンドン!
すると、店のドア付近で何かがぶつかるような大きな音が聞こえた。
海斗は立ち止まり、その場で固まってしまう。
「……ありゃなんだ?」
「結界を破ろうとしてるんだよ。後10分くらいしか持たないかもな」
「熊か牛が体当たりするような音だったぞ」
「貴様は人間が寄生された姿しか見てないだろ。あれは宇宙の原生種が直接巨大化したものだから、外に出れば一瞬で捕獲されるな」
「嘘だろ……閉じ込められたってことか?」
「いや、この店にあるトイレの換気窓から逃げられる」
「じ、じゃあ逃げようぜ!」
「……まだ私の話が終わってないよ」
女性はテーブルの上に置いたカードを海斗の前に差し出す。
「時間がない。この現実を受け入れるか否かを決めろ。受け入れれば貴様の使命を話してやろう」
「使命って……?」
――その時、背後でバキバキバキッと大きな音が鳴った。
「入って来るぞ……どうする? あれと戦っても良いが、貴様では大量の原生種に寄生され自我を失って終わりだ。数十年は意識が曖昧なまま死人のように彷徨い、苦しみながら死ぬことになるぞ」
「分かった分かったよ! 受け入れるから使命とやらを教えてくれ!」
「ではこのカードを受け取れ」
海斗はカードを手に取ると、書いてある内容に目を通した。
だが複雑な文字が大量に描かれており、何が書いてあるのかサッパリ分からない。
「それは『メモヴェルス』の一部だ。貴様の手に渡ったことが知られれば、善き者も悪しき者も一時は混乱状態に陥る。これで貴様のイーテルヴィータは確定した」
相変わらず何を言っているのか分からないが、このカードに不思議な力があることは理解できた。
海斗はカードをバッグに入れると、女性の指示を待った。
「では行こう。まずはここから逃げるよ!」
女性はそう言うと、店にある男性用のトイレに海斗を案内した。
「ここ……男性用だけど?」
「細かいこと言わない」
女性は換気窓を開けると、器用に体を入れて外へ出た。
海斗も慌てながらそれに続く。
「それじゃ文京区を目指すよ。貴様に会って欲しい人がいる」
「……あのさ、あんたの名前を教えてくれよ」
「名前か? う~ん、あまりこの世界では意味を成さないが、それでも良ければこの娘の名前で統一して『斎条七奈美』にしておこう」
……意味を成さない? 統一?
七奈美の言葉は不可解なものばかりで、理解するにはかなりの時間を必要としそうだ。
「異変が起こってるのはこの地域だけなのか?」
「いや、おそらく世界中で起こっているはずだ。貴様が思い描く普通の暮らしとやらは二度と訪れないだろうな。今後は生きるか死ぬかだけのシンプルな生き方になる」
「冗談キツいよ……」
海斗はガックリと肩を落とすと、視線の先に七奈美の手を見た。
何故が赤い湯気のようなものが七奈美の指先から発せられ、本人は気付いていない様子だった。
「七奈美さん……それは何? 湯気のようなもんが指先から立ってるけど」
七奈美は海斗の言葉で慌てて自分の手を確認する。
「これは……しまった! 上書きされたっ!」
手を振っても赤い湯気は消えず、その勢いはますます強くなる一方だった。
「だ、大丈夫か? これって血液が沸騰してるのか? それに上書きってどういう意味だよ?」
「……もうこの娘の身体は駄目だ。どうやら善き者たちが過去を上書きしたらしい。貴様だけでも文京区へ行け!」
「そ、そんな……ここ練馬だぜ。交通機関が死んでるから2時間くらいは歩くだろ。こんな危険地帯を一人で進むなんて無理ゲーにもほどがあるぞ」
「私の身体はもうすぐ蒸発して消えてなくなるんだよ! つべこべ言わずに文京区を目指せ、ぶっ飛ばされたいのか!」
海斗は七奈美の迫力に押され渋々頷いた。
「それでいい。ここは私が食い止めるから、すぐに立ち去りなさい」
「いやいやいや、放っておけるかよ」
「貴様じゃ私をまだ救えない。……安心しろ、死ぬワケではないからまた会える。ただ今の姿ではないだろうけどな」
「どゆこと?」
「いいから行けっ!」
海斗は戸惑いながらも七奈美の指示に従い、一人で文京区へと向かった。
(この娘には悪いことをしたな……許せよ)
七奈美は海斗の姿が消えたのを確認すると、蒸発して失われている自分の右腕を見た。
そして赤い湯気は七奈美の全体を覆い隠し、やがてその場からすべてが消え去った。