矛盾という名の発明
「クッソ痛ぇ……どうやら肋骨にヒビが入ったみたいだ」
海斗の額から汗が流れ落ち、痛みに耐えながら自宅へと向かった。
幻異界に浸食された地域はごく一部だったようで、ショッピング街から少し離れると日常の光景が広がっており、海斗は地下鉄を使用して自宅の近くにある駅で降りた。
(……ずいぶんとお優しい刺客だな。普通ならこの辺りにも原生種を仕込んでおくだろ。俺を殺す気がないのか?)
自宅付近は静かで、原生種どころかフラフラとゾンビのように歩いている人間も見当たらない。
海斗はすんなりと自宅へ戻れたことに違和感を覚えつつも、奈波に会いたい気持ちが勝り、急いで自宅ドアの鍵を開けて部屋の中を調べた。
――だが、奈波の姿はない。
(やはりいないか……当然だよな)
海斗は力が抜けてその場に座り込んだ。
このまま休みたい気分だが、そんな考えを振り払うように、奈波を助けるため今後どうするか頭の中をフル回転させる。
(メモヴェルスを手に入れたんだ、刺客の行き先くらいは分かるはず。だけど、こんな体の状態で果たして戦えるんだろうか?)
相手はまだ20年離れの刺客ではあるが、例え幻異界の核の影響が弱かったとしても、対峙したミゼラムでさえ手強かったと海斗は記憶している。
今回のクライザーレという男も底が知れず、回答を間違えば奈波と共に瞬殺される可能性がある。
「幸せな人生……か」
こんな痛い目に遭ってまで進む理由はなんだと、海斗は自分の心に問い掛けた。
……それに、まだ七奈美の姿も見ていない。
名前が同じ響きの「ななみ」なので海斗は混乱したが、頭の中を整理するためにも「性格の悪いななみ」で統一する。
(今回の転生で性格の悪いななみが現れないってことは、もう俺は誰にも縛られず自由に動き回って良いって感じなのか? それなら、なっちゃんとの幸せな人生を選ぶわ。当然だろ、そんなもん)
海斗は脇腹を手で押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。
「……どうせ俺は長い夢でも見てるんだ。どんな決断したってバチは当たらないさ」
海斗はメモヴェルスのカードを取り出して頭上に掲げた。
「メモヴェルスよ、クライザーレの居場所を指し示せ!」
そう言うとメモヴェルスのカードから一筋の光が放たれ、その光は近くの小学校を指し示した。
海斗は自宅から飛び出すと、痛みに堪えながら小学校へ向かって全力で走った。
そして学校の門から校庭に入ると、そこにはバスケットのコートで遊んでいるクライザーレの姿が見えた。
「……なにをしてやがる」
海斗が呼び掛ける声を無視するかのように、クライザーレはゴールネットに向かってボールをシュートした。
そして見事にシュートは決まり、クライザーレは「いよぉし!」と嬉しそうに声を上げる。
「いやいや、人の子の考える遊びは面白いですな。貴殿もやってみますか? なかなかに楽しいですよ」
「断る。やるワケないだろ」
「つれないですねぇ。もう少し大人の余裕というものを見せたらどうですか?」
クライザーレはパンパンと手に付いた砂を払うと、杖を突きながら海斗に歩み寄った。
「それで……ご決断されましたかな?」
「ああ、だがその前に聞きたいことがある」
「何をです?」
「本当に俺たちの命を保証してくれるのか? 嘘を吐いている可能性もあるからな」
「ふむ……私の提案が信用できないと?」
「当たり前だろ」
クライザーレは海斗に背を向けると、しばらく考える素振りを見せた後にコホンと一つ咳をした。
「このクライザーレ、誓って貴殿に嘘を吐くようなことはございませんが、それでも信用できないとおっしゃるなら、話しておきたい事実があります」
「なんの事実だ」
「私と貴殿は共に戦った仲間だという事実です」
クライザーレは杖でコツコツと地面を突いた。
「覚えていないでしょうが、原初の者たちと共に蜂起し、人の子を利用しようとする輩との戦いを始めたのは貴殿だ」
「……原初の者たち?」
「貴殿が呼称する善き者、悪しき者たちのことです。今は二つに分かれていますが、以前は一つに纏まっていました。それが人の子の歪な感情を喰らい続けることで、枝分かれしたのです」
「それが俺となんの関係があるんだ」
「大いに関係があります。何故なら貴殿が人の子……つまり人間を創造したからですよ」
――その話なら以前に仁翔から聞いた。
俄かに信じられないが、この男の話す内容から極めて真実に近いのだろう。
「俺が人間を創造したからって、戦いを始めた理由が分からない」
「……私が説明せずとも、今の世の中をご覧なさい」
クライザーレはまるで大衆に演説するかのように、海斗の目の前で大きく両手を広げた。
「人の子に、この世界の統治を託したのがこのザマです。永遠に学習せず、過ちの歴史を何度も繰り返し、常に欲望に支配されている」
「……良いところもあるだろ。人間は愛情や慈しみの心を持ってるんだ」
「その感情すら我らの糧となる。やがて原初の者たちは、人の子の影響を受けて狂者と化し、その成れの果てが善き者と悪しき者を生み出しました」
「そもそも歴史を改変しているのはおまえたちだ。過ちの歴史を繰り返したのも、おまえたちの算段だろうが。説明が矛盾だらけで理に適っていないぞ」
「その矛盾こそが人間の存在理由であり、感情の起伏が生まれる優れた要因なのです。貴殿はそれを発明したと言ってもいい」
「……言っている意味が分からない」
「いずれ分かります。端的に言えば、貴殿は人の子にこの世を託すのを猛反対したのですよ。それがあの反乱に繋がり、私は貴殿と共に戦いに身を投じたというワケです」




