海斗とソルトニス
海斗が奈波を誘った時の状況はよく覚えているため、幸せな記憶をクリアにイメージすることができそうだ。
……だが、問題は他にもある。
(50回も人間の過去を書き換えれば、さすがにこの刻殺しの間も壊れてしまう可能性があるな。それに、この部屋とシンクロした私の身体にも、確実に痛みが蓄積される)
奈波の頬に汗が伝ったが、躊躇している時間はない。
「ええい! ここでグダグダ考えても始まらない。さっさとメモヴェルスからトラウマとなった記憶を消去してしまおう」
奈波はメモヴェルスのカードを台座の窪みに置き、キーボードを操作して過去の書き換えを行い始める。
ブン、ブン、ブゥオオオーーーン、ブン、ブン。
不気味な断続音と共に、メモヴェルスのカードに刻まれた模様が変わる。
そして20分ほどが経過した頃、刻殺しの間に置かれたオブジェの一部に亀裂が入り始めた。
(くっ……やはり持ち堪えられないか。恐らく、24回ほどの書き換えが完了したはずだが、かなりのダメージが部屋に蓄積しているようだ)
その時、奈波は急に気分が悪くなり、床に大量の血を吐き出した。
「はあ、はあ、はあ……」
呼吸も途切れ途切れで、立っているのもやっとという状態になってしまい、奈波は初めて命の危険を感じ始める。
「そんな……嘘でしょ……髪が……」
さらに時間が経過すると、今度は奈波の髪が抜け落ち、肌も瑞々しさが失われミイラのように干からびてしまう。
それでも奈波は挫けず、メモヴェルスの書き換えが終わるまで、刻殺しの間を離れないでいた。
――30分後。
「お、終わった……」
奈波はそう言うと、過去の書き換えが終わったメモヴェルスのカードを手にして、足を引きずりながら刻殺しの間を出た。
背後で天井が崩れ落ちるような音がしたが、奈波には振り返る気力すら失われており、刻殺しの間が崩壊する光景を最後まで見ることはなかった。
(か、海斗……今……行くぞ)
自分を奮い立たせようと、前向きな言葉を心の中で呟くが、思うように体を動かすことができない。
海斗の自宅まで1kmほどの距離だが、奈波には100km離れているように感じられた。
そして視界が霞み始め、意識が失われそうになったその時、目の前に見覚えのある男が立っていることに気が付いた。
「海斗……!」
それは、学校から帰宅途中の海斗の姿である。
奈波は必死で呼び止めようとしたが、小さな声しか出ないので、彼は気が付かないで通り過ぎてしまった。
(ま、待って……頼むから止まってよ)
そんな願いも空しく、海斗はどんどん歩いて離れてしまうため、奈波はついにその場で倒れてしまう。
(もうダメだ……八重野奈波が死んでしまう。私の力が足りないばかりに、この娘に大変なことをしてしまった。どうか許して……)
――だがその時、歩いていた海斗の足が急に止まった。
「誰だっ!」
見ると、海斗の前に立ちはだかったのは、悪しき者の刺客であるソルトニスである。
「ヒョヒョヒョ! 穂積海斗ぉ、貴方には死んでもらいますよ」
「俺を殺すだって? 気味の悪いヤツだ。図体はデカいようだが、俺はこれでも格闘技の心得があるぞ」
「だからなんでしょうか? イーテルヴィータを確定できない貴方に殴られても、蚊が止まったくらいの痛みしか感じませんよぉ」
「じゃあ試してみるか? 」
海斗はそう言うと前方に飛び出し、ソルトニスの顎にパンチをお見舞いした。




