52 ピンチは続けてやってくる
「モリー‼」
ミリーは絶叫する。歌が途切れてしまったのだ。モリーがハッとこちらを向いた瞬間、ミリーの視界は深い緑に覆われる。蔓たちが夢から醒めたらしい。
瞬く間に蔓の檻がミリーを取り囲む。迫りくる蔓の暴君に向かってミリーは火炎玉を放つ。が、蔓の数が多すぎてとても対応しきれない。
ミリーは鳥籠を抱きしめて蔓の攻撃を素早くかわし続ける。けれどいくら撃退しようともキリがない。いくつもの蔓がミリー目がけて突っ込んでくるのだ。
どうすべきか。今からまた歌を奏でても、一度目覚めた彼らがすぐに落ち着くはずもない。
だんだん狭くなっていく檻の中を駆けずり回りながらミリーは必死で次の手を考える。すると。
「ミリー! こっちだ!」
クインシーの声が蔓の間を縫って飛んでくる。彼の声の行方を捜して顔を上げると、杖を構える彼の姿が見えた。彼の杖先で蔓の塊が黒焦げになって朽ちている。檻に穴を空けたようだ。
ミリーは急いで穴へ駆ける。背後からは束になった蔓が追いかけてくる。が、ミリーの意識は視界の中央にいるクインシーだけを向いていた。穴の向こう側からこちらに手を伸ばすクインシー目がけてミリーは片足に力を込めてジャンプする。
穴をくぐり抜けた勢いのままにミリーはクインシーの腕を掴む。彼の力に引っ張られ、ミリーは無事に穴を飛び越えた。
「きゃあっ!」
恥ずかしいほどに甲高い声が出ていった。穴を越えたはいいものの、そのまま体勢を崩して床に突っ込んでしまったからだ。けれどそこまで身体に強い衝撃はない。
ミリーが身体を起こそうとすると下から手が伸びてきて彼女の頭をぐっと掴んで伏せさせる。
ミリーが驚く暇もなく、頭上を蔓の大群が突っ切っていった。あのまま身体を起こしていていたら蔓に激突していただろう。ミリーの心臓がバクバクと嫌な音を立てる。
執拗に追い回した獲物を見失った蔓は壁に突っ込み動きを止めた。ようやく部屋の中に真の静寂が訪れる。
「ミリー、大丈夫?」
「う、うん……」
下の方から声が聞こえ、ミリーは戸惑いながらぎこちなく頷く。まだハラハラとした焦りの余韻が胸に残っている。ミリーはゆっくり顔を上げ声がした方を見やった。
床に突っ込んだ時にあまり痛みがなかった理由をミリーはようやく理解する。
クインシーがミリーの身体を受け止めたまま下敷きになってくれたからだ。
「ごめんなさい、クインシー」
慌てて起き上がり、ミリーは申し訳なさそうに彼のこめかみに手を添える。床にぶつけたのか皮膚が赤く腫れていたからだ。青い淀みも滲んでいる。内出血しているに違いない。
「大丈夫。イエナは無事?」
「ええ」
クインシーは朗らかに笑いながら起き上がってミリーの胸に抱かれた鳥籠に目を向ける。小鳥は何が起きているのか分からずきょとんとしたまま首を傾げた。
「さぁ、急ごう。モリーが扉を開けてる」
小鳥が無事なことに彼の表情に安堵が広がる。気を取り直して立ち上がり、クインシーは蔓が暴れて大惨事となった部屋を見回した。
「ええ。こんなとこ、早いところ出ていきたいわ」
ミリーも部屋を見回した後で踵を返し、クインシーに続いて扉へ急ぐ。
「ミリー! クインシー! 良かった! ごめんなさいっ! 嬉しくてつい歌を止めちゃって……」
扉を出ると廊下で待っていたモリーががばっと頭を下げる。
「いいの。それよりも早くここを出ましょう」
モリーの肩を撫でながらミリーは自分たちが来た道を見やる。が。
「……おかしいわ」
違和感に気づいたミリーの眉間に皺が寄る。
煙突から歩いてきた道はよく覚えている。しかし今見える廊下の構造が来た時とは違って見えたのだ。もしや惑わしの術か。
「ああ。道がぐちゃぐちゃにされてるみたいだ。迷路みたいに」
クインシーも異変に気づき低い声で唸る。
「ええっ? じゃあ、わたしたち閉じ込められてるってこと?」
「いや、まだそういうわけじゃ──」
モリーの不安を払拭しようとミリーが口を開いた瞬間、ドドドドドド、と何かが押し寄せてくる音が廊下の向こうから聞こえてくる。
「何……?」
ここは術義局。どんな罠が仕掛けられていてもおかしくはない。
ミリーは警戒心を最大にして音のする方向を注意深く窺う。さっきまで熱かったはずの室温が徐々に涼しくなっていく。まさか。
ミリーの顔が青くなっていく。
「雲攻めだああああ‼」
ミリーが口にするより前にその存在に気づいたモリーが悲鳴を上げた。
彼女の言う通り、廊下の先から迫ってくるのは水の結晶、いや大群の雲だ。
雲の波が傾斜もないところから雲海の如く押し寄せてくる。
三人はすぐに身体を翻して雲海の反対側へと逃げ出す。あの熱帯の部屋への侵入者用に仕掛けた術だろうか。鳥籠を握りしめるミリーの手に力が入る。
廊下は迷路のように入り組んでいるが、雲波は一糸乱れぬ動きで三人を追う。恐らく三人を飲み込み雲だるまにする気だ。このままでは雲に攫われてしまう。
どうしよう。どうすればいい。
走りながらもこの後のことを思案するミリー。しかしその思考も足元が抜けてしまえば彼方へ飛んでいってしまう。
「うわあああああああ‼」
モリーの悲鳴にミリーの声も重なった。がむしゃらに廊下を駆けていたが、その途中に落とし穴が仕掛けられていたらしい。三人の身体は煙突を下りてきた時のように一直線に降下する。
「ぎゃっ‼」
今度の着地は上手くいかなかった。三人は床に激突し、それぞれが鈍い声を出した。
「──ええ。今こそ、閉じ込められたわ」
鳥籠だけはなんとか死守したミリーは足をさすりながら辺りを見回す。
三人が落ちた先は無機質な灰色の壁に囲まれた小さな箱のような小部屋だ。
扉はどこにもなく、辛うじて薄明かりが浮かぶ温情があるくらいだ。
「さすが術義局。入るより逃げる方が困難だ。そりゃ、悪いことを企む侵入者を術義局が逃すわけないよな」
クインシーが恐れ入ったという顔をして天井を見上げる。
「まずいまずいまずいって……‼」
まだ冷静さの残るクインシーとは対照的にモリーは焦燥しきった顔で呼吸を荒げる。
「モリー、落ち着いて」
過呼吸気味の彼女の背を撫でながらミリーは彼女を落ち着かせようと穏やかな声で囁く。内心は彼女の焦りが伝播しそうなくらいだが。
「焦っても何も始まらないわ」
彼女と自分にそう言い聞かせミリーはもう一度部屋を見回す。しかしやはりどこにも出口は見当たらない。壁の材質も頑丈で、内側からの術は弾く加工がされている。
落ち着けと言ったものの今度こそは駄目かもしれない。
ミリーは手元の小鳥に目を向ける。つぶらな瞳がこちらを見上げた。
自分たちがしたことが術義局にバレ、再びイエナが囚われてしまったら。
学園の卒業資格は失い、多額の借金を背負って服役することになるのだろうか。
この何も知らない小鳥は解剖され、跡形もなく姿を抹消されてしまうのだろうか。
無意識のうちに喉が波打つ。飲み込んだ空気は刺々しく、ミリーの心臓まで届いていく。
────ここまでか。
ミリーの胸を絶望が覆った、その時だった。
頭上からガタゴトという物音が聞こえ、三人は一斉に天井を見上げる。
そういえば今は何時だろう。
術義局の誰かが自分たちを見つけに来たのだろうか。
三人は固唾を飲んで天井から聞こえてくる音に耳を傾けた。すると。
「あー。やっぱりここにいた」
何も隙間などなかったはずの天井に人一人通れるくらいの四角い穴が空いた。天井に空けられた穴から黒髪がひょこっと覗く。
「マノン⁉」
三人の声が重なった。狭い空間で声が反響し、マノンは苦笑する。
「へへ。びっくりした?」
三人の仰天顔に笑いかけ、マノンは小部屋に飛び込み両足で着地する。
「どうしてここに? っていうか何してるの? どうして入ってきちゃうの?」
彼女の行動が何一つ理解できず、ミリーは困惑気味に目を白黒させる。
モリーとクインシーも目を見合わせて彼女の登場に驚いていた。
「お忘れ? わたしは永世騎士族なんだから術義局のことはよく知ってるの」
「あっ」
マノンが両手を広げてふふんと鼻を鳴らすのでミリーは思わず声を漏らす。
「その鳥はもうイエナじゃないのにねぇ。まったくミリーは我儘なんだから」
やれやれと呆れた顔をしてマノンはミリーの手元を見やる。鳥籠の中で小鳥がちゅん、と愛らしく鳴いた。
「絶対にイエナを助けに来ると思ってたよ。ほんと無謀だねぇ」
マノンは人差し指で小鳥をちょんちょんとつついてあやしはじめる。小鳥が反応すると楽しそうに笑うマノンをミリーは薄目で観察した。
「……じゃあ、なんで来たの?」
術義局までイエナを奪還しに来ると予測されるまではいい。それを無謀だと言われるのも承知だ。だがそれでは彼女がここに来た理由は分からない。無謀なことだと思うのなら放置するのが一番だろう。
ミリーの問いにマノンはぴたっと動きを止めて気まずそうに目を逸らす。
「それは……学園の仲間を放っておけないから、でしょ」
じれったい口ぶりだった。マノンのたどたどしい口調にモリーとクインシーは微かに頬を緩める。気恥ずかしいのかマノンはミリーと目を合わせようとしない。そのまま腕を組み、三人とは違う方向を向いてため息を吐く。
「あー! もうほんと呆れちゃう。どうして捕まっちゃうかな」
「術義局が有能なのは本来喜ぶべきことでしょ」
ミリーがぼそっと呟くとマノンは横目でミリーを恨めしげに見る。
「まぁ捕まっちゃったからには協力するしかないでしょ。わたしだって本当はこんなことに手を貸したってバレたら大目玉なんだからね。このことは絶対に内緒だからね」
「ふふ。分かってる……ありがとう、マノン」
「えっ」
「ほら。永世騎士族さん、どうすればここから抜け出せるの?」
「あっ、えーっと、実は秘密の逃げ道があって──」
マノンの言葉をかわしミリーが矢継ぎ早に訊ねるとマノンは自分が来た天井を見上げ逃げ道について話し始める。




