同居二日目
これは夢の中らしい。
親戚一同が集ったときに、だだっ広い和室でひとり絵本を読んでいた、かつての記憶をわたしは覗いている。
宴会場となる祖父母の家は増改築したばかりで、いつも綺麗に片付いていた。
畳から漂う静謐な匂いと、静寂に包まれた和の雰囲気が好きだった。だから帰省自体は嫌じゃなかった。
だけど大人の言葉が分からない頃から、なんとなく自分は歓迎されてない人間なのだと感じ取っていた。
理由はシンプル。
DBが当たり前となった世代に、VBが誕生したからだ。
わざわざVBなんか産むなんて。下手すると穀潰しか犯罪者予備軍になりかねないのに。信じられない。
嫌味を言われ、うつむく母親の背中だけは今でも思い出すことができる。
家ではわがままな娘に手を焼かされ、外ではVBを産んだことを責められて。
居場所がない母親は、それでも愛想笑いを浮かべて親戚の群れに交じる。
旦那にしがみついて、座る場所を空けてもらって、適当に相槌を打って、慣れない酒をちびちびと飲んで。
それ以上に育児から解放されたかったんだなって、今ならわかる。
だって思い出そうとしても親の顔はおぼろげで、代わりによみがえるのは世話を押し付けられた丸っこいお姉さんだったから。
『彰子ー。どこだー。ごはんですよー』
ふすまの向こうから、わたしを探すお姉さんの声と足音が近づいてくる。
まだ小学生だったのにしっかり者だからって、小さな母親役を押し付けられていた人。
今は本当に母親代わりとなった、二重の意味での保護者。
みーつけた、とお姉さんがふくよかな腕を大きく振り回す。
ちいさいわたしは絵本から顔を上げて、さつき、と呼んだ。
「…………」
スマホの耳障りなアラーム音に意識を揺り動かされ、目の奥に光が差す。
ルームメイトのいない部屋を見回して、そういえば昨日から里子になったんだっけと己の立場を認識する。
ここが、わたしの帰る家。過ごす部屋。
バルコニーから見える高層の景色は、区画整備された清潔感漂う街並みが広がっている。
地価高そう。こんなにセキュリティが高いマンションがあるってことは、そりゃそうだわな。
日野はうちの高校に新卒で入ったんだろうし、去年からここに住んでるのか?
それにしては内装は真新しく、肺に取り込む空気も削りたての材木を嗅いでるような爽やかさがある。
自分用なのだから好きに使っていいのに、新品の家具はもったいなくて触れるのをためらってしまう。
ああ、そうだよね。
里親登録をするくらいなんだから、もともと預かる子供の部屋にする予定で空き部屋にしていたに決まってるか。
もし、日野がべつの施設を訪ねていたら。
もし、わたしが里子を断っていたら。
今頃、別の子供がこの部屋の住人になっていたのか。
そっかあ。
己が一番乗りということに、そこはかとない優越感を覚える。
「おはよう」
扉が開いて、金太郎みたいなフォルムの面影など皆無の日野が顔を出した。
「いい夢でも見た?」
頬が緩んでいたことを指摘されて、『べつに』ととっさに素っ気ない声で返してしまう。
そんなに顔に出てたの?
「すごいね。もう勉強しているんだ」
「……養ってもらう立場だから」
観葉植物みたいに家具の隙間に座り込んで、参考書を広げるわたしには特に突っ込んでこない。
狭いとこにはまりたがる姿を見慣れているからだろう。
昔からそうだったな。ひとりでいるとかくれんぼの鬼役みたいにひょっこり日野が顔を出して、ご飯食べようとかデパート行こうって連行されるのだ。
「そろそろご飯にしようと思うんだけど、お腹空いてる?」
「まあまあ」
「まあまあね。じゃあ、軽めにパンにしようか」
「あ、じゃあ、お皿出す」
つい昨日の夕食も日野任せだったことを思い出して、慌てて手伝いを申し出る。
施設で暮らしていた頃は、規則正しい生活がおくれるように職員さんが身の回りの世話を請け負ってくれていた。
だけど、これからは与えられるだけの雛鳥ではいけないのだ。
いずれ巣立っていくのだから、協力し合って共存していかなくては。
「それじゃあ、いただきます」
テーブルに向かい合って、手を合わせる。
今日の朝食はトースト、茹でたキャベツとプチトマト、ベーコンエッグ、コーンポタージュの軽めなメニュー。
あと健康にいいからと、コップ一杯の牛乳を添えて。
朝の澄んだ空気に、食欲をそそる朝食の匂いとクラシック曲の荘厳な奏が流れる。
高性能なオーディオ機器なのか、音を絞っていても音像ははっきり聞き取れる。
きれいな部屋と組み合わさるとリッチ感がすごい。
「彰子、卵焼くのうまいね。半熟だとたまに崩しちゃうからさ」
「レンチンしたやつ乗っけただけよ」
「時短にもなるしそっちのが便利だね」
ブラックペッパーを効かせたカリカリベーコンをかじり、さっくり焼いたトーストとの食感を味わう。
卵は生っぽい焼き加減が好きなんだけど、トーストに乗せる場合は固焼き間際まで熱を通さないと黄身がこぼれるんだよね。
ちなみに日野は蒸し焼きのケチャップ派らしい。
食卓にあったケチャップ、冷蔵庫にしまい忘れたんじゃなかったのか。人によっていろんな派閥があるなー。
「結婚生活ってこんな感じなのかなあ」
目を細めた日野がいきなりそんなこと言ってきたもんだから、ぶふっとコーンスープを吹き出しそうになる。
「朝ごはんを誰かと作って食べるって、実家にいたとき以来だから」
「ああ、そういうこと」
最近は時間がなくて朝ごはんを食べる習慣がない人も増えてるし、一緒に食卓を囲まない家庭も珍しくないけどね。
でも、その光景を現代の家族のかたちと捉えるのは寂しいなと思う。
朝食を済ませて、わたしは食器を洗っていた。
カゴに入れた食器は日野が水気を拭き取り、棚に収めていく。水はまだ氷のように冷たいので、お湯を出して。
結婚生活。
共同作業をしているからか、さっきの日野の台詞を思い返してしまった。
……いやいや。娘と母でも置き換えられるだろなんでそっちに想像が飛躍した。
ごまかすように、親子らしい話題を咳払いとともに切り出す。
「教員って朝早いよね? いつも何時くらいに出るの」
「遅くても7時半かなあ。基本は6時起きだね。ご飯は7時までに食べ終わる感じで」
部活を持っている先生はもっと早いスケジュールらしいが、わたしの高校は顧問は外部委託だ。
教員の人手不足が深刻化しており、働き方改革で負担を軽減する方針にしたらしい。
「じゃあ、それくらいの時間に起きられるようにする」
眠いからって、作ってもらった朝食をラップがけさせることはしたくない。
なにより、わたし自身にあこがれがあったのだ。家族と一緒に朝ごはんを食べたいという、温かい家庭への。
「は、早起きが習慣づいたら遅刻防止にもなるし」
「うん。いい心がけだ」
子供じみた願望を知られたくなくて、つい目線を逸らしつつ言い訳気味に早口になってしまう。
見透かしたように口角を上げた日野が視界の端に入って、後頭部に腕が伸ばされた。
「っ」
ちょ、ちょっと。
頭上を人の指が撫でて、むず痒さがぞわわっと上から下を通り過ぎていく。
ぎゅっと目をつぶってしまう。肩も無意識に縮こまっていた。
「あ、ごめん。嫌だったかな」
頭ぽんぽんって急にされたらイラッとするよね、と苦笑いを浮かべて、日野が指を引っ込めた。
「いや、べつに……」
嫌そうな顔になっていたのだろうか。
ちがう、そうじゃなく、むしろ。
とは言えず、首を振ってあいまいな言葉を漏らす。
「久々だったからびっくりしただけで、不快だったわけじゃない」
「そう。ならよかった」
距離感を測りかねてるのか、嫌じゃないと伝わったところで繰り返される気配はない。
無意識に日野の華奢な指を目で追ってしまう。
……なんで名残惜しくガン見してんだよ。なんで息苦しくなってんだわたし。
寒いキッチンなのに暑さを覚えて、ぱたぱたと手で扇ぐ。
変なの。くすぐったがりではないのに、むしろ脇腹やられても耐えられるレベルだったのに。
これも、相手を親代わりだと意識し始めているがゆえの恥ずかしさなのだろうか。
これが反抗期ってやつ?
食器を洗い終わって、ちょっと散歩に行こうと日野が言い出したのでマンションの外へ出た。
午前中の澄み渡った空の下を、ふたり並んで歩く。
天気は晴朗なれども、風は冷たく乾ききっている。日差しで判断せず上着を着込んで正解だった。
まだこの時間帯じゃ気温は低めか。
春の陽気は午後になってからが活動時間なのだろう。
「残念ながら、先生の春休みは数日で終わりなんだよ。明日からまた出勤なのです」
「教員ってほんと激務ね」
着いた場所は、すぐ隣の東口駅。
交通広場に植樹された桜の木の前で、日野は歩みを止めた。
見上げて、スマホを構える。少し若葉が見えてきた枝が涼風に揺れて、ほろほろと薄紅色のシャワーが降り注いだ。
「よかった、まだ散り際で」
「あと一週間遅かったら新学期に間に合ったのになぁ」
「んーん、むしろ今日で都合がよかったよ」
意味深なことをつぶやいて、日野は連れてきた目的を説明する。
「入学式……は1年過ぎてるけどね。写真を撮りたかったんだ」
「写真?」
「うん。せっかく桜が咲いているのだから」
「いいけどSNSには上げないでよ。数字取れないから」
「気にするポイントそこ?」
そういや施設育ちだから仕方ないけど、入学式も卒業式も写真は残ってないな。
っていうかそれ以外の行事も、卒アル用に隠し撮りされた写真の隅っこくらいにしか写ってない。
級友が親と撮影するのを横目に、わたしはさっさと帰ってたっけ。
「娘の成長は、これからどんどんここに収めていくぞー」
「あいにく1年前から成長は止まってしまいましてね」
軽口を飛ばし、白い絨毯と化した歩道へと立つ。
ちょうど風に煽られた花びらが舞って、何気なく開いた手のひらへと着地した。
おお、縁起がいい。ハンカチで丁寧に包んで、崩さないようにバッグへと入れる。
ポーズはお好きにーとスマホを構え始めた日野へと、ふと思いついて口にした。
「1枚撮ったら、次こっち来てよ」
家族ってそういうものだよね、と付け加えて。
日野が気を良くしそうな台詞を言ってみただけだ。べつに他意はない。
日野は今日一の笑みをほころばせて了承してくれた。子供みたいにその場で飛び跳ねながら。
どっちが年上なんだか。
「自撮りって難しいなぁ」
「あーちょちょ落ちる落ちる」
ぷるぷる腕を震わせて、いまにもスマホを落としそうな日野を危うげに見守る。
言い出しっぺのくせに、わたしは自撮り棒を持ってない上ツーショットを撮ったこともなかった。
交代するも、ファインダーに収めつつシャッターを切るタイミングがつかめない。
さっきから何度もブレてやり直してるもんだから、顔も肩もカチコチだ。明日の筋肉痛は避けられないだろう。
人通りは少ないとはいえ、通行人の何やってんだこいつらみたいな呆れた視線が痛い。
「あの」
ふいに、背後から声がした。年若い少女のものだ。
「よろしければ、代わりに撮りましょうか」
見かねた末に発したかのような、おずおずと控えめな声調だった。
機械の操作に四苦八苦する年寄りみたいに見えていたのだろうか。恥ずいな。
でもこのまま駅前でわちゃわちゃしてても邪魔になるから、できないものはできないと認めるべきなのだろう。
「すみません、お願いしてもよろしいでしょうか……」
諦めて、第三者の手を借りることにする。
振り返って、親切に申し出てくれた女の子にスマホを差し出そうとして。
わたしたちは同時に固まった。
「意外な組み合わせですね。おふた方が、そこまで仲がよろしかったとは」
「え、山葉さん……?」
視線の先には、あろうことかクラスメイトが立っていた。




