育む愛
※時系列:4月編あたり
人から優しくされることが怖い。
善意には限りがあって、わたしはその終わりを何度も目にしてきたから。
クラスメイト、先輩、教師、バイト先の上司。最初はみんな、人当たりのいい笑顔で迎えてくれる。
よほど知能的に問題がなけりゃ、ある程度年齢がいった人間は愛想を身につける。初対面でいがみあうメリットなんてどこにもないから。
同居してひと月。
まだ、日野の物腰は柔らかい。ボロが出ていないだけだからと思う。
優しくされるのは怖い。
見捨てられるのはもっと怖い。
だから一緒に生活していく以上は、いい子でいないといけない。のだけど。
わたしはその正解がわからない。
自分の発言が人を傷つけていないか、とった行動が無神経に映っていないか。
過去の行いは思い出したくもないほど非常識すぎて、すべてを黒歴史として葬り去った0の状態からわたしの高校生活は始まった。
ゆえに。自分を肯定できないから、常に行動を疑ってしまう。
わたし、いい子に振る舞えている?
「おかえり」
夕食を作り終えたタイミングで、日野が帰宅した。
働き方改革により教員の負担は減ったものの、未だ定時で帰れない人ばかりなのが教育現場の現状だ。
残業すればするほど、その公共料金は市の税金から出るため。1時間を超える残業は強制的に帰宅、と定められているだけマシなのかもしれないけど。
「ご飯、できてるよ」
「うん、ありがとう」
ラップ掛けしたおかずはすでに食卓に並べてあるので、ご飯と味噌汁をよそう。
料理はできないことはないけど、凝ったものは作れない。
ひとんちの冷蔵庫を変にいじくり回して、怒られるのが怖いほうが大きいか。
委託されるまでの交流でそう申し出たところ、日野はおかずを袋詰めした料理キットを宅配サービスで毎週注文するからと言ってくれた。
バリエーションも豊富だから、好きなものを作るといいよと。
短時間でさっと作れる上、栄養バランスもばっちりなので現代人の強い味方だ。
「それじゃ、いただきます」
手を合わせて、お互い空腹を鎮めるようにもりもり胃におさめていく。
今日の主菜はチキンとバジルの炒めもの。
にんにく風味のピリ辛ソースは食材と絶妙に絡み合って、お肉も野菜もいくらでも入りそうな美味さだ。
ブロッコリー、パプリカ、マッシュルームがゴロゴロ入っているので彩りもいい。ご飯じゃなくてパスタ茹でたほうが相性よかったかな。
「こんなに美味しいものが炒めるだけでできるなんて、いい時代になったよね」
「日野はちゃんと自炊してるからすごいよ。あれだけ働いたあとにご飯の支度なんてめんどすぎて、わたしだったらカップ麺かコンビニ弁当で済ませちゃうだろうし」
「確かに安いし楽なんだけど、塩分しか摂れないから将来の病気リスクを考えるとね……というか職場で、毎食そればっかだった人が痛風になって」
「昔は青臭くて野菜全般嫌いだったんだけど、今になってありがたみを知ったわ……」
先食べてていいよ、とも今日はどうだった、とも日野は聞いてこない。
教育現場にいるだけあって、思春期の子供という扱いに悩む存在を日野はよく熟知している、と思う。
「…………」
今日は、これくらいのコミュニケーションでいいだろう。
無難なキャッチボールを返せていることに安堵して、わたしは食事に集中する。食べるスピードを落として。
人より食べる方だと自覚しているわたしは、一口がでかいし早食いだ。
誰かと食事に行ったときは真っ先に食べ終えてしまうため、相手が完食するまで待つ時間が退屈だった。
食事中の会話は失礼だし、スマホは論外。ペースを合わせて食べなければいけないということに、相手から指摘されるまで気づけなかった。
だけど、日野とはだいたい同じタイミングで食べ終わる。向こうも合わせてくれているのかもしれないけど、早いとも遅いとも思ったことは今のところない。
日野もけっこう食べるから、素の咀嚼スピードが同じくらいなのかもしれない。
それって、すごくラッキーなことなのかな。
「ごちそうさまでした」
食器は日野が洗ってくれるということで、わたしは先に入浴を済ませることにする。
その後はずっと、部屋にこもりっきりで勉強だ。夕食以降会話らしい会話がないけど、あっちだって教材研究で忙しいから無理に話す理由もないよね。
さて、今日も一日何事もなく過ごせました。
電気を消して、ベッドに寝っ転がる。
何事もなく過ごせたということは、いい子でやれているということだよね。
できることは自分でやって、やれそうなことも進んでやる。お世話になる身ではあっても手間を掛けさせないように、あるべき姿を模索して。
「…………」
ぼうっと、何も見えない真っ暗な天井を眺める。
最近、余計なことを考えてしまうのだ。
赤の他人と同居するのであれば、大人しく過ごすのが正解。
だけど日野は、里親。親代わりを申し出てくれた、今の保護者だ。
親の前では子供は、多少なりとも我を出すもの。
『遠慮しなくていいよ』
『甘えたいときはいつだって来ていいよ』
ここに来た当初、日野はそう言ってくれた。
それって、どこまでの範囲?
それとも、『わからないことがあったら何でも聞きに来てね(ただし何も考えず聞いてきたりいつまでも覚えないのは論外だよ)』的な、聞こえのいい社交辞令?
もし、言葉通りの意味で言っているのだとしたら。
日野は、どんなわたしを知っても里親として接してくれるのだろうか。
「アスカってさ、忍耐強いよね」
「あ?」
いきなり褒めるとかこえーな、とアスカが眉をひそめる。
翌日、バイト先のバックヤードにて。
たまたま今日は一緒のシフトだったため、着替えたタイミングで昔のルームメイトに聞いてみた。
よく、こんな問題児と同室で耐えられたよねって。
「昔のわたしって、相当ヤバかったでしょ。なんかいつもイライラしてて、人に迷惑かけまくってた」
今振り返ると意味不明だ。なんでわざわざ、人の嫌がることを進んでやるんだろう。そりゃ嫌われて当たり前だよなって。
「いーや、あれは構ってちゃんそのものだったよ」
「は?」
本人ですら理解できなかった行動を、アスカはあっさりと問題児にありがちな性格タイプの言葉にまとめた。
気を引きたいから、わざわざ嫌がらせなんかするの? 好きな子にいじわるする男子よりももっと悪質なのに?
「ぶっちゃけアキ、自分のこと嫌いだろ」
「うん」
むしろ、どこを好きになれと言うのか。
生まれてくるんじゃなかったって、何度思ったことか。
どうしてDBに産んでくれなかったのか、見当違いな怒りを親にすら抱いたことがある。
「そこだよ。こんな自分は誰にも好かれるわけがないって思っちゃうから、わざと嫌われるようなことすんだろ。自己防衛で。いつか愛想を尽かされる瞬間が恐くて、自分で嫌われる理由作っちゃうんだろ」
言葉にされると、どうしようもないクソガキだ。
完全にアスカの分析を否定できなかったのは、どこか思い当たる節があったから。
優しくされた後に冷たくされるくらいなら、最初から嫌われていたほうがマシ。嫌われることには慣れているから。
あの頃のわたしは、確かに周囲を仮想敵とみなし勝手に闘っていた。
その結果嫌われたとしても、『ああ、やっぱりね』って安心してしまっていた。
目の前に座る、ただの一度も喧嘩に勝てなかったこいつが現れるまでは。
クソ生意気なわたしを真正面からボコり、徹底的に力でわからせつつも。
決してルームメイトを解消することはなかったアスカとは、なんだかんだで続いているのかもしれない。
「それって、醜い自分を知った上で肯定してもらいたい構ってちゃんなんだよ。本当に自分なんて好かれるわけがないと思っていたら、他人に対して何のアクションも起こさないだろ」
わたしの甘えを鋭い言葉に乗せて、アスカは目を細めた。
鋭利な視線に、ざわっと肌が粟立つ。
取っ組み合いの喧嘩になったときにいつも見せていた、強者の表情で。
「わかるよ、うちらは捨て子だし。無償の愛を与えてくれるはずの親に愛されなかった奴らに、自己肯定感なんて育ってるわけがない。だけどそれは、他人がどうこうできるもんじゃないんだよ」
「ほんと、そこまで判っててよく耐えられたね」
アスカも当事者なのに。押しつけがましさがないのは、本当のことしか言っていないからだろう。
自分は行動原理を知ってるからお前ともやっていけるけど、他の人はそうはいかないからな、と。アスカなりの注意喚起をしてくれている。
「……まさかお前、その迷惑極まりない試し行為を里親にもしてないだろうな?」
「う」
即座に否定できず、ぎこちなく首だけを振る。
だいたい、人に自分ってクズだよなって認識させるような話題を振る時点で。アスカは薄々察していただろう。
「正直に言いなさい。しましたか?」
「し、してないよ。本当にしてない」
嘘は言っていない。
だけど、考えてみたことはあった。
矛盾した感情だ。
見捨てられたくないからいい子を装って、それが義務感からくる苦痛とはいっさい感じない居心地のいい環境にいるのに。
時折順調な現状が不安になって、どこまでなら愛情を持って叱ってくれるんだろと思ってしまう自分がいる。
「してないならいいけど、本当にするなよ。里親になるってどれだけの覚悟か、アキは解ってんの?」
わたしの眉間に指を押し当て、ぐりぐりとアスカは穴でも開けるんかってくらいの強さで力をこめる。痛い。
日野の責任感の強さがどれだけすごいものか、さすがにわたしでも分かることだ。
人の親になるってだけで大変なのに。施設に預けられるような問題児ばかりを、我が子として育てようと迎え入れてくれる。
教員という、これまた忍耐力を必要とする仕事に就いたうえで。
ほとんどの人間には務まらない役割だろう。だから手間のかからないDBが広く受け入れられているわけだし。
……ゆえに、その愛情がどれほどのものか。試そうと思ってしまったのかもしれない。
「そりゃ、出会ってまだひと月の相手だから不安なのはわかるけどさ。でも、不安を晴らそうと試していれば、本気で向き合おうとしている人を傷つけていることになるよ。これでも私が好き? これでも好きでいてくれる? ってエスカレートしてって、相手には信用されていないことが伝わるだけだからな」
つまりは。わたしが低い自己肯定感をどうにかしない限りは、永久に日野には不誠実にしか向き合えないだろうということ。
自分が何をしても好きでいてくれることが、本当に愛されることではない。
人に言われて初めて。わたしは自分を守ることばかり優先していた、独りよがりの欠点に気づいた。
「改めて振り返ると、どうしようもない構ってちゃんだね……」
「まあでも、自分かわいさが少しでも残ってんならマシじゃん」
「え」
急に鞭からの飴発言が出てきて、目が点になる。
まるで褒め言葉のように、アスカは屈託なく笑って、わたしにぴぴぴとデコピンをかました。
いってえ。行動は鞭のままだ。
「自分を受け入れてもらいたいんだろ? それって、愛される可能性があるかもしれないんだって、自分に失望してない証拠だと思うけど。自分自身すら完全に見捨ててたら、何もするわけがない。好きの反対は無関心だよ」
「…………」
自分の欠点となる言葉が、希望のある意味になって返ってくるとは思わなかった。
あんた本当に施設出身のVBなの? なんかもっと上の人を相手にしてる感覚なんだけど。
「伊達に、これ以上ない反面教師とルームメイトやってなかったんでね」
もう施設にゃ戻ってくんなよとアスカは会話を断ち切り、厨房へと行ってしまった。
「…………」
髪をまとめ、ハンチング帽子を被る。
思えば、こうやってびしっと指摘してくれる人って貴重だな。
いや今までにも注意してくれた人は何人かいたけど、わたしは素直に受け取れず反発していた。
言われているうちが華なんだって、やっと身をもって知ることができた。
これまでの人生には後悔しかないけど、出会う人には恵まれているのかもしれない。
「ただいま」
「おかえり」
帰宅すると、いつもと変わらない笑顔で日野が出迎えてくれる。
これまで、わたしは愛に渇望していた。
人を愛さず、試し行動ばかりを繰り返していた。
じゃあ、わたしが自分自身を肯定できるようになる条件ってなんだ?
考えてみれば、答えはシンプルなものだった。
「日野」
時計を指差し、お風呂に入ってもいいかと伝える。
「いいよ。私はもう済ませたから」
「10時から、××ってドラマやるよね。あれ、こないだまとめ見たら面白かったから。今日から毎週見ようと思う」
「おー、彰子もあの面白さをわかってくれたか。視聴率低いからって、職場じゃぜんぜん観てない人ばっかなんだよね」
10時であれば、いつもわたしは机に向かって勉強をしていた。
余計な会話は極力押さえようと、最低限のコミュニケーションで済ませようとしていた。
今はどうしたら目の前の人を笑顔にできるか。考えて行動することによって、もっと日野と仲良くなりたいと思い始めてきた。
そうすることで、わたしは少しずつ自分を肯定できるような気がした。
「それじゃあ、美味しいお茶とりんごを剥いて待ってるからね」
「あ、ごめん。剥くのはやってみてもいい? できるようになりたいから」
簡単な調理法の料理ばっかやってたせいで、わたしの包丁スキルは桂剥きすらできない。
ちょうど教えてくれる人が目の前にいるのだから、いい機会だと思ったのだ。
「おーけー。まずは一緒に包丁を動かして覚えていこうね」
「うん、よろしく。先生」
日野はまかせろと両のこぶしを握って、笑顔で応じてくれた。
頼られること、頼ること。少しずつ、信頼関係が築かれているということ。
積み重ねていく思い出に、温かいものが胸に広がっていく。
この日常を、いつまでも守りたい。
そのために、わたしはもっと日野と仲良くなろう。愛を、少しずつ育んでいこう。
緩む頬を押さえて、わたしは脱衣所へと向かった。




