【皐月視点】ももいろほわいとでー
※時系列:バレンタイン回の後日談
「彰子はホワイトデー、なにが欲しい?」
「特にない」
バレンタインを迎えて2週間ほど経った夜。
夕食後に来月のイベントを振ってみたところ、あっさり振られた。
「それだと話終わっちゃうだろー」
「お返し目当てであげたんじゃないから。義理でも嬉しいって人はいるだろうけど、もらった側は負担しかないイベントでしょ」
「義理チョコ文化なくそうって呼びかけてるよね……元々は製菓会社が売上のために広めたのに」
「昔、羽振りがよかった時代あったじゃん。おごってもらって当たり前だったって。倍返しを狙って義理チョコあげてたって話聞いて、なんだそのタカリ根性って呆れたわ」
「ああ、3倍返しのワードってそこからなんだね……」
今もこの悪しき文化が残っていたら……考えたくもないなあ。
バレンタインのやりとりを思い出し、胃がキリキリ痛む。
なので、教え子たちからもお返しは不要だとあらかじめ言われている。
学生同士ではスルーしてもいいけど、大人の世界はそうもいかない。
民間から転職した高齢の先生が『返礼がないと女性社員を敵に回しますし、他の女に出費することには当然妻もいい顔をしないので』と板挟みの苦労を話してくれた。
「本命は……別なのに」
思わずいじけた口調になってしまう。
だって、不公平だ。
バレンタインをお返し目当てにあげたわけじゃないんなら、ホワイトデーだってお返しといった義務感を抜きに過ごしたい人だっているはずだ。私がそうなのだから。
恋人であれば……特に。
言葉で意識してみると、胸の奥がむずむずと痒くなる。
かつては親戚のひとりで、いろいろあって里子になって、またいろいろあって……少女漫画も真っ青の複雑怪奇な過程を辿っている。
むっすーと不満を膨らませた頬には、やがて人差し指の腹が押し当てられた。
「お返しはいらんとは言ったけど、ホワイトデーしないとは言ってません」
ぶにぶにと突かれて、両頬が手のひらに包まれた。機嫌直せと言ってるかのように、軽く撫で擦られる。
かまってくれたのが嬉しくて、ふへへと緩んだ声が漏れた。
瑞々しい高揚感に、心臓が弾む。
今まで抱いたことのなかった、彼女にのみ湧くこの感情こそが今の関係性を自覚させる。
「あー、遺伝子って不公平。顔ちっさいし肌赤ちゃんかっての。なんで同じシャンプーとリンスなのにこんな髪サラッサラなわけ? 髪痛みまくりの芸能人と違ってアイロンも縮毛矯正もしてないくせに」
悪態混じりに褒めてくれるのが面白い。無いものねだりだって言われそうだけど、私はVBの多種多様な顔つきのほうが好きだ。
全人類がDB化したらつまらない世界にしかならないと思うんだけどな。
「撫でて。もっと撫でて」
「今日はもうおしまい」
「なんでー」
彼女とこういう関係になってから、自分がちょっと子供っぽくなったかなと思う。
立場的にもっと上らしく振る舞わなきゃいけないところを、ときどき甘えたくなってしまう。甘やかしたくなる日もあるけど。
「なんでって……そんな目とろんとさせてる美人を目の前にした、わたしの気持ちにもなりなさいよ」
「だって彰子の手が気持ちいいんだもん……」
「煽るな」
何度もしているやりとりを交わして、今度は彼女のほうから胸に飛び込んできた。
これで最後だからってぼそぼそ言いながら甘えてくる仕草が、たまらなく愛おしい。
ぎゅーって効果音を口にして、腕を彰子の背中に回した。
「ところでお風呂湧いたけど、先入る?」
数秒ほど抱擁したのち、離れた彰子はいつも通りの平坦な顔と声に切り替わっていた。
私達の間に科せた、暗黙のルールである。
引いていく熱に名残惜しさを覚えつつも、平静を装って応えた。
「後でいいよ」
「わかった。じゃ、入ってる間にデザート作っておく」
「わぁい」
さっきの見つめ合っていた体勢とはうってかわって、彰子はさっと背を向け風呂場に向かってしまった。
私もハグ直後で平常心を保つのがギリギリだったため、何も言わずソファーに腰掛ける。
TVを点けて、見もしないバラエティ番組に切り替えた。余計な音を拾わないために。
こんなんで、卒業まで我慢できるのかなあ。
教師としても親としてもあるまじきすぎることを考えながら、体育座りのポーズを取る。
さっきまでの密着していた感触が蘇ってきて、胸がきゅうと疼いた。
先に風呂に入らなかったのは、まだ彰子の香りを洗い流したくないから。
他人が聞いたら間違いなくドン引かれそうな欲を抱いて、記憶が鮮明なうちに一人妄想に耽る。
お互い気づいているけど気づいていないふりを、もう随分も前から取っていた。
ちゅーとぎゅーまでだったらいいよ。告白のときに定めたラインからは、はみ出すことなく清く正しい交際関係を続けている。
けれど、一つ屋根の下というある程度の自由を与えられた環境は、たびたび私達の理性に揺さぶりをかけてくるのだ。
性別や種族に囚われない時代になっても、年齢差がある交際に難色を示す人は多い。
芸能人の年の差婚は”10代のうちに知り合っていた”なんて情報がリークされたら、ほぼ間違いなく炎上案件だ。
教師と生徒なんぞ、その最たるものである。
それどころか、かつて里子に迎えて本当に娘として接していた子が相手となっては。
成人して正式に籍を入れても、どこまで身内に公表していいものか悩ましい。好ましくない人の耳に入る可能性だってあるのだから。
私はいくら罵られても我慢できるが、それによって彰子が傷ついてしまうのかと想像すると耐え難い痛みが胸に湧く。
「…………」
頬を叩く。下へ下へと沈みかけていた気持ちを引っ張り上げるために。
あの子は何もかも承知の上で、たくさん悩んで覚悟を決めて私に打ち明けてくれた。
そして私自身も、もう想いに嘘はつけないのだ。
私が守り抜く。私が幸せにする。
里親と教員と恋人、いずれの立場でも。
そのためにまずは、限られた時間の中でささやかな幸せを積み重ねていこう。
丸まっていた身体を崩して、ぐいんと伸びの姿勢をとった。軽くストレッチを終えて、意識をTVへと向ける。
でも、お返し文化じゃないホワイトデーって何をするんだろう。Why,Today?とくだらないシャレが浮かんだ。
「それは当日まで内緒」
「ケーキでも食べるの?」
「食べたいならそれもいいけど、簡単に用意できるものだから大丈夫」
風呂上がりに彰子から聞いてみたところ、はぐらかされてしまった。
まあ、簡単に用意できる言葉を信じて深くはつっこまないことにしよう。
ちなみに、今日のデザートはフルーツチョコフォンデュだ。
生徒から頂いたチョコをこうしてアレンジして、彰子と消化している。それが彼女なりの嫉妬の抑え方なんだそう。
「もうすぐ完食できそうだね、これ」
楊枝を刺した苺に溶かしたチョコをたっぷり絡める。
爽やかな果実と濃厚なカカオの風味がうまく調和している。私は練乳よりもこっちのほうが好きだな。
「……ごめんね、めんどくさくて」
飽きちゃったでしょ、と彰子が申し訳無さそうにチョコをかき混ぜる。
「ううん。何が許せて、許せないラインかははっきり出してくれたほうがありがたいよ。君が表に出せず我慢し続けていたら、私はどんどん許容量を超えていってしまうかもしれないから」
誰に対しても好かれることは無理だとしても、彰子からは絶対に嫌われたくない。
それはなによりも『恐怖』なのだと、この身体でも本能に刻み込まれている。
「それに甘いものは好きだし、毎食続いてるわけじゃないから。毎回違うレシピで作ってくれるから、けっこう楽しみにしてるんだよ」
「ど、どうも……」
めんどくさいだなんて、少しも思ったことがない。
出会った当初の彰子は仏頂面だったけど、1年ほど暮らすと些細な感情の機微が読み取れるようになってきた。
教員ゆえ普段たくさんの生徒と接していると思うのが、VBは感情豊かだということ。
何に喜び、悩み、悲しみ、怒るのか。
今をがむしゃらに駆ける10代の瑞々しさは、見ていて飽きない。
けれど、現代人はそういった”負の感情”を争いを招く余計な機能とみなし、抑えつけることに決めた。
もはや、人は分かち合えるという綺麗事は通用しないと知ってしまったから。
なので我々DBは人間の汚い一面が出ないように抑制されているし、人の苦しみに完全に寄り添うことはできない。無表情とはまた別で感情が希薄にあるのだ。
人間性の否定にも程がある所業だが、人類の歴史を振り返ると極論に行き着いてしまった彼らの主張もわからなくはないのだ。
これから先、どんどん次世代のDBは人間性が失われていくのだろう。
最適化の世界をつくっていくために。
「私はさ、この研究ってどこかで必ず綻びが出ると思っているよ」
「そうなの?」
さっきの845ニュースでは、さらなるゲノム解析が進んで知能や身体能力にすぐれた個体を生み出すことに成功したと華々しく報道されていた。
与えられたカードで頑張っている彰子には気分が悪い情報だろう。
けれどチャンネルを変えることはせず、まっすぐ耳を傾けている姿勢には惹かれるものがあった。
なので、フォローと呼べるかは危ういけど、まだ人間性が残されている自分なりの”NO”を口にする。
「人が何者かになれるかどうかなんて、何に興味を持つかで決まると思うんだよね。例えば私の元の親はアイドルになってほしかったみたいだけど、結果は教員からの里親になった。ぜんぜん意図した結果にならなかったよね」
「あんまり人の親を悪く言いたくはないけど……無事に生まれてきただけで奇跡なのに。容姿で判断して失敗扱いするって、いかに”DBは思い通りに生まれてきて当たり前”って物と見てるか分かる。ほんと、見る目なさすぎ」
呆れたようにため息をついて、彰子は腕を絡めてきた。
向けてくれる独占欲が嬉しい。お返しに頭をわしゃわしゃ撫でる。
我が子が苦労しないように生きていってほしい。
それは親なら誰しもが抱く願いかもしれない。だから良い環境で暮らしていけるよう、幼いうちから学を見に付けさせる気持ちも理解できる。
けれど、教育虐待なんて言葉があるように、結局は子ども自身が学問に意欲を持って励めるかがすべてだ。
それは『教育ではなく遺伝子操作の段階で優秀な個体を生み出し、スタートから差をつけさせる』なんて考えていても変わらない。
持って生まれた能力を何に生かそうとするかは、その子自身が選択していくのだから。
親には、ある意味感謝している。私を早々に見限って、自由を与えてくれたことに。
おかげで私は、彰子と巡り会えた。
そして彼女と生きる道を”選択”できたのだから。
というわけで、楽しみに待っていたホワイトデーの朝が来た。
ちなみに冬場はエアコンが届きにくい和室は寒いので、彰子の部屋で寝床を共にしている。
毎朝5時半と6時と6時半にセットしている目覚まし時計のアラームが意識をゆさぶり、肉体へと戻ってきた。
目覚めは爽やかとは言えない。甲高い電子音に安らぎを妨げられたら、誰だってそう思う。一刻も早く聴覚から追い出してしまいたい。
まだ眠気から浮上途中の重いまぶたをこすって、腕を伸ばす。
「うむむ」
伸ばす。
「むぐぐ」
届かない。枕元の壁に取り付けたウォールシェルまでには程遠く、未だ腕は布団の中。
胴体が押さえ込まれていては、私の短い手足では布団をめくることすら叶わなかった。
抱き潰すってこういう状況のことを指すのかな。
「…………」
元凶の少女はまったく動じない。
部屋全体を震わせるうるさい音にも動じず、安らかな寝息を立てている。
私の背中にがっちり腕を回し、長い脚を腿に絡めて。
起きて。起きてください。
体格差から自力脱出は不可能と諦め、暴れる芋虫みたいに自由な顎をぐいぐい動かす。
何度か身じろぎしたところで、彰子の眉間にシワが入った。
うぬぬぅ、と寝言らしきものが漏れる。
意識が朝の呼びかけに反応したのか、不快そうに顔をしかめて拘束をほどく。
彼女の長い腕が毛布から外に這い出て、やがて電子音が止んだ。
「起こして」
矛盾した一言を吐いて、彰子は再度私の背中に腕を絡めた。
今度は腕の下から回されたから両腕が自由になったものの、起床を妨げられている現状は変わっていない。
起こしてって、どうやって?
叩き起こす……なんてことはできないからひたすら呼びかけてってこと?
質問を飛ばす私に、彰子が眠たげなふにゃふにゃ声で欲求を口にする。
「ちゅーしてくれたら起きます……」
もう起きてるだろ、といった野暮なツッコミはさて置き。ストレートすぎるおねだりに変な声が出そうになった。
いつもなら億劫そうにだらだら身体を起こして、私の手を煩わせるようなことはしてこないのに。
甘えてくれるのは嬉しいけど、なぜこのタイミングで。
「ホワイトデーの権限なので」
「あ、そういうこと」
こんなイベントにかこつけなくたって、したいなら言ってくれればするのに。
ぎゅーはけっこうやってるけど、ちゅーはあんまりしない。
彰子自身が照れ屋だからなかなか言えないのかもと微笑ましく思っていたけど、ここで大胆に行使するとは。
しかし、私からするのは初めてな気がする。年齢と立場的に犯罪になってしまう背徳感からできなかったってのが大きいか。
もちろん不意に奪うのは性的同意を破ることになるし、互いがほしいタイミングでないと難しいのだ。
「わ、わかったよ」
頬に手を添えて、そっと目をつぶる。
緊張で指がかたかた震えていた。たぶん唇もそうなっていると思う。
人に触れるって、すごく勇気がいる。
そういうことに厳しい世の中だけに、触れられることが許されているんだって自覚すると頬から燃え上がっていきそうになる。
すでに熱いと感じてきた布団の中で、私はおそるおそる距離を詰める。
互いの吐息を感じ取れるようになって、熱が重なって、やがて。
「…………」
着地した柔らかさに、心臓がどっどって高鳴り始めた。紛れもない現実を、生を主張しているかのように。
ただ唇をくっつけているだけなのに、奥底で眠っていた感情が渦を巻いて身体の隅々を駆け回っている。
好きな人と交わす口づけというのは、魔法にでもかかっているかのような気分だった。
どれくらい、重ねていただろう。
最後は溜まり続ける熱に耐えきれなくなって私は顔を引いた。こもった熱源を逃がすべく、布団を頭から跳ね除ける。
「足りない」
「え」
眠り……狸寝入り姫は不満げな視線を向けると、腕を伸ばして後頭部をがっと掴んできた。
絶対額がぶつかるだろって力で引き寄せて、またも唇に吸い付く。食らいつくってくらいの力強さだった。
「む、……ぅ」
今度は触れるだけでは済まなかった。奪われた衝撃で放心していた中、熱くぬめるものが口内に滑り込んできて身体が硬直する。
なに、これ。こんな深い接吻を私は知らない。
そういうドラマや漫画を見てこなかったわけではないけど、ラブシーンにはそこまで関心がない人間だったので流していた。
アダルトな世界だと思っていた未知の感覚が、私を侵食する。
彰子の渇きはしばらくおさまらないようだった。
まるで食べようとしているみたいに、私の口内は好き放題に翻弄される。
かき回して、今度は舌根から向こうの中へと引きずり込まれる。
両方の味が混じり合って、いやらしい音が漏れる。
口端からたらりと、激しい口づけを物語る粘液がこぼれていく。
ぬるぬる自分のなかを這い回る気持ち悪さと気持ちよさと熱さと苦しさに、溶かされてるんだと思った。
頭のふわふわとくらくらに揺さぶられて、意識が途切れていきそうだった。
永遠にも思える時間が過ぎて、ようやくぬるんと舌が引き抜かれる。
ぼけーっとフリーズしてる私の目の前で、彰子は満足げに笑った。ティッシュを引き抜き、口の周りを軽く拭く。
「これで、今日は忘れないでくれる?」
「え、あ」
「ほんとはキスマとかにしたかったけど、万一バレたら困るし。なのでこっちにした。ちゅーで一番忘れられなさそうなことをして、ホワイトデーをずっと覚えていたいなって」
そ、そ、そういうことかあ。
今日どころか生涯忘れられないってくらいに刻み込まれたんだけど。
というか、こんな頭で今日授業できるか危ういんだけど。
いきなり特大の燃料を流し込まれたもんだから、処理落ちした肉体ではまったく整理が追いつかない。
「あーもう、起きなさい」
未だ固まっている私に苦笑いを向けて、彰子はもう一度、触れるだけの口づけを落とした。
迎え酒ならぬ迎えキスを受けて、軽く背中を叩かれようやく筋肉が稼働する。
また固まる前に布団から這い出て、ぜーはーぜーはーと深呼吸を繰り返した。
「……あの、彰子さん」
「なんでしょう」
「もう一日ずっと君が頭から離れそうにないんだけど。どうしてくれるんだよぉ……」
「よっしゃ、効いてる」
「はしゃぐとこじゃないー」
加減しろばかぁと子供みたいに手を振り回す私を、なぜかあやすように彰子は笑いながら頭を撫でる。
からかわれてる、絶対。
なのに悪い気はしないのが恋の魔力というやつか。
たまにこうして主導権を握ってくるから、末恐ろしい子だ。
どんどん女を覗かせてくる彼女に煽られて、同棲生活がいろいろ危ういものに変わってくる予感が近づいてくる。
けれど、以前よりもずっと楽しそうにしている彰子を眺められる日々というのは幸せなものだと思う。
その特権が自分だけにあるというのは、贅沢なものだ。
こうして彰子と過ごす最初のホワイトデーは、白どころじゃない文字通りのショッキングなピンクに染まったのであった。
いや、頭真っ白になったからある意味合ってるのかな。
ホワイトデーネタは以上となります
久々に彼女たちを書けて楽しかったです




