お祭り
時刻は午後7時半をまわったところだけど、辺りはまだうっすらと明るい。
群青色に夕焼けの残滓が混じり合う空の下、わたしたちはマンション付近の公園のベンチに座っていた。
スーパーで売っていたおもちゃ花火を手に持って。
もちろん、虫よけスプレーと後始末用のバケツも忘れずに。
「花火っていつ以来だろう」
「禁止してる自治体多いものね」
考えることはみんな同じなのか。
そこかしこから色鮮やかな噴水が吹き上がって、火薬の匂いが鼻を突く。
公園では午後9時まで・はしゃがないというルールを守れば許可されているため、耳に届くのはしゅわーっと火花が爆ぜる音ばかり。
治安が良いとこでやるとやっぱ違うねえ。
「ごめん、急遽予定変更して」
「別に構わないよ」
夏インフルの感染状況を考慮し、祭りは会場に行かずひっそりやろう。
そうわたしは提案した。お詫びとして、おもちゃ花火と屋台飯を買って。
「君にだけお披露目できればそれでいいからさ」
歯の浮くような台詞と一緒に、日野はその場でくるんと周る。
シックな藍色の布地に白く浮かび上がる、撫子と菊の花。
帯は金色で、大人びた印象を与える浴衣に彩りを添えてくれる。
ヘアアレンジはわたしがやった。
ふたつに編み込んだ髪をさらに編み込みアップにまとめて、仕上げにちりめん生地椿のかんざしで華を添える。
和モダンな雰囲気をまとった日野は、花火にも劣らぬ輝きを放っていた。
って言うと大げさな表現だけど、それくらいわたしは見た瞬間に目眩を覚えた。
夜が深まりどんどん暗くなろうが、日野の周りだけはぼんやり灯籠で照らされてるように見えるほどだ。
親バカならぬ子バカだわ。
ちなみに浴衣はわたしも勧められたけど、暑いし蒸れるので遠慮した。
「どうかな」
「い、いいよ。うん。めっちゃいい」
バグったロボットのようにかくかくかくと頷く。手も叩く。
日野は得意げにふふんと胸を張ると、ベンチのビニール袋に手を伸ばした。
「花火の前に……ご飯食べてもいいかな。お腹空いちゃって」
「いいけど、ここすげー火薬くさいよ」
気にせず日野は焼きそばパックを取り出し、輪ゴムを取る。
うちの彼女は色気より食い気だ。
「彰子はいい?」
「いまは空いてないや。花火やってるから見てて」
「たーまやー」
「まだ着火しとらんわ」
ずずずと焼きそばをすする日野を横目に、着火マンを取り出した。
なめらかに揺れる火に紙製の筒を近づけ、先端を燃やしていく。
手持ち花火は程なくして発火し、小気味いい音とともに火花が吹き出し始めた。
「おおー、きれい」
白い炎にまとわりつく光は、徐々に色を変えていく。
青から赤、黄色、緑へと。
じっと見つめているとまぶしくて、目がちかちかする。
暗い空に視線を投げても、眩んだ目からは淡い光の玉が宙を飛び交っているように見える。一時的な飛蚊症みたいだ。
日野に目を向ける。一心不乱に焼きそばをかっこみながら視線は花火に釘付けという、器用な食い方を披露していた。
どっちかになさいよ。
この花火は色の変化を楽しむつくりなだけに燃焼時間も長く、炎の流れ方も変わる贅沢な一品だ。
最後の輝きはもっとも派手で美しい。
光を噴射し燃え尽きていく数秒間は、さながら流れ星のようだ。
「次、私もやる」
「何がしたい?」
「線香花火かな」
意外だ。まだ買ったやつ半分も消費してないのにこれって。
ちなみにわたしの中での線香花火は、酒の締めのように最後にひっそり燃やして終わるものだと思ってる。
「もっと派手なのがいいのかと思ってた」
「だって、これがいちばん近くでできるからね」
……なんでそういうことさらっと言えるかな。
火薬臭いわたしに腕を回してくるもんだから、ちょっと積極的な日野の姿にいちいち情緒を乱されてしまう。
というわけでくっついてしゃがみこんで、伸ばした手から花火の紙筒を垂らす。
線香花火は雰囲気を愉しむものだ。
ぱちぱちと繊細な音がはじけて、花吹雪のように細やかな光の粒が宵闇にきらめく。
花火の光に照らされて、夜の闇にぼけかけていた日野の輪郭をはっきり捉える。
輝く瞳、オレンジ色に染まる肌、ちらりとのぞくうなじ。
そして、わずかな明かりでも艶めく唇へと。
友人たちから焚きつけられたこともあり、無意識にタイミングを伺ってしまう。
花火終わったタイミングで、ちゅーできないか、なんて。
「彰子、よそ見したら危ないよ。手元見ないと」
「ご、ごめん」
見すぎて怒られてしまった。
あわてて花火に視線を落とす。
爆ぜる光を眺めながら、わたしはなんとなく聞いてみた。
「そいやさ。なんで急に一緒に寝たいって言い出したの」
この暑さだし、夏が落ち着いてからでもよかったはず。
最初はわたしに気遣ってくれてるのかと思ったけど、だったらあんなに真剣に寝具選んだりしないしな。
それに布団に入ると、日野はわたしにしがみついてくる。
抱きまくらかってくらいに。
かつて寝相悪いから私を拘束して、なんて冗談めかしてたくせに。
今は毎晩わたしが拘束される側だ。
「あー、んー……この時期は心細くなるから、かな」
「時期?」
誰かのぬくもりが恋しくなる季節とは、もっとも夏はかけ離れている。
燃える花火を見つめる日野の瞳が揺れて、愁いに沈んだ表情に移り変わる。
「夏になるとよく、夢に出てきてね。気がつくと川の中にいて、なすすべもなく流されていくんだ」
「え、溺れかけた経験でもあったの?」
「それはないけど、映像で繰り返し見てからね」
海のホラー映画はよく聞くけど、川が舞台のホラー映画なんてあっただろうか。
もしかすると最初に添い寝した夜、うなされてた夢も水関係だったのかもなあ。
「だから、彰子さえよければ今夜もよろしくね」
「別に今日と言わず終日つきあってもいいけど」
思わぬところで頼られていた事実に、わたしは密かにやる気をたぎらせていた。
やがて、線香花火の小さな火の玉が落ちて。
ふっと明かりが消えて、静寂と暗闇に包まれる。
いまだ、と思った。
「ねえ」
してもいい、とわたしは勢いに任せて欲を振り絞った。
こんな真っ暗な空間でも、すぐ隣の人の姿はちゃんと視認できている。
「あー……」
察したように日野は唇を指差し、わたしがうなずくとがばっと頭を下げた。
「ごめん。焼きそば食べた後だから。ミントタブレット置いてきちゃって」
ですよねー。
風呂上がりに誘えばよかったかなと自信が急降下していくわたしへと、日野は焦ったように肩を叩く。
「で、でも。こっちならいいよ。彰子はなにも食べてないだろうし」
わたしの手を取って、日野はおでこへと指を引き寄せた。
すべすべした肌を指先に覚える。
あまりのなめらかさにえ、赤子かよと失礼な表現が飛び出てしまった。
「ベビースキン並みはさすがに褒め過ぎだよー」
「肌なら褒め言葉として受け取ってくれるんだ……」
さて、いつまでも待たせるのは失礼だ。据え膳食わぬはなんとやらだし。
ちゅーは恥ずかしいけど、でこならほっぺよりもハードルは低い。はず。
「じゃ、じゃあ。参ります、よ」
「へいかもーん」
キスの合図とは思えない掛け声とともに、わたしは唇を寄せる。
日野の髪の香りが強くなって、熱を感じて、やがてきめ細やかな肌が触れた。
し、しちゃったよ。
大丈夫かな、わたしの口かさついてなかったかな。
日野はブレスケアを気にしてたし、こっちだってリップケアを気にするべきだったよね。
あわわわと口元を手で覆うわたしへと、なにがおかしいのか日野はからからと笑う。
「刺激的な夏って感じだね。青春ばんざいっ」
わたしが言うべき台詞をかっさらい、ふたつの拳を天高く突き上げる。
ば、ばんざーいと。遅れてわたしもふにゃふにゃの声を打ち上げた。
打ち上がる前に墜落しそうだけど。
帰ってからも日野はうひひとにやつきながら、しきりに額を触っていた。




