恋愛希望調査
意中の相手の有無と、同性は日野にとってそういう対象かの確認。
聞きたいことのうち、ふたつは知ることができた。
しかし、養子。養子かあ。
予想の斜め上の提案を受けて、ぬか喜びで終わったあとは放心状態でモールを後にした。
そこからずっと、ふわふわとおぼつかない感覚が抜けてくれない。
気づけばあの日から1週間ほど日付は飛んでたけど、体感的には3日くらいしか経っていないように思える。
勝手に舞い上がって地に落とされて、なのに心は宙ぶらりんだ。
9割方わかっちゃいたけど。
日野の中ではわたしは結局、あらゆる意味で子供なのだ。
むしろ好意的に解釈してくれただけマシだ。
『えっ、家族になりたいってそういう意味とか気持ち悪。同居はムリムリのカタツムリ。じゃあの』
とか言われて委託解除されたら、もう明日からどうやって生きればいいのかわからない。日野そんなこと言わないか。
「今日、これ配られたんだけどさ」
夕食を済ませて、明日のご飯のセットを終えたところで。
日野に、今日学校でもらった一枚の紙を見せる。
「ああ。”恋愛希望調査”? そっか、ついに来たんだね」
懐かしいなー、と日野はプリントを受け取り、興味深そうに項目をじっと眺めている。
恋愛希望調査。
分かりやすく言えば、国主導のマッチングアプリ。
性指向、性的指向、趣味、特技、その他諸々。
自身のアピールポイントと相手に求める要素を記入して、身分証明書とともに登録することで自分に合った相手を探しやすくなる。
歳を重ねるごとに趣味嗜好は変わるから、項目は何度でも更新可能。
検索すれば、条件に近い人を調べてくれるので学生のうちからの婚活も可能だ。
これもまた、少子化対策のひとつである。
独身だって恥ずかしくない風潮が浸透したのはいいものの、行き過ぎて『恋愛に消極的な若者』が激増してしまった。
恋愛も結婚もコスパが悪いよねって、ネガキャン記事はネットに腐るほど転がっている。
セクハラとすぐ言われる世の中でアタックする男女は減り、自然恋愛による成就は都市伝説レベルにまで希少となってしまった。
当然いい男女はすぐに売り切れるので、婚活市場に流れてくる割合は激レアだ。
っていうか、お見合い婚時代も自然恋愛の割合は低かったけどね。
そりゃ少子化進むぜって話。
男女平等の行き着く先が国の衰退とは、なんの皮肉なんだろうか。
「学生時代から対策を打つの、いいと思うよ。大人は妊娠とかのリスクを恐れて『そんな若いうちから恋愛とか早い』なんて言ってくるけど、社会に出ればぐっと出会いは減るわけだし。その頃になって『まだ結婚しないの?』とか言われても、そもそも恋愛経験がないからどうしようもないんだよね」
「相手に振り向いてもらうための気を引く方法、なんて当時は馬鹿馬鹿しいと思ってたけど。だらしなくて愛嬌もないやつなんて、相手にされるわけないもんね」
そのコミュニケーションスキルとかほとんど忘れちゃったんだけどさ。
必要なときになって大切なことに気づくんだよね、こういうの。
「へえ、いまはそこまで教えてくれるんだ。だからこんなにきれいになったんだね」
わたしに目を合わせて、日野は風呂上がりで乾かしたばかりの髪をすくう。
ナチュラルにされたもんだから遅れて心臓が跳ねた。
気を引きたい相手から、褒め言葉をいただいて触れられる。
嬉しいはずなのに、胸がきゅっと縄で締められているような痛みを覚えた。
わたしが日野に向ける好意と、日野がわたしに向ける好意は。
同じ方向を向いているのに、交わることがないから。
「楽しみだなあ、彰子の結婚式。和洋どっちも似合いそうで迷うなあ」
「気が早いよ。相手もいないのに」
「ああ、押し付ける言い方になっちゃってごめん。将来が楽しみって言い方に変えるね」
VBは従来どおり、独身を貫くも結婚するも自由。
だが、DBは親だけではなく国が望んで誕生した存在だ。
国のためになるべく家庭を築いてくれ。そうプログラミングされている。
娯楽があふれている現代に、今さらお見合い婚の古い文化を戻すことはできない。海外だと皆婚制の文化が残っているとこもあるけど。
つまり少子化を食い止めるのは、民主主義国家じゃ無理ゲー。
でも移民で日本が乗っ取られるのは嫌ですと意見を反映させた結果、DBに白羽の矢が立った。
優秀で美形な遺伝子ならじゃんじゃん産んでもらおうと。
勝手だよね作る側って。
近い将来、日野は結婚する。
わたしでも予測できる未来だ。
その隣に、わたしが並ぶ確率は。ぶっちゃけ現段階ではほぼ脈なしだろう。
一度思いの丈を口にすれば、もう今まで通りの関係には戻れない。
わたしが自分勝手に悶々しているだけなのだから、諦めるだけで日野の幸せは守られるのだ。
「…………」
分かっているのに、感情は恋に幕を下ろしてくれない。
日野の隣に、見知らぬ誰かが立つ。
そう想像するだけで、胸をかきむしりたくなる衝動に心乱される。
今の関係が壊れるのが怖くて、誰かに取られる前に踏み込むという勇気も出るわけがない。
今は、家族としてひとつ屋根の下で暮らす特権を味わいたい。
そんなずるい考えに留まってしまう。
「あ、ドラマ始まるね。点けないと」
わたしの髪を梳いていた日野の指が離れて、代わりに裾が引かれる。
一緒に観ようと。
施設にいた頃はテレビなんてほとんど観なくて、流行りの番組どころか主要ニュースすらうとい世間知らずだったけど。
ここに来てから、今では週のどこかで必ず見る番組ができた。学校で話せる引き出しも増えた。
テレビっ子なんて言葉、この時代で使うとは思わなかったな。
「梅雨時とはいえ、今日は冷えるね。こたつ出しっぱでよかったよ」
「梅雨寒にまで労働期間が延長されるとはこいつも予想してなかっただろーね」
こたつの端っこに日野が刺さって、布団をめくる。
ヒーターを付けるとさすがにこの季節じゃ暑いから、電気カーペットの熱源でぬくくしてるけど。
「ほら、彰子。こっちおいで」
「……うん」
隣に座って、足を伸ばす。
ぴったり半身をくっつけて。
今はわたしがいちばん近くにいるんだって、顔も見えない誰かに対抗するように。
「寒い? カーペットの設定温度上げようか」
「いい。そのうち暑くなってくるから」
くっついたまま、わたしたちは始まったドラマの画面へと目を向ける。
足先に覚えるぬくさと、隣で感じる人肌。
熱すぎず、寒くもない。
この生ぬるさは、奇しくも今のわたしたちの関係性を表しているみたいだった。
「…………」
そのうち日野が舟を漕ぐようになって、終了まであと10分というところでテーブルに突っ伏した。
録画してるからいいけど、突っ込みを入れながら観るスタイルの自分としては話し相手が寝落ちしてしまうのは寂しい。
「日野、もうちょっとだよ。起きて」
へばった背中を揺さぶるも、反応はつたない。『遠足の下見とかでここんとこ忙しくて……』と目をつぶったまま日野が弁明する。
教員だもんね、仕方ないか。
揺する背中を撫でる動作に変えて、安らかな眠気をうながしてやる。
数分もしないうちに寝息が届くようになって、布団に入る前に夢の世界に一足先に行ってしまった。
EDが流れ終わったテレビを消して、リビングは夜の静けさに包まれる。
遠い雨音がかすかなBGMの役割を果たし、いい感じの後味で終わったドラマ後の気分を1段階高みへと押し上げた。
雨は嫌いだけど、室内で聞く雨音は好きだ。
家で過ごしなさいと、箱庭の雰囲気を作ってくれる。
どこにも行けない閉塞感があるのに、不快な窮屈さではない。
わたし、狭いとこ好きなのかな。前世やっぱ猫だったんかな。
「…………」
隣で眠る日野はあまりに無防備で、あまりに近い。
うわ顔ちっさ、肌白っ、髪の艶やっば、まつ毛なっが。
もとからきれいだけど、意識した状態だといろいろ補正がかかってしまう。
この人こんなにきれいだったか、って視線が吸い寄せられてしまう。
だから勉強の際とか、距離が近いから集中できないときが増えてしまった。
穏やかな寝息に上下する、豊満な胸元。
規則正しい呼吸を吐く、潤った唇。
ほんの少し距離を詰めるだけで、簡単にわたしは触れられるだろう。
誰よりも早く。
教育に悪けりゃ心臓にも悪い。
だけど残った理性と家族でいたい願望が、ぎりぎり汚すことを押し留めている。
こんな形で奪ったって、満たされるわけがないと。
だけど、せめて。今だけはわたしの至福の時間でありたい。
するすると指を伸ばし、しがみつくようにテーブルに伸ばされた日野の左手へと。わたしは手を重ねた。
指を割り込ませて、きゅっと握りしめる。
こうしてると、落ち着かないのに落ち着く。矛盾した感情が心に波となって押し寄せていく。
独占欲が満たされていっているのだと分かった。
滑らかで温かい人の肌が、触れ合っているだけで孤独も焦りも洗い流してくれる。
まだ誰からの枷もない、まっさらな日野の薬指を見つめながら。
手の甲に覆いかぶさる形で握りしめつつ、ひとときの儚い安寧に身を委ねる。
もう少しだけ。
もう少しだけでいいから、今はこのままでいさせてください。
静寂を打ち破ったのは、無粋なバイブレーションだった。
テーブルに置いてあった日野のスマホが震えて、ひとつの通知を吐き出した。
見なければニュース記事かメルマガと流せたのに。
誰かからのLINEであることを、知ってしまった。
せめて『メッセージ通知の内容表示』がOFFならよかったのに。
『土曜日どうですか?』
なんて、見えてしまったのだから。




