美しき世界にあぶれた者
今の世の中には2種類の人間しかいない。
遺伝子操作によって個体値を厳選された『デザイナー・ベビー(DB)』か。
自然のままに産まれた『バニラ・ベビー(VB)』か。
当初は倫理的にまずいとかで反発もすごかったらしいが、8050問題が深刻化してからは世論も変わっていったという。
老いても子育てが終わらず、誰かの介助なしには生きられない我が子を遺して逝くなんて。
子は国の宝でも、誰もハンディキャップを背負った子供を産みたいなんて思うわけがない。
労働人口に入らない人間など税金で生かすな、優生保護法を復活させるべきだ。
回復せぬ不景気が後押しとなって、産まれてくる子供を選べる社会が望まれ始めるようになる。
本腰を入れて少子化対策と遺伝子の研究に取り組んだ結果。
DBの他に、非生産的と中傷されていた同性愛者も生産人口の増加に寄与できるようになった。
かがくのちからってすげー。
でも、親に望まれて生まれた子もいれば、望まれて捨てられた子だっている。
わたし、光岡彰子は後者。
同世代ではすっかり少数派となった、VBだ。
午後9時半。飲食のバイトを終えて、わたしは自転車を漕いでいた。
凍てつく寒風のなかを突っ切っているから、白い息を吐くたびにひりひりと喉がしみる。
住宅地に連担した丘陵地を抜けて、自転車のライトを頼りに暗い林間を進んでいくと。
やがて煉瓦造の大きな建物が見えてきた。
ここがわたしの帰るおうち。
古い修道院を改修して、今は”児童養護施設”と世間に認知されている。
「おかえりなさい」
本館玄関を通って学童寮棟に入ると、職員さんが出迎えてくれた。
頭を下げて、のろのろと脱衣所に向かう。
今日のディナータイム、人数少ないからキツかったわ。
立ちっぱの接客業で疲弊しきった身体を、誰もいない浴槽へと沈めていく。
1日の疲れを溶かしながら、湯気の立つ天井へと首を傾けた。
ここでの生活も、あと2年か。長いようで短かったな。
18歳になると国からの援助が打ち切られるため、退所後の先行きは不安定だ。
ほとんどは非正規か日雇いとなる。
今は昔ほど学歴が重要視されなくなったため、大卒をもらうための名ばかり大学は消えた。教育費の高さも少子化の原因だったから。
できるだけ若いうちに社会へ送り出し、雇用を安定させることが婚姻率と出生率上昇につながるから。
しかし低学歴のVBは、就活も婚活も相手にされないのが現実。
もとから優れているDBとは違い、遺伝の差は埋めようがないのだ。
さながら、わたしは品種改良を極めたバラ園のスミで伸びる雑草だ。
「彰子ちゃん、ちょっといい?」
次の日。
夕食後の片付けの最中に、ひとりの職員さんに呼び止められた。
「ごめんね、お時間取らせて。手短に伝えるから」
周りの目がある場所では言いづらい内容らしく、いったん廊下へと移動する。
職員さんの口から言い渡された要件は、まったく予想だにしないものだった。
「あなた、里親のもとで暮らしたい?」
「……里親?」
今さら? 中高生なんて滅多に声がかからないのに?
職員側からわたしの養育が必要と判断されたってことか?
「高校卒業と同時に、社会に放り出すのも酷だろと声が上がってきててね。施設の子供は実家や経済支援という後ろ盾がないわけだし」
「そりゃ、欲を言えば就職まで面倒を見てもらいたいですが」
まずは制度の見直しをするべきじゃないかと思うんだけど、そこまで予算を回す余裕はないんだろうな。
「相手は若い女の人で、ちゃんと研修と実習をクリアした方だよ」
「若いって……独身なんですかその人」
「そうだね。でもご職業は安定した公務員の方だよ。里親として適任かどうか、ちゃんと家庭訪問して審査済みだから」
てっきり子育てが終わった世代だと思っていただけに、育児経験もない未婚女性が応募してくるとは。
でも、身元保証人や緊急連絡先がなければ家も借りれない。
稼いだバイト代だけじゃ、初期費用を賄うのも難しい。
浪人もできないため、進学など夢のまた夢。
身寄りがないだけで、いろんなことのハードルが高くなる。
なら、何であろうと利用しない手はない。
「興味はあるので、詳しく教えていただけますか」
そう伝えると、いいご縁になるといいねえ、と職員さんは顔をほころばせた。
まずは会って話して、相性を確かめるところから始めるらしい。
それからさらに数日ほど経った、日曜日の今日。
いよいよ面会の日が訪れた。
場所はここ、応接室。
バイトには事前に休みを申請して、わたしはソファーに腰掛けていた。
首を振る電気ストーブのちりちりとした音だけが耳に届く。
手持ち無沙汰になって、足を組んだまま目をつぶる。
相手の女性は公務員のエリートで、顔写真を見る限り美人で、もちろんDB。
なんでそんな人が結婚相手じゃなく幼児でもなく、扱いが面倒な高校生を欲しいんだか。
「…………」
いつの間にか船をこいでいたらしい。
こんこんと軽いノックがドアの向こうから響いて、肩が跳ね上がった。
面接官みたいに『どうぞ』なんて声が出てしまう。
「失礼致します」
落ち着いた低めの声とともに、ノブが回る。
職員さんとともに、里親志望の女性が姿を表した。
「久しぶりだね。あき……光岡さん」
「……は?」
挨拶も吹っ飛んで素の声が出る。
距離近くね? なんでこの人、もっと前から知ってたような口ぶりなんだ。
女性は落ち着き払った仕草で向かい合うと、ゆっくりと頭を下げた。
「初めまして、日野皐月と申します。君には、富山皐月だった頃の方が馴染み深いかな」
その言葉で、完全に点と線がつながった。
名前が一緒なだけの別人だと思っていたけど、まさか。
「なんで、あんたがここにいんの」
一体なんの冗談だよ。
入ってきたのは、数年ぶりに顔を合わせた従姉だった。
とや……日野皐月との記憶は、だいぶ昔に遡る。
その頃、わたしはまだ園児だった。
親戚の集いで、年に数回顔を合わせる程度の仲。
いちばん年上だった日野が子どもたちのまとめ役になっていて、わたしも混ざって遊んでいた。
「本当にあの富山?」
わたしの知る日野は肥満児だった。
目の前に座る、同姓同名の別人としか思えない女にぎょろぎょろ視線を這わせる。
シックなビジネススーツ姿から受ける印象は、いかにもお堅そうな職業の人間といったところ。
化粧っ気もなく、髪型も栗色の髪をひとつにまとめただけ。
目を見張るような派手さはないのに、無駄なく整った目鼻立ちは視線が吸い寄せられる存在感を放っていた。
「きれいなお姉さんになったろう?」
「そうね。超垢抜けたね」
さすがDBだね、と皮肉りたい嫉妬心を引っ込める。
VBとDB、両者の違いを語る上でもっとも分かりやすいのは外見だ。
若い世代のDBたちは、例外なく整った容姿をしている。
遺伝子疾患のない健常児を生み出すことに成功しました。
そこで終わらないのが人間の飽くなき探究と欲求だ。
次は低身長や不細工で苦しむ子がいない未来にして。そんな注文が飛び出すに決まっている。
親の容姿に関係なく美形が生み出せるようになれば、出産に踏み切る男女も増えるだろう。
喫緊の課題である出生率を上げるため、政府は遺伝子工学の研究を積極的に支援しているのだ。
「いや、光岡さんも……」
「さんはいらない」
「光岡も、ずいぶんと見違えたね」
「……どうも」
あんたらからすりゃ、間違い探し程度の変化だろうがな。
化粧、スキンケアにヘアケア、コーディネートでいくらかかってるか想像もつかないだろう。
「へー、素敵な従姉さんですね」
職員さんの声が弾む。
知り合い同士の再会ってシチュに運命的なものを感じているのだろうか。
隠しきれない好奇心が瞳にあらわれていた。
「あのさ、なにが目的?」
にこやかな空気をぶったぎるように、わたしは本題に切り込む。
大方、他の親族からわたしを押し付けられたに違いない。
里親登録は同県に居を構える人に限られるから、日野はそう遠くない場所に住んでいるはず。
手頃な親戚の監視下に置いて、VBが問題行動を起こさないか見張っておけ。
そういう筋書きとしか思えなかった。
「目的? 私はただ、サポートが不十分な中高生の力になりたいと思っただけだよ」
「彰子ちゃんはびっくりしただろうけど、本当に偶然なの。ちなみに日野さんは養育里親の区分になるね。親族里親は三親等までだから」
児童の委託と判断はすべて児相側が決めることであり、特定の子を里親が決めることはできないと職員さんは説明してくれた。
退所が近い子供、という日野の希望に踏まえて検討した結果、たまたまわたしが適正だと選ばれただけらしい。
わたしの疑念を読み取ったのか、日野は安心させるように柔らかい笑みを浮かべた。
一瞬だけ、富山だった頃の彼女の面影が重なる。
「大丈夫。何があっても、私は君の味方だよ」
「…………」
素直にはいそうですかと従えず、押し黙ってしまう。
今まで誰も連絡をよこさなかったくせに。
退所間近になって現れた親戚なんて、ぜったい裏があるに決まっている。
何も返さないわたしと、日野の間に沈黙が流れる。
しばしの重い静寂ののち、日野は戸惑うわたしへ言葉をよこした。
さっきよりも優しく、儚げな口調で。
「でも、光岡からすれば受け入れがたいよね。その場合は他を当たるよ。君が好きに決めるといい」
感情で結論を出すなら、反発のほうが強かった。
歳の近い従姉に、養ってもらう。屈辱感を抱かないと聞かれたら嘘になる。
だけど、ここでわたしが断ればもう里親の話は舞い込んでこないだろう。
わたしは普通の暮らしが欲しい。
親から捨てられたみじめなVBじゃなくなりたい。
そのためなら、なんだってする。
その言葉通り、今までなんだってしてきただろうが。
日野と再会したことは、努力が報われた結果かもしれないと、どうして考えられない。
まだ経済的に自立できていない子供であるわたしは、結局大人の助けが必要なのだ。
「……日野、皐月さん」
こぶしを握り、わたしは立ち上がった。
いきなりどうしたと目を丸くする2人に向かって、勢いよく頭を下げる。
「どうか、わたしの里親になっていただけますか」
ゆがむ唇を噛みしめる。
わたしはひたすら無礼だった。挨拶もせず、刺々しい態度で最初の面談を済ませようとしていた。最悪の印象に取られても不思議じゃない。
詫びるように、情けなさで真っ赤に染まった顔を覆い隠すように。
頭を垂れたまま、わたしはその場に佇む。
「光岡、顔を上げなさい」
日野はわたしの隣に立つと、両肩に手を置いた。
言われるがまま、日野に焦点を合わせる。
無意識にわたしの肩は上がっていた。
「勇気を出してくれてありがとう。安心して巣立っていける日まで、私がすべての不安から君を守ることを約束します」
わたしと同じくらいの背丈、童顔寄りの顔立ち。やっぱりこの外見で、里親と呼ぶには無理がある。
耳障りの良い言葉も、口にするだけなら簡単だ。
だけど日野が放った声には、単なる口約束には聞こえない説得力がこもっていた。
普段からわたしくらいの年齢の子を相手にしているような、妙な安心感を覚える。
そう思えてしまうあたり、悔しいけどちゃんと審査を通っただけある。
互いの意思を確認したところで、最初の面談は終わった。
これだけですぐ同居生活が始まるわけではない。
最初は1時間ほどの交流から始まり、徐々に時間を伸ばして関係を育んでいく仕組みらしい。
わたしは、うまくやっていけるだろうか。
まだほどけていない警戒心を胸に、職員さんに続いて日野を玄関口まで見送る。
「ところで今なにしてんの? 公務員とは聞いたけど」
「教員だよ。高校の」
「ああ、言われると納得」
県内に住んでいるのだから、もしかしたら知ってる学校に赴任しているのだろうか。
「今年の春から2年目で、ようやく教壇に立てるんだ」
「中高だと、1年目は新任研修があるからほぼ勉強期間なんだっけ?」
「そうだよ。だから、4月からよろしくね」
…………はい?
わたしの脳髄に、今日2度目の雷が落ちた。