7.精霊を信じる?
「水の精霊ウコム。糧をお与えください」
エミリーが精霊に呼び掛ける。
するとみるみるうちにバケツに水が満たされた。
魔法は頭の中で術式を描き、言葉と共に魔力を放つことで具現化するの。
人によって魔力を放つ際の言葉は違っている。
そうそう、彼女は精霊に呼び掛けていたのだけど、実のところ水の精霊なるものが本当に存在するのかは誰も分からないわ。
信じる人もそうじゃない人もいる。
でも、信じている人の方が随分と多いとは思う。私も精霊はいると思っているの。
目に見えないけど、魔力と引き換えに精霊が奇跡を起こしてくれているって考えると素敵じゃない?
「お二人とも、本当にお掃除をされるのですか?」
「テーブルと椅子を拭くだけよ」
満面の笑みを浮かべてエミリーに向けパチリと片目をつぶる。
彼女は口元をヒクヒクさせたものの、これ以上何も言わず食器を洗い始めたわ。
食器を洗うのも彼女が魔法で出した水を使っていることは言うまでもない。
「水属性って便利だよな」
「私もそう思う」
私がテーブルを。レオが椅子を拭きながら他愛のない会話を交わす。
そう言うレオだって炎属性で何かと便利じゃない。ほら、煮炊きとかに。
夜もランタンを忘れちゃったときには灯りにならない?
よし、こんなもんかな。
彼は普段の軽い感じから雑そうに見えるけど、意外と几帳面なことを私もエミリーも知っている。
私がテーブルを拭き終わっても、彼はまだ椅子を綺麗にしている作業を続けているわ。
椅子の脚はともかく、脚の裏まで拭かなくてもいいと思うの。床が埃まみれだから、戻したらすぐに汚れてしまうわよ。
「レオ様、あ、あのお」
レオのお掃除が終わったところで、エミリーが遠慮がちに呼びかける。
「お、温めだよな。こんなところで火をつけたら、火事になりそうだもんな」
「はい。お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
腰に頭がくっつくんじゃなかってくらいにエミリーが深々と頭を下げた。
彼女にとってレオに物を頼むことは余程のことだったのだろう。
それでも「みんな一緒にお茶を」と言った手前、私に気遣い彼にお願いをしてくれた。
う、うう。私が気が付いてレオにお願いしなきゃならなかったのに。
「ごめんね。エミリー。私がちゃんとしてれば」
「い、いえ!」
「気にすんなって。エミリーもルチルと同じで俺にとって貴重な幼馴染の一人なんだぜ」
にっと白い歯を見せて親指を立てるレオ。
彼の子供っぽい笑顔にエミリーの頬が赤らんだ気がした。
こいつ、こんな感じでどこかで女の子にちょっかいを出してるんじゃないでしょうね。
私がどうこう言える立場ではないんだけど。
子供の頃から知っている彼がもう子供じゃないんだと知ってしまったような、そんな寂しい気持ちからつい悪態をついてしまったわ……。
う、ううう。さっきから自己嫌悪が激しい。
レオはポットに手を当てて告げる。
「炎の精霊アグニよ。ちょこっとあっためてくれ」
彼の魔法を使う姿を見ていると、精霊がいるのか不安になってくるわ。
あれでもちゃんと彼の魔力を消費して、ポットが温まるんだもの。
人にはそれぞれ生まれながらに属性がある。エミリーの場合は「水」。レオは「炎」といった具合に。
属性に応じて使う事のできる魔法が異なるの。
複雑になればなるほど、威力が強くなるほど魔法を発動させるのが難しくなる。
今彼らがやった魔法は最も初歩的なものだから、魔力の消費も殆どなく鼻歌交じりに発動できるほど術式も簡単……と聞いているわ。
自分と異なる属性の術式なんて学ばないから、実際のところ、どれほど難しいのかは分からない。
「熱っ!」
「いつも不思議に思うんだけど……手の平は平気なのに、舌は熱いの?」
「魔法が発動している間だけな。それ以外の時は手の平でも熱いぞ」
「そうなんだ」
「って何度目だよ。きっとまた同じことを聞くんだろ」
「……聞かせてね」
「お、おう」
あ、しまったと思った時にはもう遅い。
ついしんみりとすることを言っちゃった……。
ポロポリと頭をかいた彼は「まあそのなんだ」と前置きしてから。
「食糧を届けに近いうちに来るさ」
と言ってくれた。
「確かに……食糧問題は深刻ね」
「その辺はアンブローシア伯爵も憂えておられたよ。だけど、心配すんなって。『施し』名目でちゃんと食べ物は届けに来るから」
「父様、ありがとう」
「今日みたいに村人全員に、ってわけにはいかないかもしれないけどな」
最初は父様の届けてくれる食糧で凌ぐしかない。
だけど、ずっと頼ってばかりはいられないわ。畑を耕して、採集に行って……と自給自足しなきゃ。
すぐに畑を作ったとしても、収穫できるまでには時間がかかる。それまでの間は、ごめんなさい、父様。
紅茶を楽しみ、カップを片付けた後はお屋敷の探検をしたの。
どこも埃っぽくて、布で口を覆わなきゃならないほど。
そうこうしているうちに、騎士団の方々が来訪して荷物を運び込んでくれたわ。
そこで彼らは思っても見ない嬉しい提案をしてくれた。
なんと、出発までにまだ時間があるからお屋敷の掃除をしてくれると言うのだ。ありがたく申し出を受け、レオを含む騎士団の方々総出で掃除と相成ったの。
騎士団には水属性の人もいて、豪快に水を流してお屋敷にあった掃除道具を使って床、家具、壁、窓……と綺麗にしてくれたんだよ!
その間私たちは自分たちが使う分の布団や毛布をはたいて、天日干しにしたんだ。
彼らの活躍があり、その日のうちに快適に眠ることができる環境が準備できたの! 本当に感謝してもしきれない。
「じゃあな、モンスターにはくれぐれも注意しろよ」
「大丈夫! これでも弓や剣の練習を欠かしたことがないんだから」
「元令嬢が言うセリフじゃないぞ。それ」
「だ、だって。嗜み、じゃない」
「お前の場合、嗜みレベルじゃないよう……すまん」
「う、ううん」
すんごい目で彼を見ていたらしい。途中で彼が口ごもるほどに。
騎士団が元来た道を帰る頃には夕焼け空になっていた。
彼らの姿が見えなくなるまでエミリーと並んで手を振り、彼らを見送る。
「エミリー。疲れているところ、一つお願いがあるの……」
「ルチル様のお考えと同じことをエミリーも考えておりました」
そう言って、お互いに笑い合う。
すっかり埃まみれになってしまったから、体を拭きたいと思っていたの。
エミリーに水を出してもらって、綺麗さっぱり埃を落としたい。服も洗濯をしたいところだけど、それは明日にしよう。
彼女と二人きりになって緊張の糸が切れたからか、どっと疲れが押し寄せてきたから……。




