-9- 伝説の騎士と花冠の少女
自室に戻った僕は、誰も見ていないのをいいことにベッドの上へ大の字に寝転がった。
中庭から歩いて戻って来たが、左足に違和感はなかった。多少動かすのに重いかなとは思うが、よくある筋肉痛程度。
視界も特に変わりないし、足も瞳も作り物だなんて全く思えない。
シュロが言うように僕の身体に魔力が流れている限り、機能を失うことはないんだろう。
でも、もし、この身体に魔力が流れなくなる――つまり、死んでしまったら?
魔獣から採れる結晶は宝石のようにきらきらしいし、魔獣の骨は白く象牙のように美しい。幼い頃、狩りのついでに採取してきたと言って、どちらもお父様が見せてくれたことがある。そんなあれこれで作られた義肢は芸術品かのごとく綺麗な物に違いない。
魔力が流れなくなった瞬間、僕の足が、肩が、片方の目が。
魔力を失って作り物に取って代わる。
例えその作り物がどんなに美しくても、まるで、人として生きてきたはずの自分が人形だったと突きつけられる瞬間のように思えて恐ろしくなった。
そもそも僕はこの世界の異物のようなもので、人形というのもあながち間違いじゃない。
「息子よ」
「!……お父様」
扉の向こうから聞こえた声は、低く空気を震わせるような音でもって僕に届いた。聞きなれたお父様の声。とはいえ記憶が歯抜けの僕にとって、馴染みがあるはずの音はどこか他人行儀だ。
「入るぞ」
言いながら、既に扉を開けている。
お父様は勢いで行動するところがあった。即断即決は大きな領地を治める上で必要な能力だが、凡人にはスピードが速すぎて追いつけないこともままある。
僕はベッドの上で起き上がり慌てて居住まいをただした。
「お父様、ご機嫌麗しゅう」
大柄な身体とは思えぬ機敏な動きで、つかつかと僕のベッドの近くまでやってくる。
お父様の背丈はこの屋敷のほとんどの人間より高く、筋肉質な分肩幅も広い。いかめしい表情をしていることが多いが、時折悪だくみでもしているように不敵に微笑んだ途端にそこらのお嬢さん方の心を鷲掴みにしそうなくらいの所謂イケオジである。
暗い銀糸の髪に青みの強く薄い紫の瞳で、お父様のファン達曰く表情や角度によっていかつい印象に似合わず繊細な顔になるのがたまらないらしい。
もともとは王国の騎士として名を馳せた男で、南の果てで見つけた虹色鉱石の洞窟の中へ踏み入ってドラゴンを倒してきたとか、東の森の奥地からさらに海を渡ってたどり着いた孤島から命がけで不老不死の秘薬の材料を採ってきたとか、北の果ての国へ使者として向かったら王女に一目で見初められてしまっただとか、何かと伝説も多いのだ。
伝説を背負って生きるミステリアスなイケオジ……設定てんこ盛りのオヤジなのである。
ちなみにこの記憶の出どころは、『エトプラ1』の中のアゼリアだ。
僕の拙い記憶と擦り合わせても実際に聞いたことのある噂なので、主人公相手に勢いに任せて言ったウソではない。悪役であってもお父様大好きなところが変わらないとか可愛いがすぎないか?
あれは主人公のセナがアゼリアの婚約者であるラシュ王子といい雰囲気になり、アゼリアが焦って家柄の違いを言い聞かせるシーンだった。
王族は強い子を残さなければならない。だから、強い子の生まれる血を持った自分こそが王子の婚約者としてふさわしく、セナのようなか弱い女の子ではつとまらないのだと訴えていた。つんと澄まして傲慢に、セナが傷ついて諦めるように言い聞かせる。しかし、セナは逆に奮起してしまうのだ。
恋する女の子は繊細なのに強い。そして、気持ちの動きに敏感だ。
もしもアゼリアが”私は王子の事が好きだから諦めてくれ”と言ったなら、きっと結果は変わっただろう。
「具合はどうなのだ、父に見せよ」
「はい」
立ち上がって近くの椅子へ移動しようとしたのを手の振りで制されたので、おとなしくベッドに座り込んだままズボンのすそを左側だけたくし上げた。
見た目には何も不審な点はない。傷すらあったのかどうか、素人目には全くわからないだろう。
お父様があらわになった膝小僧にそっと手を当てると、ほどなくして包み込むような魔力が流れ始めた。シュロが流れを正してくれた後だから、滞りなく肌の表面を循環していくのがよくわかる。
「……ふむ、問題ないな。学園も卒業扱いにして私の仕事を手伝わせようかと思っていたが……これならば復学も問題なさそうだ」
「学びたいこともありますし、まだ卒業するつもりはありませんよ」
「アゼリアが心配なだけだろうに。かくいう私も学園にお前がいるならばあの子を安心して通わせられると思っているのだが」
そのままマッサージでもするようにお父様の手のひらが膝をさすってくれる。残念そうな表情を隠しもしないところを見ると、かなり本気で仕事を手伝わせようと思っていたらしい。僕は武にはさほど長けていないが、魔法と事務作業は結構得意なのだ。
「それにしても、お前の義肢の素材はすごいものだぞ。元の魔獣をこの目で見たかった」
「お父様は、後からあの場にいらしたのですか」
「ああ。……あの日は屋敷にいたからな」
僕らが御者と共に魔獣と遭遇した後の事は定かになっていない。僕がアゼリアをかばって吹き飛ばされた後、アゼリアと御者の男は気を失っていたそうで、誰一人はっきりとした目撃者がいないのだ。
お父様は双眸をゆっくりと伏せて、僕らが魔獣に急襲された日の事を思い起こしているようだった。確かにこの角度は憂いを帯びたイケメンだな。垂れた髪に隠れるようにして走る頬やこめかみの細かい傷跡は、彼の神聖さを引き立てる魅力にしかならず、男の僕でも目を奪われてしまうほどだ。
僕がじろじろと不躾な視線を注いでいたのに気付いたお父様は、顔を上げて意地悪く笑う。ぎくりと肩を揺らしたこちらを面白そうに見て、僕の頬を挟むように大きな両手で包み込んだ。
「見惚れたか?」
「……!!」
誰が!と言ってやりたかったが、くやしい程に整った顔面に言われて声が出ない。顔面の良さを自覚しているのがこの男のタチの悪いところだ。恋愛的なときめきの展開は無いはずなのだが、お父様は面白がってたまにこういう甘い顔をしてくる。今世の記憶があまりない僕からすれば美貌の暴力でしかない。曰く、僕がしどろもどろになって照れるのが楽しいそうだ。
「セクハラ」
「せく……何だって?」
思い出した日本の言葉で苦し紛れに攻撃するが、当然お父様は何の事かわからずに首を傾げている。年のわりにこういう時に幼い動きをするのは、お嬢さん方からすると”可愛い”らしい。
僕はむっと口を噤んでから半眼になり、思いっきり胡乱な視線を浴びせてやった。
屋敷の裏手にある礼拝堂は、この屋敷で唯一全ての窓や床に結界の敷かれている場所だ。
大切なこの場所に不浄な魔物が入ってこないように、そして正しいものが傷つけられないように。
この礼拝堂の扉を潜る時、僕はいつもお母様のくれたネックレスをつける。まさしく7歳のあの日、ドレスを着せてくれるついでのように僕にくれた。
ネックレスと言ってもチェーンの先についたチャームはシンプルな透明の雫型鉱石で、性別を気にせずにつけられるデザインだ。悪いものを退けるお守りだそうだが、確かに身に着けると何かに守られているような気分にはなる。こういったものはかなり高額な魔道具以外、大抵が軽いおまじない程度の効力しかないのだ。
礼拝堂はそれほど大きくない建物で、外観は六角形のコテージのような形だ。扉を開ければ僕とアゼリアの部屋を足したくらいのスペースがあり、白木の組まれた簡素な長椅子が並ぶ。明るい外の光がステンドグラスを通して室内に差し込んでいるのを目にして思わずほっと息が漏れた。
静まり返った部屋奥の扉をゆっくりと引き開けて礼拝堂の地下へ進む。
半周ほど螺旋になるように角度のついた石の階段を下りきって開けた空間に出ると、地下なのにほんのりと明るい。壁に等間隔に並んだ魔道具の灯りのおかげだ。入ってきた者の魔力の流れに反応して点くようになっていて……つまりは僕らの感覚で言う、センサーライトのようなものだ。
「お母様、久しぶり。中々来られなくて……ごめん」
淡く青い光に照らされてぼんやりと浮かび上がるのは、シンプルな四角の石碑。
元々身体の弱かったお母様は、僕が学園へ入る前にまだ幼い僕らを残して逝ってしまったのだ。
これも”私”の記憶が教えてくれた。ゲーム内のラシュ王子からセナへの台詞に、幼い頃母親を亡くしたアゼリアの境遇についての話が含まれている。ゲームの記憶に引きずられるようにして、礼拝堂の地下でお墓参りをするのが僕の習慣だったことも思い出した。
ラシュ王子はアゼリアが嫌いでセナに恋するわけじゃない。アゼリアの身の上の事を思いながらセナへの想いに迷うシーンもあるのだ。だからといって僕らのプライベートをペラペラ他人に話すなとは思うけどな。正直なところ、ラシュ王子が学園に入ってきたら一発ガツンと言ってやってけん制しようと思っている。
その為にも生きて来年生徒会入りを果たさなければ。おそらく同級生の中にいる第一王子が生徒会長に就任するから、奴とも渡りをつけておくべきだろう。王族に喧嘩を売るならばいろいろと十分すぎるほどの根回しが必要だ。
『いいのよ~、私の可愛い息子くん。アゼリアの事となると、すごい気合ねぇ』
「当然です、僕の妹を傷つける輩は例え王族であろうともゆるさ……、……え?」
『あらあら、私のことも忘れちゃったかしら?』
石碑からドレス姿の上半身をひょっこり出した女性は、どこからどう見てもお母様だった。ただ、記憶よりもずっと若く見えるし、それらしく身体が透けている。頭にのせられた白い花冠からは時折ひらりと花弁が舞い落ちるが、床には何も落ちた形跡は無かった。というかお母様、姿が見えてる事よりも気になるのはそっちなのか。幽霊からの定番質問といえば、「私の事見えるの?」とかじゃないのか。
自分の頬を抓るが痛い。
「……お母様?ですか……?」
『良かった!事故に遭ってたくさん忘れちゃったって聞いたから……お母様の事も忘れてしまったかと思ってたの。覚えててくれてうれしいわ。だって、少しだけ残ってる記憶にいるだなんて、とっても特別でしょ?』
少女のように笑ったお母様(暫定)は、アゼリアと同じ銀色の髪をさらりと揺らして首を傾げる。
僕の記憶の中のお母様も楽しいことや可愛いものが大好きで、いつも笑顔の絶えない人だった。無邪気で奔放にみられることも多かったけど、大変なことや辛いことからも良い部分を拾い上げて勇気づけてくれる。
お母様がそこに居るのを確かめようと思わず身体に触れようとして、触れることができなかった。何の抵抗も無く指先がすり抜けてしまったからだ。
『怪我も心配だし息子くんに憑いててあげたいんだけど……お母様、ここからは動けないの。こちらこそ、ごめんね』
「いいんです、……こうして僕が来れば問題ない」
『ええ、会いに来てくれて本当にうれしいわ。アゼリアもよく来てくれるんだけれど、息子くんの話の時はちょっと元気なかったから』
「……アゼリアは泣いてませんでしたか」
『息子くんが大怪我した後は、さすがにね……。私も一緒に悲しんだわ。でも、お父様がついているから絶対に治るって励ましたの!』
「ありがとうございます、お母様。……お母様、でいいんですよね?かなり若返っているような気がしますが」
『うーん……そうねぇ。肉体は無くなってしまったから、想いだけがここにあるの。だから、生きていた頃のままの見た目ではなくなってしまっているかも。でも、あなた達を想う気持ちに変わりはないわ』
「……ありがとう、お母様」
お母様はにっこり微笑んで胸に片手を添え、どういたしましてと言いたげに軽くスカートを摘まんで礼をした。優雅に落とされた腰から下は残念ながら石碑に隠れてしまって見えなかったけれど。
王国では戦地へ赴いた者や重病にかかってしまった者など、長く会えなかった人と再会できた時に言う決まり文句がある。再会のその日まで、お互いが無事に過ごせた事に感謝をささげるのだ。
「この奇跡に感謝を」
僕は礼に応えて石の床に跪くと、触れることのできない彼女の手をすくうように手のひらを添えて、月並みなこの言葉を声に乗せた。
伏せていた視線をそっと上げてお母様の表情を確かめると、ぽかんと薄く唇を開き驚いた様子。
なぜだ。今は感激するところだろ。なんなら僕はちょっと泣いてるぞ。
『あらあら?……もしかして、息子くん。まさかとは思うのだけど……私の姿が見えたり、声が聞こえたりしてるのかしら?』
「今!?」
『だってだって、あなた、いつも独り言で会話してくれるんだもの~!びっくり!』
本人に言うと怒るので言わないが、お母様は所謂、天と然がつく性格だ。いつもよりも会話が噛み合うからおかしいと思ったのよね~、などとご機嫌に笑っている。
これが僕とお母様(暫定地縛霊)との出会いであった。
タイトルみたいなサブタイトルなってしまいましたが、お父様とお母様の話でした。
お父様の冒険譚はしっかり書くならおそらく別作品になりますが、後々書けたらいいなと思います。
2020.06.22 本文追記