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-2- ここはどこ、僕はだれ?

 ゆっくりと意識が浮上して、大きな窓から差しこむ柔らかい月明かりが視界に入って来た。寝返りをうって細く息を吸い込むと、古びた金属の匂いがする。年代物の調度品があるせいだ。

 つまりは、見慣れた自分の部屋じゃない。僕の部屋は屋敷の2階だから、中庭に近い貴賓室のベッドに運んだ方が良いと判断されたんだろう。

 ぼやけた視界に人影が映り、自然とそちらに注意が向く。


「……坊ちゃま、気がつかれましたか。喉が渇いたでしょう」


 落ち着いた声音でこちらを気遣ってくれたのは、執事のヨハンだ。

 この屋敷――ジェット公爵家に仕えて長い彼は、好々爺らしい微笑みで水差しを掲げて見せた。なんでも、祖父の代から屋敷にいるんだとか。そろそろ坊ちゃまという年ではないけれど、ヨハンにそう呼ばれても嫌な気はしないからそのままにしている。


「お食事もとってございますよ。よろしければ持ってまいります」


「うん……、頼むよ。水も、食事も、喉を通ると思う」


 思ったより弱々しい声が出た。

 熱が出ているのか全身が熱いが、胃はからっぽだし、早く治すためにもどうにか食事はとるべきだろう。


「お嬢様も先程までおられたのですが……もう遅い時間ですので、お部屋へ上がられました」


「僕は、どのくらい眠っていたのかな」


「中庭にいらしたのが、ちょうど昼のお食事の後でしたから……かれこれ、半日ほど眠っていらっしゃったかと」


「そうか……」


 軽く会釈してヨハンが部屋を出ていく。室内に静寂が戻れば、知れず薄く開いた唇から溜息が細く漏れだした。まだ芯の方に鈍く残る頭痛はあるものの、気を失う前の鋭く差すような痛みはもうない。


 あれはいったいなんだったんだろう?

 鳥かごに触れた途端だ。頭の中の隅々までを無理矢理に暴かれて、強引に答えを引きずりだされるような、奇妙な感覚だった。しっかりと思い出して原因を知りたいという気持ちと、もう一度あれを味わうのは恐ろしいと怯える気持ちが半々で、思わず両手で顔を覆ってしまう。


「坊ちゃま、ご気分が悪うございますか?」


「いや、大丈夫だよ。……アゼリアは、気に病んでいなかったかな」


「随分と心配しておられました。まだ怪我の具合が良くないのに、自分のために無理に会いに来てくださったのだと」


 いつの間にか戻ってきていたヨハンが、ふかふかの絨毯の上に食事の乗った台車を押してくる。

 アゼリアは優しい子だし、つんと澄ましているように見えてお兄ちゃん子だから、表に出している以上に心配させてしまっているだろう。あの子は思い込みの強いところもあるから、全部自分のせいだと落ち込んでいるかもしれない。


 とはいえ、可愛い妹の事を考えて現実逃避するにも限界があるようだ。

 いくつか不可解な謎がある。


 妹のこと、兄のこと、これまでの自分のことはなんとなく頭の中で整理されているものの、なんと自分の名前がわからない。


 これまで読んだ物語の中にも主人公が記憶喪失になるものはあったけれど、今までのことを全部忘れてしまうか、事故の前後の記憶を失うようなものだったと思う。本人が思い出せなくても持ち物や仕草に特徴があって、周りの人間が主人公の記憶へのヒントを探し出してくれるのだ。


 魔獣にぶつかられた拍子に、歯抜けのように記憶が飛んでしまったんだろうか?

 名前だけをピンポイントに忘れ去ってしまうことなんて、あるのだろうか。

 それとも、もっと恐ろしい事に、忘れている事すら忘れているのかもしれない。そうだとしたら、相当まずい。


「本日のスープはポタージュでございます。メインのお肉は消化に心配がございますから……少々、薄切りのパンに乗せオードブルのようにして持ってまいりました。小さく切ってございますので、食べられる量だけお召し上がりください」


「ありがとう。今日も美味しそうだ、……料理長にもお礼を伝えておいてくれるかい?」


「もちろんです、坊ちゃま」


 ヨハンは僕を坊ちゃまとしか呼ばない。とにかく誰かしらが僕の名前を呼ぶのを待つか、屋敷の中で自分の署名がありそうなものを探せばいいだろう。しかし、出来るだけ早く見つけなければ。確認する前に署名をしなきゃならないような事態になったら大変だ。


 用意された食事はいつもながら美味しい。香辛料とハーブが品よく使われたメインの一品はローストビーフ。柔らかな肉質の表面は薄明りでも優しく光を弾いて、視覚からも僕の胃袋を刺激してくる。

 深淵からやるべき事を探し出し、行動を起こすには体力がいるのだ。身体も僕の決意を後押ししてくれそうで、ほっとした。


 まずは、信頼できる友人か家族に相談するものだろうか。

 よくある物語なら、主人公は何も覚えていないものの、親友と名乗る人物とおっかなびっくり再び信頼関係を築いて記憶を取り戻していくのが定番だろう。僕の親友といえば、エメロード家のライアットのはずだ。


 そこまで考えて、僕はまた嫌な汗が背中を伝うのを感じた。

 親友のライアット。名前も顔もしっかりわかる。がっしりと筋肉のついた長身のわりに身のこなしは優雅、金髪を雄々しく流した美丈夫で、剣の扱いにかけては同級で右に出るもののない魔法騎士の卵だ。学園に通う僕の同級生でもある。


 ただ、会話した記憶が無い。

 奴の笑顔や怒った顔、悲しむ顔は思い出せるのに、一向に一緒に何かした記憶が浮かんでこない。僕の中にあるのは、奴が親友である事実だけだ。だから、親友のはずだ、としか言えない。ないない尽くしだ。

 こうなると、そもそもライアットが親友だという自分の記憶も怪しく思えてくる。


「ヨハン、……ライアットの事だけど」


「はい、坊ちゃま。エメロード家のご子息のライアット様ですね。そういえば……坊ちゃまがおやすみになっている間に、お手紙が届いておりましたよ。坊ちゃまのお部屋に戻られましたら、机の上をご確認くださいませ」


 これは記憶通り、ライアットは親友の線で間違いないのか?

 なんにせよ、相手は僕を認識していて手紙まで送ってきているようだ。もしかしたら、僕が怪我をしたという話を耳に入れて心配してくれているのかもしれない。いい親友(暫定)だ。


「そうか、……僕の怪我があいつの耳に入ったのかな」


「左様でございましょう。坊ちゃまが妹のアゼリア様を庇って勇敢にも魔獣に立ちはだかった武勇伝は、貴族の皆様方に瞬く間に広がりましたので」


 口に含んでいた水を噴き出すところだった。そんなことになっているのか……。咄嗟に妹を庇った僕の行動は激しくグッジョブだが、僕自身が武勇に長けているかと言われるとそういうわけじゃない。むしろ運動神経は中の下だ。


「噂に尾ひれがついてまわっていたりは……」


「背びれも胸びれもついている可能性はございますね」


「……僕をよく知る人なら、誤解はしないんだろうけど」


 今の僕は学園――王立エトワール魔法学園の2年生だ。


 王国の王立学園は2つ、王立セレスト騎士学園と王立エトワール魔法学園がある。

 先にも述べた通り運動神経のあまり良くない僕は、実質一択。幸い魔法の才能はそれなりにあるらしく、入学試験はスムーズにパスすることができた。ただし、親友(暫定)のライアットは武勇の才能もあるので正直チートだ。そう、ライアットも目指している職業――この世の中には剣も魔法もできる魔法騎士なんていう俺TUEEE奴がいるのだ。天に二物も貰ってずるい。

 ライアットはどちらかというと魔法の才能の方が強いので、メインで魔法学園に通いながら週末には騎士学校へも授業を受けに行っているらしい。才能もある上にめちゃくちゃ頑張り屋だな、ライアット。


「坊ちゃまは決して武勇の才能が無いわけではありませんよ。元々あらゆる面で優秀な方の集まる学園なのです」


 王立学園は高い教育が受けられる上に学費が要らないから、毎年王国全土から入学希望者が集まる。ただし、優秀で家柄が良くないとほぼ入れない。どうしたって、家庭教師をつけられるような裕福な家庭の子が有利になるからだ。とはいえ平民の子からたまに最優秀を取るような天才も現れるから、受験の条件は『13歳という年齢』と『王国民である事』この2点だけ。留学生や王族については特例もあるらしいが。


 僕の入学した年は、合格者200人中たった5人が平民の子だった。そんな狭き門でも、彼らは望みをかけて試験を受ける。卒業後の出世を狙うのはもちろん、年によっては王族とお近づきになれるからだ。女子だと未来のプリンセスに憧れて試験を受ける子も少なくない。僕の年には第一王子も入学したから、周りの人間のフィーバーぶりはすさまじかった。


 そうだ、嫌な事を思い出したぞ。

 第二王子は妹と同い年だったはず……どんな男かは知らないが、妹に近づいてきたりしたらどうしてやろうか……。

 学園は4年制だから、2年後の妹の入学時には僕はギリギリ4年生にいる。大丈夫、監視できる。


「坊ちゃま、お心の声が全部出ております」


「おっと」


 心の声が出ていた。


 粗方食べ終えた食器をヨハンに下げてもらうと、夜も深まったせいか辺りはすっかり静かになる。時折、窓の外で生い茂った木の葉がカサカサと擦れ合うくらいだ。


 さて。

 問題をひとつずつ解決していかなければならない。やるべき事は、まず2つ。


 一つはライアットから届いたという手紙の確認だ。

 奴からの手紙の宛先に、おそらく僕の名前が書いてあるはず。ライアットと僕が実際に親友なのかどうかと、僕の名前についてはこれでクリアできるだろう。明日熱が引いていれば、自分の部屋に戻れるようヨハンに頼めばいい。


 そして、アゼリアにプレゼントした鳥かご。あれにもう一度触れてみなければならない。僕が倒れた後、きっとメイドが回収してアゼリアの部屋に移動させてあるだろうから、何とか理由をつけて部屋を訪ねればいいだろう。同じ事が起こるかどうかわからないが、あれは予知夢や天啓に近い現象のように思う。どちらにしても気になる文言がいくつかあったから、もう一度落ち着いて確認したい。


 まだやらなければならない事は次々と浮かんでくるが、まずは休息して、美味い夕食で得た活力を全身にいきわたらせる。全てはそれから。

 自分に言い聞かせながら、僕は柔らかな毛布を頭までかぶって目を閉じた。


こつこつ更新します。

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