達観パパ VS クソガキたち
私は53歳の会社員。妻と娘が一人いる。どこにでもいる平凡な男だ。
若い頃は色々とやんちゃなこともしたが、大人と言える年代になり、私は達観した。
私のような大人は、社会への不満をぶつけるのではなく、未来ある若者たちを導いていかなければならない。
朝、顔を洗って食卓に行くと、高校生の娘がスマホを片手に朝飯を食べていた。
「おはよう」
挨拶をするが当然のように返事はない。娘にとって、私の声はテレビの音声と変わらないようだ。
制服がだらしない。シャツのボタンが開いてリボンが緩く下がっている。
目と唇が不自然に厚ぼったくて「誰!?」と言いたくなる。
椅子の下に鞄があり、チャックが開いていた。
チラリと覗くと、化粧品や絡まったイヤホンや飴らしきものや枕(なんで?)やらがゴチャゴチャに詰まっていた。
おい、教科書とノートはどうした。
と、少し前の私なら一つひとつに注意していただろう。
しかし私は達観した大人だ。頭ごなしに叱るのではなく、若者たちの気持ちに寄り添おうじゃないか。
よく見れば、制服を若者らしく上手に着こなしているとも言える。
食事時でもスマホに夢中なのは、それだけ親しい友達がいるからだ。
何も学校の勉強だけが全てじゃない。彼女は彼女なりの経験を積んでいるのだろう。
「あー、そういやさ」
不意に娘が言葉を発した。スマホから顔を上げない。誰に声を掛けたのか。
妻は部屋で出勤の準備をしているから、ここには私しかいない。だから私に話しかけているのだろう。
「洗面所でどのタオル使った?」
「ん? えーと、緑のストライプのやつだけど」
私が答えると、娘は渋柿を食べたように顔をしかめて私を睨んだ。今日初めて目が合った。
「うーわサイアク。あれ私のなんだけど。マジありえねー次亜塩素酸で滅菌消毒だわ」
「あ、ごめんなさい」
私は率直に謝った。娘を傷つけてしまった。人を傷つけることなど、本来あってはならない。
もし傷つけてしまったときは、誠心誠意謝り続けることだ。そうすれば相手も、いつかは分かってくれる。
娘は舌打ちを一つするだけで、後は何も言わなかった。私の誠意が通じたのだろう。
偉いじゃないか。若者は純粋だから、気持ちが真っすぐ伝わるのだ。
娘との充実したコミュニケーションに成功した私は、スーツに着替えて家を出た。
このように私が若者に対する寛容さを意識するようになったのは、テレビで観たニュースがきっかけだ。
国連の地球温暖化対策会議で、ハグレタ・ショーンボリという16歳の少女が演説した。
顔が歪むほど懸命に訴える少女の姿に、大人たちは誰もが衝撃を受けたはずだ。私もその一人だった。
大人として、若者たちの声に耳を傾けるべきだと思ったのだ。
さて会社に到着し、いつもの仕事が始まる。
メールのチェック、報告書類の確認、それらを分析して午後の会議までに資料をまとめる。
その間にも取扱商品の販売動向や、新規商品開拓の進行状況など、案件が次々に舞い込む。
そんなこんなで忙殺されているところへ、電話が鳴った。
近くに新人職員の大木君がいたので、彼に頼もう。
「大木君、ちょっと電話とってもらえるか」
すると、有名大学を出たばかりの大木君はキョトンとして言った。
「あのー課長。僕、電話の応対まだ教えてもらってないんですけど」
予想外すぎる返答に目玉がひっくり返るかと思った。
一昔前だったら「ガキの使いもできねえのかよ、いいからさっさと電話出ろ!」と怒鳴るところだ。
でも今そんなことをしたら、隠し撮りされてパワハラで訴えられてしまう。
そうでなくとも心に傷を負わせて、若者の未来を閉ざしてしまうだろう。
それに私は達観した大人なのだ。大人として、若者たちから尊敬される人物でなければならない。
そうだよね。大木君の言う通りだ。
新社会人の若者たちは、右も左も分からない中で頑張っている。
だから会社は、彼らが不安なく働けるようにできる限りのことをする必要があるのだ。
電話の取り方も、手取り足取り教える責任が会社にはある。
大事なことに気づかせてもらった。ありがとう大木君。
午後、会議が終わってから取引先のスーパーへ行った。
今後の仕入れについて店長と話をする。
帰りに家の近くを通りがかったので、少し寄ってコーヒーでも飲もう。
玄関に入ると、見慣れない靴があった。2階からは人の気配。ガタゴトと音を立てている。
空き巣か? 私は靴ベラを握ったまま、慎重に階段を上る。音は娘の部屋から聞こえる。
ドアノブに手をかけ、一気に開けた。
部屋には娘と、もう一人。見知らぬ男がいた。ベッドの上に裸で重なっている。
空気が固まった。二人とも硬直して私を凝視する。私も同じだった。
「クッソジジイ、なに帰ってんだよキメエまじサイアク! はよ出てけや!」
男に覆い被された娘が、スイッチを押したように喚く。
私は言われるままにドアを閉めた。
世の父親なら、ここで男をぶん殴って外へ放り出すくらいやるのだろう。
しかし何度も自分に言い聞かせるが、私は達観した立派な大人なのだ。
娘は大切な相手を見つけたのだろう。
好きな人とそういう関係になりたいと思うのは自然なことだ。
それも親の目を何とか盗んでオママゴトをするのだから、いじらしいじゃないか。
無闇に否定して傷つけてはいけない。
若い子たちは大人が思う以上に色々なことを考えている。
娘ならなおさら、しっかり耳を傾けて寄り添わなくては。
達観した気持ちに浸りながらコーヒーを飲んでいると、服を着た男が降りてきた。
金髪で耳にピアスを3つも4つも付けて、ヨレヨレのシャツとジーパンを着ている。
なるほど、今時の若者はこういうファッションが流行なのか。
目が合う。「あ、ども。なんかスンマセン」と言って、男は出て行った。
おお、ちゃんと挨拶ができるじゃないか。人は見かけによらないな。
娘が選んだ男なのだ。達観した温かい目で見守ろうじゃないか。
それが尊敬される大人の気構えというものだ。
夜。ようやく今日の分の仕事が終わり、私は繁華街へ出かけた。
妻は数年前から私の夕食を作ってくれない。彼女も仕事で忙しく、家に帰らない日もある。
最近、仕事にしては妙に身なりが良いときもあるが気のせいだろう。
決して、私が満足のいく夫婦生活を提供できないから、などということはないはずだ。
どこかで軽く飲もうと店を探していると、不意に声を掛けられた。
「ねーオジサン、ちょっと遊んでくれない?」
振り向くと、制服姿の少女が立っていた。娘と同じ年頃だ。
パーカーを着て、そのポケットに手を突っ込んで首を傾けながら私に視線を送る。
子供には似つかわしくない、媚びた雰囲気を出そうとしているように見えた。
「その、遊ぶというのは?」
私が尋ねると、少女は笑って答えた。
「そうだねー。ファミレスでご飯食べるのもいいし、それからどっか行くのもいいし、オジサン次第だよ」
何となく娘と似ている気がして、私は無視することができなかった。
「そうだな。じゃあ、とりあえず夕食にしようか」
「やた!」
そう言って少女が私の腕に縋りつく。私は幼い頃の娘を思い出しながら、ファミレスへと向かった。
食事をしながら、彼女から話を聞いた。
彼女の名前はアカネちゃんという。
本名かどうかは分からないが、女子高生であることは間違いないようだ。
よく繁華街に出かけては、真面目そうなサラリーマン相手に「小遣い稼ぎ」をしているとのこと。
私は幾多の経験を経て達観の域にいる大人なので、アカネちゃんの行為を否定はしない。
「分かるよ。今、日本では貧困家庭が増えているからね。こういう方法でも使ってお金を稼がないと、生活ができないんだろう?」
アカネちゃんはデザートのパフェを食べながら答えた。
「まあ、そういう子もいるけどねー。私はもうちょっと気楽な感じだよ」
アカネちゃんは気さくで良い子だ。
話が弾み、いつの間にか私は娘の相談までしていた。
「オジサンも大変なんだねー。ちょっと場所変えて話さない?」
彼女に促され、私たちはファミレスを出た。
近くの公園に行き、ベンチに座る。
アカネちゃんが「コーンポタージュが欲しい」というので、自販機で買ってあげた。
私は小さい頃からの娘との思い出を語り、アカネちゃんはコンポタを飲みながらずっと聞いてくれた。
本当に良い子だ。
「あっれー? アカネじゃん!」
急に、夜分であることを無視した大声が響いた。
顔を上げると、3人の「いかにも」な若い男が私たちを見下ろしている。
「どしたのこんな所で! あ、こちらお父さん? ……え、ちょっと、ん? あれ、ひょっとして」
笑顔を張り付けていた男が表情を急変し、私の胸ぐらを掴んだ。
「おいオッサン、この子に何したんだよ? まさかお前、エンコーか? おいおいおいおい、何してくれちゃってんの? どうしてくれんだよ、アア!?」
太い腕と声で凄まれる。どうやら私は美人局に引っかかったらしい。
「オラァ、どう責任とってくれんだ!! 何とか言えよジジイ!」
「ちょっと、この人はまだ何も――」
アカネちゃんが止めようとするのを、他の男が遮る。
男の太い手が無遠慮に彼女の手を引っ張った。
私は53歳。大人と呼べる年代になり、自分は達観したと思っている。
それでもなお、こうして達観する機会が何度も起こるのだから人生は面白い。
ところで私は若い頃、空手とボクシングを嗜んでいた。
今は週末に合気道の道場へ通っている。
気付いたら体が動いていた。
胸ぐらにある男の手を掴み、外方向へひねる。
「いて!?」
男が怯んで手を離したところで、そのまま引っ張って引き寄せる。
そして腕と一緒にやって来た顔面を、横からフックで殴り抜いた。
男の悲鳴と血と歯が飛ぶ。そのまま地面に倒れるところへ追撃。顔面をサッカーボールのように蹴り上げた。
それを見た残り二人は、一瞬呆気にとられる。しかしすぐに聞き取れない怒号を発して襲ってきた。
「ざっけんじゃねえよどいつもこいつもよお!!」
叫んでいたのは私だった。
「テメエのタオルなら分かるように分けとかんかい!
電話くらい言われんでも取れやバカタレがあッ!
温暖化よりも自分の将来を心配しろや!
こっちが達観してやったら調子に乗りやがってクソガキどもがっ!大人ナメてんじゃねえぞオラアアアアアアアアアッ!!」
気がつくと3人の男は地面に倒れて呻いていた。
息を荒らげる私を、アカネちゃんが呆然と見ている。
「オジサン、パネェな」
アカネちゃんが呟く。私は返り血を浴びたスーツを整えて告げた。
「早く家に帰りなさい。親御さんが心配しているよ」
アカネちゃんは黙って頷き、私とは逆方向に去っていった。
「ちょっと、どうしたの!?」
家に帰ると、妻が悲鳴に近い声で問い詰めた。
「いやなに、少しばかり元気な若者たちと遊んできたんだ」
呆れる妻。娘の姿はない。部屋にこもってスマホをしているのだろう。
私は大人だ。それも達観した大人なのだ。
これからも未来ある若者たちを導くため、尊敬される大人の姿を示していこう。
(おしまい)