迎撃の準備
アウルスたちが罠から逃げるように小屋に入った様子を、ルドたちは山脈の麓から観察していた。
オグウェノが覗いていた細長い筒を目から離す。
「あの罠を抜けるとは、なかなか根性があるなぁ。ザスニッツ領の騎士たちなんて、まず魔法の罠があるのを見抜けなくて、すぐに引っかかって即撤退したのに」
感心しているオグウェノに対して、ルドが悔しそうに呟く。
「やはり毒矢やナイフも仕掛けておくべきでした」
「仲間を殺す気か」
ルドが心外そうな顔になる。
「それぐらいでは死にませんよ。少なくとも、自分は死にませんから」
「おまえを基準に考えるな。だが、これで明日の朝まで小屋から出られないだろう。一応、念のために交代で見張るか」
ルドがオグウェノから渡された筒を覗く。小屋の窓からアウルスたちが、どうにか脱出しようと足掻いている様子が見えた。
「それにしても、これは便利ですね。こんなに離れていても、目の前にあるように見えるとは」
「望遠鏡といって遠くが見える物だ」
「向こうは、こちらが見ているなんて考えもしないでしょうね。あ、脱出を諦めて小屋の中の探索を始めたようです」
オグウェノが自信満々に断言する。
「どうやってもオレの魔法は破れないだろうけどな」
「まさか、あんな魔法が使えるなんて思いませんでした」
魔力を吸収する魔法陣と、小屋が壊れないように強化する魔法をかけたのはオグウェノだった。この二つの魔法を同じ場所に施行するのは誰もが無理だと思ったが、オグウェノは朝飯前と言わんばかりに、あっさりやり遂げた。
「あの魔法の形態を考えたのはムワイだ。敵が魔法を使えない状況にして調べるための魔法だが、けっこうエグイよな」
「明らかに発想の方向が間違っていると思います」
「だよな」
頷いているとイディがやってきた。オグウェノが軽く訊ねる。
「魔法師たちはどうだ? 目的を吐いたか?」
イディは黙ったまま首を左右に振った。
「おまえでも吐かせられなかったのか?」
「自分で魔法をかけて眠った。何をしても起きない」
「あー……まぁ、自害しなかっただけマシか」
オグウェノが頭をかいていると、クリスがため息を吐きながら歩いてきた。
「逆に言うと、数日でケリが付くということだな」
「どういうことですか?」
ルドの質問にクリスが手を出す。それだけで、ルドは察して望遠鏡を差し出した。
クリスが望遠鏡で小屋を覗きながら説明する。
「魔法でも永遠に眠れるわけではない。数日もすれば起きる。だが、その時には目的のことが終わっている。つまり、今をやり過ごせばどうにかなる、と判断したのだろう。でなければ、忘却の魔法を使って忘れるか、自害する」
オグウェノが顎に手を添えて考える。
「それとも、あとから来る仲間が救出してくれる……と考えたか」
「それだと確実性が少ない。絶対に救出されるという保障はどこにもないからな。次に目覚めたら魔法は封じられているから、同じ手は使えない。そうなったら、口を割るまで尋問される。そうなることは分かっているはずだ」
「だが、この山を越えるのは数日じゃあ無理だぞ」
視線を上げた先には雪深い山々がそびえ立っている。ルドは眉間にシワを寄せた。
「もしかして……山越えが目的ではないのでしょうか?」
「目的が山越えではない、だと?」
クリスが望遠鏡から顔を上げる。深緑の瞳に睨まれ、ルドが慌てながらも頷いた。
「はい。ザスニッツ領の騎士たちもそうでしたが、山越えをするには軽装すぎます。とても山越えをする部隊には思えませんでした」
オグウェノも同意する。
「そうだな。山越えをする以前に、遠征をする装備ではなかったな」
「なら、何をしようとしているのだ?」
クリスが再び望遠鏡を覗く。そこにカリストが声をかけてきた。
「クリス様、器材の配置について相談したいことがあります」
「わかった。行こう」
クリスはルドに望遠鏡を渡すと歩き出した。オグウェノが周囲を見て肩をすくめる。
「それにしても、不思議な光景だな」
イールが器材を設置しているのだが、まったく同じ顔をした複数のイールがいた。顔も背丈も同じため、見分けるには服で判断するしかない。それでも、まったく同じ顔が点在している光景は、感覚的に狂う。
「一人一人見ると人間そっくりなんだが、こうして見ると、人間ではないと実感するな」
しみじみと話すオグウェノにルドが呟いた。
「そういうことか」
「どうした?」
「いや、なんでもない」
クリスは自分とイールを比べていた。
遺伝子が同じということは、イールのように、自分と同じ顔をした人が、複数いるということになる。その光景を想像した時、自分は自分だと、独立した一人の人間だと言えるのか。
人間ではないと、そう言われるかもしれない恐怖。
ルドは望遠鏡をオグウェノに押し付けた。
「ちょっと、離れます」
「は? おい!」
ルドが険しい岩場を走り抜ける。
「師匠!」
カリストと地図を見ながら打ち合わせをしていたクリスが顔を上げた。
「どうした? なにか動きがあったか?」
ルドがクリスの手を握る。クリスの顔が一瞬で真っ赤になった。
「おまっ、なっ!?」
「自分はどんなに師匠に似た人が現れても、必ず師匠を見つけます!」
「は!? なんだ!? 突然!?」
「師匠は師匠ですから!」
「いや、だから、どうした!? 頭でも打ったか!?」
琥珀の瞳が深緑の瞳に迫る。
「師匠は一人の人間です。師匠は師匠しかいません。だから、自信を持ってください」
「!?」
「それだけです!」
ルドは言いたいことを言うと、さっさと離れていった。一方のクリスは沸騰したのではないか、というほど顔が赤くなっている。
呆然としているクリスの背後から、ラミラがひょっこりと顔を出した。
「熱烈な告白でしたね」
「うわっ!?」
クリスの肩が大きく跳ねる。ラミラはにっこりと微笑んだ。
「犬は女性恐怖症を克服したようですし、クリス様も素直になったらいかがですか?」
「素直になる?」
「犬のことをどう思っているのですか?」
「犬だ」
ラミラが残念そうに大きくため息を吐いた。
「せっかく犬が頑張ったのですから、クリス様ももう少し犬のことを意識してあげてください」
「犬は犬だろ」
「犬ですけど、あれでも人間で男ですよ」
「そうだな。性別はオスだ」
クリスが当然のように答える。ラミラがカリストに助けを求めた。
「どうにかしてください」
「無理でしょう」
「はぁー」
「なんだ?」
不思議そうにしているクリスをラミラが睨む。
「オークニーに戻りましたら、カルラにキッチリしごいてもらいますからね」
「しごくってなんだ!? 私がなにをした!?」
ラミラは極上の微笑みを浮かべた後、スッと無表情になった。
「この話はここまでです。アンドレから連絡がきました」
クリスが真剣な顔になる。
「そういうことは先に言え。で、なにか進展があったか?」
「先発隊からの定時連絡が途絶えたので、本隊が移動速度を上げたそうです」
「いつここに到着する予定だ?」
「明日の朝です」
クリスが器材の配置状況を確認して頷く。
「好都合だな」
「はい」
「他に分かったことは?」
「クラウディウス第二皇子が本隊に合流したそうです」
クリスが驚くことなく、むしろ予想通りと納得する。
「やっぱり、あいつか」
「はい。あと、何が入っているかは不明ですが、数人の親衛隊とともに木箱を運んでいるそうです」
「木箱?」
「はい。馬車に乗る程度の大きさなのですが、その木箱とともにクラウディウス第二皇子は移動しているそうです」
クリスが眉間にシワをよせる。
「何をするつもりなのか……」
「詳しいことは分かりませんが、第二皇子自らが出るということは、大がかりなことだと思われます」
「まあ、いい。こちらは予定通り、相手の出鼻をくじくぞ。何をしようとしているかは知らんが、その気を失くしてやる」
「はい」
クリスが枯草が覆う草原を睨む。冷たい渇いた風が頬を撫でた。