高層ビル
純白の建物が空を突くように建っていた。一棟だけ雄大にそびえ立つ姿は、かつての人間の繁栄と儚さを表しているようだ。
「近くで見ると、ますます高く見えるな。どうやって建てたんだ……?」
ルドが建物の前で、首が折れそうなほど真上を向いている。
「こんなに高い建物は空中庭園以外には、ないだろうなぁ……」
一人で呟いているルドを、建物の入り口の前に置かれた椅子に、腰かけているベレンが不満そうに視界の端で見ている。その隣には険しい顔のまま、仁王立ちで建物を睨んでいるイディがいた。
ルドが額に手を当てて建物の頂上付近を眺めていると、声をかけられた。
「あら、いい男。初めて見る顔ね。どうして、ここに?」
ルドが振り返ると金髪、緑目の若い女性がいた。
品定めをするような鋭い視線だが、声は甘ったるく誘惑するような雰囲気が全身から滲み出ている。
「自分は……」
普通に答えようとして、ルドは自分の手が微かに震えていることに気が付いた。冷や汗も徐々に出てきている。
今朝、クリスの隣にいても、なんともなかったので、女性恐怖症は克服したと思っていたのだが。
「なぜ……?」
ルドが驚いて自分の手を見る。そこに優雅な微笑みを浮かべたベレンが近づいてきた。
「私たちは、カイ様のところに、客人として招かれておりますの。詳しいことは、カイ様にお聞きください」
若い女性が呆れたようにクスリと笑う。
「あら、そんな堅苦しくしないで。私はただ楽しく遊べないかと思ったの。よければ、そちらのお兄さんでもいいわよ?」
若い女性が、チラチラとこちらを気にしているイディに流し目を送る。
イディは興味なさそうに顔を逸らしたが、ベレンは顔を赤くして怒った。
「それが、客人への態度ですの!?」
「あら、あら。これぐらいで真っ赤になっちゃって、可愛らしい」
挑発するような態度に、ベレンの声が大きくなる。
「なんて無礼……」
二人の間を遮るように腕が入ってきた。ベレンが顔を上げると、厳つい顔をしたイディがいた。
「用がないなら、帰れ」
「まあ、そんなに怒らないで。近くでみると、立派な体ね。いい素材だわ」
若い女性がうっとりとイディの全身を眺める。そこに、バスケットを持ったミレナが駆けてきた。
「ジェイ! その子たちは客人だよ。移住者ではないから、手を出したらいけない」
「別に一緒に暮らして、なんて言わないわ。ちょーっと、お相手をお願いしていただけ」
ミレナが肩をすくめる。
「だから、それがいけないんだよ。彼らには決まった相手がいるんだから、横から手を出したらいけない」
「はーい。もし、気が向いたら遊んで。じゃあね」
若い女性が軽く手を振って去っていく。
ベレンは怒りが冷めない様子で、ミレナに訊ねた。
「なんですの!? 今の失礼な方は!」
「すまないね。“神に棄てられた一族”は、どうしても女性しか生まれないから、慢性的な男不足なんだ。だから、男がいたら自然と目をつけてしまうんだよ。特に外見が良い男はね」
ミレナがルドに微笑みかける。
「自分は……別に……」
「あれ? 汗?」
「いや、これは!」
「女性恐怖症は、克服できてない?」
「……」
俯くルドに、ミレナが慰めるように肩を叩いた。
「あんなのに迫られたら、再発するよね。まあ、気にしない。気にしない」
「はぁ……」
落ち込むルドの隣で、ベレンが再び怒る。
「やはり、許せませんわ」
「そんなに怒らないで。ほら、甘いものでも食べて、落ち着いて」
ミレナが持って来たバスケットの中身を見せる。そこには、焼きたてのパイと、水筒が入っていた。
レモンの爽やかな香りに、ベレンの顔がほころぶ。
「美味しそうですわ」
「そうでしょ? たくさん食べて。ほら。あなたも、こっちにきて座って」
再び建物の入り口の前で、仁王立ちしていたイディをミレナが呼ぶ。だが、イディが動く様子はまったくない。
ミレナはもう一度、微笑みながら声をかけた。
「こちらにきなさい、イディ」
名前を呼ぶ声に込められた気迫に、イディの背中に悪寒が走る。イディは全身を震わした後、ゆっくりと振り返って小さく歩いてきた。
「そう、そう。素直が一番」
満足そうなミレナの横で、ベレンが美味しそうにレモンパイを頬張る。
ルドはイディの心情を察して、そっと紅茶が入ったコップを差し出した。それをイディが無言で受けとる。
ベレンはレモンパイの味に満足しながら、ミレナに訊ねた。
「そういえば三人とも同じような服装で中に入りましたが、なぜですの?」
「あれは空中庭園での正装でね。カイ曰く、ここは古い時代のお墓なんだって」
「古い時代……ですか?」
「そう。この空中庭園が、空を飛んでいることが普通だった遠い昔の時代。その時代の知識と、人々が眠るお墓なんだって。だから敬意を表して、みんな正装で入るんだ」
ベレンが建物を見上げる。
「立派なお墓ですのね」
「そうだね」
ミレナもベレンと同じように見上げた。
※※※※
ツルツルに磨かれた床に、高い天井。窓や灯りはないのに、なぜか明るい。しかも、これだけの広さなのに人影はなく、足音が空しく響く。
オグウェノとクリスとカイは、空中庭園の中心にある高い建物の内部にいた。
「それにしても広いな」
感心しているオグウェノに、カイがうんざりしたように話す。
「入り口っていうのは、建物の顔みたいなものだからな。でかく作って、立派にみせているだけだ」
「それにしても、人がいないのに、こんな格好をする必要があったのか?」
カイとオグウェノも、クリスが着ている服と同じような形をした服を着ていた。
似たようなデザインの服だがオグウェノは、胸元のボタンを外して少し着崩してアレンジをしている。逆にカイは、首元まできっちりとボタンを閉め、そこに紫の宝石が付いた飾りをつけていた。
「これから来るんだよ」
「お待たせして、すみません」
複数の足音とともに、奥から数人の女性が現れた。年齢は、二十代から五十代ぐらいとバラバラだが、全員が金髪に緑目である。クリスと同じような服で、髪を一つにまとめ、隙がない雰囲気だ。
クリスが女性たちの前に立つ。
「久しぶりだな」
「えぇ、久しぶりね。そちらが……」
五十代ぐらいの女性が、オグウェノに視線を向ける。
「昔、月からの流れ星を回収に向かった部隊の子孫だ」
オグウェノがいつもの軽い雰囲気を消し、王族の気配をまとって一歩前に出た。
「ケリーマ王国第四王子のオグウェノ・ケリーマだ」
「本当に子孫なのね。会うことが出来て嬉しいわ」
感無量という雰囲気に、オグウェノが少しだけ眉を寄せる。
「なぜ、我が子孫だと信じられる? その名を語っているだけかも、しれないのだぞ?」
「申し訳ないけど、事前にあなたのことを調べさせてもらったの」
「調べた?」
カイが苦笑いをする。
「髪の毛を一本失敬したんだ。そこから、本当に子孫かどうか調べさせてもらった」
「髪の毛で分かるのか?」
「あぁ。で、間違いなく子孫であることが判明した」
五十代ぐらいの女性が頷く。
「男性ということで半信半疑だったけど、遺伝子は嘘をつけないわ。あなたは、月からの流れ星を回収に行った部隊の一人、リュノン・ハーウェイの子孫よ」
その名を聞いて、オグウェノから威圧感が消える。
「そこまで分かるのか。確かにオレは、リュノンの子孫だ」
「私はエーヴァ・ノッカラ。私たちは、あなたを歓迎するわ」
オグウェノとエーヴァが握手をする。挨拶を終えたと判断したクリスは、エーヴァに訊ねた。
「データは全て解析できたか?」
「そのことなんだけど……」
エーヴァの話を引き継ぐように、二十代ぐらいの女性が出てきた。
「情報の解析を担当しているマーリア・エヴォガリよ。よろしく」
クリスが差し出された手を無言で握る。
「それで、あなたが鍵となっているところがあって、その部分だけはまだ解析できていないの」
「私が鍵?」
「そう。あなたの声紋と指紋。両方が同時に揃わないと、開かない仕組みになっているの」
「よほど重要な情報ということか?」
「たぶんね。だから、先にそちらの解除をしてもらっても、いいかしら? それで、解析している間に、他の情報を見てもらうから」
「あぁ」
エーヴァが声をかける。
「こっちよ」
エーヴァを先頭に一行は、建物の奥へと歩いていった。