騒がしい朝食
クリスが目覚める少し前。
いつもの時間に目が覚めたが、起きる機会を逃したルドはクリスの金髪を撫でていた。触り心地がよく、いつまでも飽きないため、そこそこの時間が過ぎていたらしい。
気がつくと「クリス様が自室にいない」と慌てるラミラの声が聞こえてきた。
このままでは騒ぎになると思ったルドが、そっとベッドから出る。そして、クリスを起こさないように、音を立てずに部屋の外へ出た。
そこで、クリスを探していたカリストと鉢合わせた。
「クリス様は中ですか?」
全てを見透かしたように、黒い瞳が微笑む。ルドは大人しく頷いた。
「わかりました。クリス様に目覚めの紅茶をお持ちしましょう。あ、こちらはあなたの服です。ここで魔法騎士団服は、目立ちますから。こちらに着替えたら、食堂に来て下さい。朝食ができています」
「あ、ありがとうございます」
ルドは静かに部屋へ戻ると、渡された服に着替えた。襟付きの白いシャツに、厚めの生地で作られた紺色のズボンだ。
「ちょうどいいな」
採寸をしていないが服のサイズがピッタリなことに驚きながら、ルドがドアを開ける。
そこで、ちょうど廊下を歩いていたラミラと目が合った。ラミラの青い瞳が不気味に微笑む。それだけでルドは、ラミラがカリストから話を聞いていることを察した。
余計な追及をされたくないルドは素早くラミラに背を向け、廊下を走り出した。
「待ちなさい! 犬!」
ラミラが全速力で追いかけてくる。普通の女性なら魔法騎士団の騎士である、ルドに追いつくことなど出来ない。
だが、そこはクリスのメイドをしているラミラだ。普通ではない。
あっという間に、廊下の端に追いつめられたルドは、両手を挙げてラミラに訴えた。
「添い寝をしただけで、何もしていません」
「なんですって?」
ラミラの片眉が上がる。ルドはラミラを落ち着かせるように、ゆっくりと言った。
「ですから、添い寝をしただけで、なにもしていません」
ラミラのこめかみに怒りマークが浮かぶ。どこからか出したハタキの柄をルドの首に突きつけた。
「それで許されると、思っているのですか!? 一年前にも、カルラにヘタレだの、不能だの、と言われたのに、学習しておりませんでしたの? 据え膳状態で、何もしないなんて!」
「ちょっ、待って下さい! なにか、おかしくないですか!? なにもなかったことで怒られるんですか!?」
「おかしくありません!」
断言するラミラの気迫に、ルドの顔が引きつる。そこにカイが仲裁に入った。
「はい、はい。それぐらいにしとけ。クリスも起きたらしいから、飯にするぞ」
「まあ! クリス様からも、詳しく話をきかなくては!」
ラミラが走り出す。解放されたルドは、大きく息を吐いた。
その姿に、カイが苦笑いをする。
「大変そうだな」
「はい……」
「で、克服できそうか?」
「もう、その話は……克服?」
「クリスに慣れないと、魔法騎士団に戻されるんだろ?」
「あ……」
ルドの間の抜けた顔にカイが笑う。
「忘れていたな?」
「……はい」
「けど、一緒に寝れたんだろ?」
「隣にいただけです」
「緊張しなかったのか?」
「そういえば……」
手が震えることも、冷や汗が出ることもなかった。
ルドが思い出していると、カイが肩を叩いた。
「荒療治だが、上手くいったみたいだな」
晴れやかな笑顔だが、ルドは睨んだ。
「そういえば、昨日の風呂場の入り口の布を、すり替えていたそうですね?」
「ラミラのヤツ、しゃべったのか」
平然としているカイに、ルドが怒る。
「なぜ、そんなことをするんですか! 知らずに誰かが入っていたら……」
「だから、おまえさん以外は、入らないようにしといたんだよ。で、どうだった?」
「どう、とは?」
首を傾げるルドに、カイがニヤリと笑う。
「見たんだろ? クリスの、は、だ、か」
「ラミラと同じ言い方をしないで下さい。入り口の布は、風呂に入る前に交換しましたから、見ていません」
「なんだ、つまんねぇな」
「つまらなくて結構です! 食事をしてきます!」
ルドは荒い歩調で、食堂へと移動した。
ルドが食堂に入ると、焼きたてのパンの匂いに満ちていた。次に香ばしいベーコンと、珈琲の匂いが鼻を刺激する。美味しそうな匂いに、苛立っていた気持ちが落ち着いていく。
席を見るとイディとオグウェノ、その反対側にベレンが座って食べていた。
「おはよう。ベーコンは何枚食べるかな? ゆで卵はいるかい?」
ミレナが笑顔で皿にベーコンを載せていく。ルドは勧められた席に座った。
「おはようございます。あ、ベーコンは、それぐらいで。ゆで卵も下さい」
「はい。しっかり食べて」
ミレナがルドの前に、ベーコンとゆで卵とサラダを盛りつけた皿を置く。
「ありがとうございます」
「パンは自分で好きなだけ取って食べて」
「はい」
ルドがパンを手に取ったところで、オグウェノが声をかけてきた。
「昨夜はお楽しみだったようだな?」
「お楽しみ?」
怪訝な顔をしたルドに、オグウェノが深緑の目を鋭くする。
「月姫と寝たのだろ?」
オグウェノの発言に、ベレンが勢いよく立ち上がる。
「どういうことですの!?」
今にも迫ってきそうなベレンに、ルドは逃げ腰の姿勢になりながら答えた。
「水と間違えて酒を飲んでしまい、そのまま酔いつぶれてしまったのです。その時に、師匠が隣にいて、一緒に寝てしまっただけで……」
腰が浮きかけているルドの前に、ミレナが珈琲を置きながら説明をした。
「私が水と間違えて、酒を渡してしまってね。なかなかアルコールが強い酒だから、二日酔いになっていないか、心配していたんだ」
ミレナが間に入ったことで、ベレンの勢いが落ちる。
「お酒とお水を、間違えたのですか?」
「あの酒は無色透明でね。見た目だけだと、水と見分けがつかないんだよ。よく確認せずに、渡してしまったから。それが原因で迷惑をかけたようで、すまなかったね」
故意ではないし、素直に謝ったため、ミレナを責めるわけにもいかない。
「あ、いえ……その、大丈夫です」
朝からラミラに追いかけられ、全然大丈夫ではなかったが、ルドはとりあえず大丈夫なことにした。
ベレンは少し落ち着いた様子で椅子に腰を下ろすと、ルドに訊ねた。
「では、昨夜は酔いつぶれただけで、何もなかったのですね?」
「当然です」
ハッキリと断言したルドに、オグウェノが吹き出す。
「おまえ、そこは男として問題あると思うぞ」
「どこがですか?」
睨んできたルドに、オグウェノが笑う。
「ま、朝からする話題でもないからな。今度、サシで飲もう」
「サシ?」
「一対一で飲もうってことだ」
「……機会がありましたら」
ルドが不機嫌そうに答える。そこにクリスが入ってきた。
「師匠、おはようございま……」
挨拶をしかけたルドは、クリスの容姿を見て言葉が止まった。
いつもは茶色の髪が金髪のまま。しかも、普段は低い位置で一つに結んでいる髪が、高い位置で一つに纏めている。
服は黒が基調で、飾りなどなくシンプルなのだが、クリスの女性らしい体の線が浮き出ている。いつもなら、まず着ない服だ。
呆然としているルドの前を、クリスが通り抜ける。そしてベレンの隣の椅子に座った。
「おはようございます。初めてお見かけするデザインの服ですが、もう少し明るい色でも、よろしいのでは?」
「派手な色は好まん」
ミレナがベーコンを載せた皿を、クリスの前に置く。
「スーツを着るなら、パンツタイプじゃなくてスカートタイプにすれば、良かったのに」
「スカートがありますの?」
ベレンの目が光る。クリスはパンを取りながら言った。
「足は出したくない」
「スカートの丈が長いのもあるよ?」
「それは動きづらい」
ミレナが呆れたように肩をすくめる。
「まったく。あぁ言えば、こう言うんだから」
クリスは無言でパンを食べ始めた。オグウェノが笑顔で褒める。
「キリッとしていて、良く似合っているぞ。男装とは違う感じで、そういう服もいいな」
「そうか」
クリスが眉一つ動かさず、淡々とベーコンを切り分けて食べる。オグウェノが横目でルドを見た。
「赤狼、おまえもそう思うだろ?」
「は? え?」
いきなり話を振られてルドが我に返る。
そこにクリスの手元から、カチャン! と派手に食器がぶつかる音が響き、ゆで卵が宙を飛んだ。
「あ……」
全員の視線が集まる中、ゆで卵が綺麗な円を描いて落ちていく。
「っと」
床に落ちる前に、ミレナが側にあったカップで、ゆで卵を受け止めた。
「ほら、気を付けて」
「……すまない」
クリスが気まずそうに謝る。自分の外見についての話題がルドに振られ、羞恥でゆで卵を切る力加減を間違えたのだ。
ミレナはゆで卵をクリスの皿に載せると、ルドに視線を向けた。
「片付かないから、さっさと食べて」
「は、はい!」
慌てて食事を再開したルドに、ミレナが微笑みかける。
「思わずクリスティに見惚れちゃった気持ちは分かるけどね」
ガチャン!
今度はルドのゆで卵が勢いよく飛んだ。本心を言い当てられて動揺したのだ。
「あ……」
全員の視線がゆで卵に集まっていく。そして、その先にあるドアが開く。
「ミレナ、オレも飯……」
グシャ。
ルドのゆで卵は、カイの顔面に直撃した。