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ルドの意地とクリスの変化

 自室で夕食をとったクリスは、そのまま部屋で休んでいた。そこにノックの音が響く。


「クリスティ、いいかな?」


 ミレナの声にクリスがドアを開ける。


「どうした?」


「みんなが犬と呼んでる……ルド? だっけ? 夕食も食べずに図書室にこもっているんだけど……」


「あぁ。見たことがない本が、たくさんあるからな。時間を忘れて集中しているんだろ」


「夜食を作ったから、届けてくれないかな?」


 ミレナが笑顔とともに、クリスにバスケットを押し付ける。


「ラミラに頼めば……」


「師匠なんでしょ? 弟子の面倒は、ちゃんとみなさいとダメだよ」


 有無を言わさない微笑みに負けて、クリスがバスケットを受け取る。


「……わかった」


 クリスは夜食が入ったバスケットを持つと渋々、図書室へと移動した。


 歩く足がなんとなく重い。クリスは図書室を前にため息を吐くと、静かにドアを開けた。こっそりと中を覗きみると、奥から明かりが溢れている。

 音を出さずにドアを閉めると、気配を消して歩く。すると、机に本を積み上げて読み漁っているルドの姿があった。


「おい」


 ガタッ!


 ルドが勢いよく椅子から飛び上がってかまえる。しかしクリスは気にすることなく、ルドにバスケットを押し付けた。


「師匠? これは?」


「ミレナから夜食の差し入れだ」


「ありがとうございます」


 ルドはバスケットを受け取って中身を確認する。その中に明らかに食べ物ではない物が入っていた。


「師匠、これはなんでしょうか?」


 ルドが初めて見る素材で作られた長い筒を取り出す。


「これは水筒だ」


「確かに言われれば水筒ですが……自分が知ってる水筒とは、少し形が違いますね」


 水筒を珍しそうに眺めたり軽く小突いたりしている。クリスがドアを指さした。


「ここでの飲食は禁止だ。移動するから来い」


「はい」


 二人は隣の部屋へ移動した。

 広くない部屋に、細長い机と椅子が整然と並んでいる。ルドは騎士団員が一斉に食事をする食堂を思い出した。


「ここは食堂ですか?」


「少し違うな。食事をしながら勉強をしたり、話し合いをしたりするときに使う部屋だ。ほら、水筒とコップを出せ」


「はい」


 ルドがバスケットを机の上に置いて、水筒とコップを二個取り出した。

 クリスの眉間に明らかにシワがよる。


「……他に何が入っていた?」


「これです」


 ルドがバスケットから中身を次々と出していく。

 肉や野菜を挟んだパンを数個、それから果物と、手作りのラスクが並んだ。果物とラスクは明らかに一人分の量ではない。


「……一緒に食えということか」


 クリスはバスケットを渡された時のミレナの笑顔を思い出した。あれは後でラスクの感想を聞いてくる顔だ。


 覚悟を決めたクリスは水筒を開けると、コップに紅茶を注いでルドの前に置いた。


「ありがとうございます」


 クリスがラスクをつまむと、ルドから一席離れた椅子に座った。


「師匠?」


「これぐらいの距離なら、食べる邪魔にもならないだろ。菓子の感想を言わないと、ミレナの機嫌が悪くなるからな」


 ルドが少し考えてクリスの隣に座る。一歩下がりそうになったクリスをルドが慌てて止めた。


「慣れるためです! 協力して下さい!」


 ここまで必死に言われているのに動いたら、こちらが悪者のような気分になる。

 クリスは浮きかけた腰をおろすと、顔を背けながらラスクを口に入れた。


「そこまでして慣れなくていいんだぞ」


「それだと師匠から学べないじゃないですか! オークニーに戻るまでに絶対、慣れます!」


「……そうか」


 視線を伏せるクリスの隣で、ルドがパンを食べ始める。クリスは横目でその様子を見ながら言った。


「さっきも一人で学べていただろう? 魔法騎士団を辞めてまで治療を学びたいなら、ここで学べるようにするぞ」


「師匠は、どうするのですか?」


「私は今まで通り、オークニーの治療院研究所で研究をしながら治療をしていく」


 ルドは食べかけのパンを置いて断言した。


「なら、自分もそうします! 師匠がいなければ、ここで学ぶ意味はありません!」


 クリスは体をルドの方に向けて、しっかりと視線を合わせて説得するように言った。


「お前なら気付いたと思うが、ここにある情報量は私の屋敷の比ではない。ここで学ぶことは、普通では出来ないことなんだぞ。いつでも学べるというわけでもない。その機会を逃すのか?」


「確かに本の背表紙を読んだだけでも、惹かれる内容ばかりでした。それでも自分は、師匠から学びたいです」


 まっすぐ見つめてくる琥珀の瞳に胸が締め付けられる。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「それなら魔法騎士団に戻れ。私なんかより、国を守るほうが多くの人を助けることになる」


「師匠!」


「それだけだ!」


 クリスが椅子から立ち上がる。その手をルドが素早く握った。


「師匠! 待って下さい!」


 予想外のことにクリスが思わず振り返る。


「遺伝子について調べました! あの……短い時間だったので、正確に理解は出来ていないかもしれませんが……出来る限りの文献を読みました」


 クリスはルドが読んでいた本を思い出した。

 確かに、山積みになっていたのは、全て遺伝子関係の本だった。時間が限られている中で、治療に関係する本ではなく遺伝子の本を読むとは、もったいないことを……


 クリスがそんなことを考えていると、手を強く握られた。


「遺伝子を複製して人を造るという技術がある、ということは分かりました。ですが、その技術を使って造られたからといって、まったく同じ人間が出来るわけではありません」


「いや、だが……」


「育った環境、食事、教育によって性格は変わります。遺伝子は、体は同じですが、心は違います。まったく同じ考え、同じ気持ちを持った人間になるわけではありません」


 ルドの言葉を聞いたクリスに衝撃が走った。


 性格は生まれ持ったものもあるが、その後の成長過程で影響されることも多い。双子は共に生活をしているため似てしまいやすくなるが、まったく違う環境なら?


 自分は誰かの複製、ということにショックを受けて以来、詳しく調べることも、学ぶこともしなかった。だが、生まれ方が人と少し違うだけで、一つの命として存在が許されるなら……


 呆然としているクリスに、ルドが持論を続ける。


「イールについても少し調べました。イールはとても複雑な人形です。そして、設計図があれば同じものが大量に造れます。ですが……プログラム? というもので動いています。環境が変わっても、それが変わることはありません。人との会話などで学習はしますが、プログラムの範囲内です。傷ついたり、落ち込んだりすることはありません。人間とは、師匠とはまったく違います」


「……違うと、思うか?」


「違います! カリストやラミラにも聞いてみて下さい。みんな違うと言いますから」


「いや、いい……」


 クリスが深緑の瞳を伏せる。


 ずっと縛られていたものが、少しだけ解けた気がする。体が……心が軽くなる。


「師匠?」


「ありがとう」


 クリスがふわりと微笑む。その顔は穏やかで柔らかく、ルドの中にストンと入った。


 この笑顔をもっと見たい。いつでも師匠がこんな風に笑えるように、守りたい。


「師匠……」


「だが、これで私から学んでいい、というわけではないからな」


「なんっ!?」


 話が振り出しに戻って驚いているルドに、クリスは握られている手を指さした。


「手汗がすごいうえに、震えているぞ」


 指摘されてルドが反射的に手を離す。手は水をかけたのかというほど濡れており、離したにも関わらず小刻みに震えている。


「あぁ……」


 ルドは床に両膝をついた。


「もう……もう、この手を切り落としたいです……話すのは平気なのに、体が、体がぁ……」


「オークニーに戻るまでだからな」


「はぃ……」


 クリスの容赦ない言葉にルドが落ち込む。


「ま、頑張れ」


 クリスがラスクをつまんで椅子に座る。


「え?」


 てっきり部屋から出て行くと思っていたルドが驚いた顔になる。


「慣れる練習をするんだろ?」


 視線を反らして平然とした口調で言ったが、クリスの耳は赤い。


「はい! ありがとうございます!」


 ルドはクリスの隣に座ると食事を再開した。




 食事を終えたルドは、紅茶を飲みながらクリスに訊ねた。


「この水筒とは凄いですね。時間が経っても中の紅茶が温かいなんて」


 クリスが口角を上げる。


「私たちが使う魔法とは違うが、魔法みたいだろ?」


「そうですね」


 ルドが上下左右から水筒を観察する。


「神が消した文明は、魔力がなくても、使い方さえ知っていれば誰でも使える魔法。そんな魔法のような物が溢れている世界だったらしい」


「それは……さぞかし便利な世界だったのでしょうね」


「そうだろうな」


「なぜ、神はその世界を消したのでしょう……」


「わからん」


 クリスが紅茶を飲み干したところでノックの音がした。返事をする前にドアが開き、カイが笑顔で入ってきた。


「お、ちょうど食べ終わったところか?」


「どうした?」


「風呂に入るか聞きにきたんだ」


 カイの言葉にルドがすかさず訊ねる。


「風呂? 温泉ですか?」


 ルドの目が輝き、見えない尻尾がパタパタと横に揺れている幻が見える。


「温泉が好きなのか?」


「はい! 師匠のところで知ってから、好きになりました」


「おう、それなら入り方も知っているな。場所はミレナに聞いたらいい。下の階で片付けをしているはずだ」


「わかりました。本を片付けたら行きます」


 ルドが早足で図書室へと向かう。カイがクリスに訊ねた。


「クリスティも入るか?」


「ベレンたちは?」


「先に入ってのぼせている。ラミラは、クリスティより先に入るわけにはいかないって、入らないんだ。だから、さっさと入ってくれ」


「わかった」


 クリスはバスケットを持って部屋から出て行った。その後ろ姿に、カイが口角を上げた。


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