逆転夫婦
高くそびえ立つ建物の手前で馬車が停まった。馬車から降りたオグウェノが不思議そうに空を見上げる。
「セスナとやらから降りた時はかなり寒かったが、ここはまだ耐えられるぐらいの寒さだな。空も少し明るくなったように感じるが……」
「ここは空中庭園の中だからな。空はガラスみたいなもので覆われていて、気温と明るさはある程度調節できる。ここから出たら極寒で、真っ暗だぞ」
クリスの説明にオグウェノが目を丸くする。
「この街すべてをおおっているのか!?」
「そうだ」
「柱もなしに、これだけの広さをおおうことが出来るとは……しかも、そのおかげで温かいとは。外には出れないな」
本気で顔を青くしているオグウェノの背後でイディも顔をひきつらせている。
「外に出ることはないだろうから安心しろ。ほら、行くぞ」
クリスに案内された先は、高い建物ではなく、その向かい側に建っている普通の丸太の家だった。
「こちら……ですか?」
てっきり高い建物の中に入ると思っていたベレンとオグウェノが肩を落とす。その気持ちを察したカイが、すまなそうな顔になった。
「あそこに入れるのは、ごく一部の人間なんだ。今日は移動で疲れただろうから、オレの家で休んでくれ」
オグウェノが他の建物を見ながらカイに訊ねる。
「周りの四角い建物は、なんだ?」
「ほとんどは家だ。あとは商店だったり、飯屋だったり、いろいろだ」
「じゃあ、なんでこの家だけ木で出来ているんだ? 周囲と同じ形にしなかったのは、なにか理由があるのか?」
「愛しのハニーの希望だ。慣れ親しんだ木造の家の方が良いってな。ただいまー」
カイがドアを開けて家の中に入った。そこは十分に温かく、外の寒さを忘れさせてくれる。
クリスたちが防寒用のマントを脱ぐと、カルストとラミラが受け取って姿を消した。
そこにパタパタと可愛らしい足音が近づいてくる。
「おかえりなさい」
粉雪のように輝く白髪を一つにまとめ、菫のような紫の瞳をした老齢の女性が現れた。
「慣れない乗り物での移動で疲れたでしょう?」
ガサツなカイとは正反対で、上品に微笑む姿から所作の全てが洗練されていて美しい。
「さあ、こちらへどうぞ」
老齢の女性に案内された部屋は、暖炉にパチパチと小さな火が灯る応接室だった。
それぞれがソファーに座る中、イディはオグウェノとベレンの背後に立ち、ルドはクリスの後ろに立った。その様子にカイが笑う。
「ここでは護衛なんて考えなくていいぞ。お前たちも座れ」
そうは言っても、まったく動きそうにない二人に、老齢の女性が簡易の椅子を持って来た。
「これをどうぞ。これなら何かあっても、すぐに立ちあがって対応できるでしょ?」
「ありがとうございます」
微笑みと共に勧められた椅子を断ることができず、ルドは礼を言って座った。イディも軽く頭を下げて椅子に座る。
そこにカリストが紅茶セットを持って入ってきた。そのまま紅茶セットをローテーブルに並べていく。
カイは老齢の女性を近くに呼ぶと、紹介をした。
「オレの夫のミレナだ」
『夫!?』
驚愕の声が室内に響く。全員が硬直している中で、クリスだけは平然とカリストが淹れた紅茶を受け取っていた。
驚きで静まりかえった光景に、カイが満足する。
「いやぁ、いい反応だなぁ」
「話してなかったの? いくつになってもいたずらっ子だね」
「そう言うミレナだって、ワザと穏やかな口調で話していたクセに」
「お互い様ってところかな」
「そうだな」
二人が笑い合う。一同が呆然と眺めていると、クリスが紅茶を飲みながら言った。
「こうして客人を驚かすのは、二人の趣味のようなものだ。気にしないでくれ」
どうにかベレンが反応する。
「あ、いえ、でも本当に驚きましたわ」
「まったくの予想外だった。豪傑のカイ殿のパートナーというから、もっとこう……」
言いよどむオグウェノに、カイがニヤリと笑う。
「ミレナを外見通りだと思うと痛い目に合うぞ。オレが初めてミレナと出会った時なんか……」
それからカイは二人の馴れ初めから惚気へと話していく。ベレンとオグウェノは面白そうに聞いていたが、クリスはうんざりとした様子だった。
クリスが話しの途中で立ち上がる。
「先に休む。私の部屋はそのままか?」
ミレナがおっとりと頷く。
「もちろん、そのままにしているよ」
「ありがとう」
クリスが応接室から出て行く。慌てて後を追おうとしたルドの肩をカイが掴んだ。
「ちょっと待て」
「なんですか?」
急いでクリスを追いたいルドが焦る。
「まあ、落ちつけ。クリス抜きでちょっと話したいことがあるんだ」
「師匠抜きで?」
「そう。だから、ちょっと椅子に座れ」
ルドが大人しく椅子に座る。カイが先ほどまで惚気ていた顔から打って変わって真剣な表情になる。
「明日のことだが、第四王子以外はここで待っていてほしい」
カイの発言にイディが鋭く睨む。
「護衛が仕事なのは分かっている。だが、あの建物の中は外部の者に見せるわけにはいかない。第四王子は〝神に棄てられた一族〟の血を引いているということで、ぎりぎり了承を得たぐらいだ」
「了承って、クリスがそのように言いましたの?」
不思議そうに小首を傾げるベレンに対して、何かを察したオグウェノが補足する。
「そうか。領主といっても、領地の中ではそんなに権力はないんだな。国との交渉役というぐらいか」
「いや、一応それなりの地位はあるぞ。なんせ誰もやりたがらない領主という役職をしているからな。ただ、これは議会の決定だ。議会には逆らえない」
「議会とは何ですの?」
「各地の代表者が集まって話し合いをする場のことだ。政治や政策もそこで決まる」
ベレンが少し考えて質問をする。
「それだと決定までに時間がかかりませんか? もし意見が別れたりしたら、お互いが納得する案が出るまで話し合うのでしょう?」
カイとミレナが感心する。
「ほう? さすが皇帝の姉の娘だな。なかなか鋭い」
「この国の女性でそこまで考えられるとは、見どころがありますね」
二人に誉められてベレンが少し恥ずかしそうに頬を染める。
「他国から攻撃されるような状況でしたら、そのような話し合いをしている時間さえ惜しい場合があると思いまして……」
「確かに。話し合っても決着がつきそうにない時や、時間がない時は多数決で決める。多数決というのは、出ている意見の中で賛成の人数が多いものを採用する方法だ」
「そのような方法がありますのね」
「そうだ。だから議会に出席する代表者は責任がある」
「ですが、皇帝が全て決めた方が楽な気がいたしますわ」
「あぁ。言われるままに動くのは楽だ。だが、もし皇帝が愚劣な政治をしたら? 国はたちどころに衰退していくぞ」
「まさか。皇帝に限って……」
「実際に先帝の時はヤバかったからな。今の皇帝も〝神に棄てられた一族〟の知識で少し補助をしたから、国がここまで回復したところもある」
「え?」
「おっと。これは極秘な」
カイが唇に人差し指を当てて笑う。
「と、いうわけで護衛は建物の入り口で待っていてほしい」
「わかった。イディ、ここで文句を言うなよ。それでオレまで入れなくなったら本末転倒だからな」
オグウェノに言われてイディが渋々下がる。
「あと気付いているかもしれないが、オレとクリスティに血のつながりはない。もちろんミレナともな」
『えっ!?』
ルドとベレンが驚くが、オグウェノは黙って続きを待っている。
「クリスティはオレの孫として育てたが、このことを話したことはない」
「本人は知っていますの?」
「なんとなく気づいている。たぶん明日、はっきりとそのことを知るようになると思う。だが、なにがあっても見守っていてほしい。これはクリスティが乗り越えないといけない問題だ」
「ですが、血の繋がりがない親子は珍しくありませんよ?」
ベレンの言葉にルドが頷く。
「戦による孤児や捨て子を拾って育てるという話も珍しくはありませんし、そのことも師匠は知っていると思います。そこまで気にすることではないと思うのですが……」
「普通、ならな。だが、オレたちは〝神に棄てられた一族〟だ。普通とは違う。その中でもクリスの生まれは特異、ということだ。だからこそ、何も聞かずに見守ってやってほしい」
暖炉で燃える木の音がやけに耳につく。重くなった空気を払うようにミレナが明るく言った。
「硬い話はここまで。甘い物を食べて疲れを癒して」
ラミラが様々な菓子が載ったワゴンを運んでくる。それは見たことがないカラフルな色をしていた。
「これは、どのようなお菓子ですの?」
「食べてみて。きっと驚くよ」
ベレンが瞳と同じ水色の菓子を口に入れる。
「まあ! すぐに口の中で溶けましたわ」
「かき氷というお菓子だよ。こっちはアイスクリームというお菓子だ」
「こちらも口の中で溶けましたわ。不思議な感じです」
オグウェノが興味津々に菓子を見る。
「初めて見るな。シェットランド領の伝統菓子か?」
「シェットランド領というより〝神に棄てられた一族〟に伝わるお菓子かな」
「へぇ」
菓子で盛り上がっている様子をルドが眺めていると、カイがそっと肩を叩いた。ルドが振り返ると、カイがジェスチャーだけで付いてくるように示す。
ルドは無言で頷くとカイに続いて応接室から出て行った。
逆転夫婦の馴れ初めはこちらです
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「金獅子様は平凡な恋がしたい」