ルドの修行
馬車に揺られながらクリスはルドに訊ねた。
「このままシェットランド領に行くが、いいか?」
「はい、大丈夫です」
ルドは職業柄いつ戦場に駆り出されるか分からないため、収納袋には必要最低限の食料や衣類を常備している。今回も事前に確認済みで、寒冷地であるシェットランド領で過ごすために必要な物も追加した。
「そうか」
クリスがどことなく不満そうに頷いたため、ルドは自分の体を見て、服装が相応しくないのかと慌てた。
「魔法騎士団の服ではいけませんか? シェットランド領は極寒で雪深いと有名ですので一応、防寒具も持っていますが……」
「いや、そういう問題ではない……あと、そこまで極寒でもないし、雪深くもないぞ。防寒具も使わないかもしれん」
「そうなんですか? あっ……」
ルドが何かを思い出したように小声で呟く。
「どうした?」
ルドが誤魔化すように首を横に振った。
「い、いえ。なんでもないです。師匠が生まれ育った場所なんですよね? 行くのが楽しみです」
そう言って浮かべた表情は明らかに作り笑いだった。
「……冷や汗が出ているようだが?」
「いや、これは……あの……これから移動のために乗らないといけないアレを思い出して……」
クリスはルドが初めてクルマに乗った時、あまりの速さに大絶叫したことを思い出した。そして、今回の移動のために乗るセスナの速度はクルマの比ではない。
ルドの心情を理解したクリスは頷いた。
「そっちの汗か」
「……はい」
「乗ったら寝ていればいい」
「無理です!」
「案外、寝やすいぞ。大きく揺れなければ」
「そんなに揺れるのですか!? 前回、乗った時はそこまで揺れませんでしたよ!」
「天気と操縦者の腕次第だな」
「誰が操縦するのですか?」
クリスがニヤリと笑う。
「さあな?」
「誰が操縦するんですか!? 教えて下さい! 師匠!」
必死に懇願するルドをクリスがからかう。そんな二人を乗せて馬車は湖へと走っていった。
湖に到着すると、そこにはオグウェノたちとカリストたちがいた。
馬車から降りるクリスにラミラが手を差し出す。
「足元がぬかるんでおりますので、滑らないようにお気を付けて下さい」
「あぁ」
「犬も一緒に行くのですか?」
ルドは置いていくと言っていたため、クリスはバツが悪そうな顔になった。
「成り行きでそうなった」
「ぜひ、その成り行きを詳しくお聞かせ下さい」
わくわくと嬉しそうな顔をしているラミラをクリスが睨む。
「オークニーに戻るまでだ。オークニーに戻れば、あいつは治療院研究所の卒業試験を受けて魔法騎士団に戻る」
クリスの説明にルドが噛みつく。
「魔法騎士団には戻りません! それまでに師匠に慣れます!」
クリスから聞き出せないと判断したラミラは、素早くルドに飛びついた。
「クリス様に慣れるとは、どういうことですか? そこを詳しく」
「余計なことは言うな」
クリスが注意するが、馬車が走り去る音でかき消される。ルドはラミラにオークニーに戻るまでに女性恐怖症を克服する約束をしたことを説明した。
ラミラが満面の笑みで喜ぶ。
「そういうことでしたら、ぜひ協力させて下さい!」
「協力しなくていい!」
叫ぶクリスをルドが無視する。
「ありがとうございます! 頑張ります!」
「今はどのような状況ですか?」
「それが……」
なぜか意気投合し、女性恐怖症の克服作戦会議を始めた二人をクリスが遠い目で眺める。
「あんなに生き生きしたラミラは初めて見る気がするな」
「あれのどこが女性恐怖症なんだ?」
背後からやってきたオグウェノがラミラと作戦会議をしているルドを見ながらぼやく。クリスが肩をすくめた。
「この国の女性限定の女性恐怖症らしい。まったく、器用な恐怖症だ」
「どういうことだ?」
「いろいろあって、この国の結婚対象年齢の女に近づけなくなったらしい。私が女だと分かってから、近づくと冷や汗が出るようになったからな。ラミラのように、他国の女や結婚対象外の年齢の女なら問題ないようだ」
「ということは、おまえのことを結婚対象と認識しているということか」
神妙な顔で呟くオグウェノに、クリスが顔を真っ赤にして否定する。
「結婚対象とは分かりやすくするために言っただけで、実際にあいつが結婚相手として考えているわけではない!」
「んー。まあ、そう思っているなら、そのほうがいいな」
クリスが荒れた息を整えながら訊ねる。
「で、ベレンはどうした? 一緒ではないのか?」
「ベレンならあそこだ」
オグウェノが先ほどまでいた場所でイディと話している。
「ムワイはいないのか?」
「ムワイは飛空挺を飛ばすのに魔力を使いすぎたから、休ませている。あと連れていった先で珍しい魔法を見つけたら、面倒なことになりそうだからな。それに護衛はイディ一人いれば十分だ」
ムワイは気になる魔法があれば、そのまま研究を始めるため邪魔にしかならない。
そのことを察したクリスが頷く。
「賢明だな」
「で、迎えはいつ頃来るんだ?」
クリスがカリストを呼ぶ。
「どうされましたか?」
「迎えはいつ来る予定だ?」
「もうすぐだと思うのですが……」
カリストが空を見上げる。オグウェノも同じように顔を上げると、大きな鳥が下降してきた。
「お? もしかしてアレか?」
ニヤッタの街の湖の上で見たセスナより大きなモノが円を描きながら降りてくる。
湖の水をまき上げながら着水すると、クリスたちの前までゆっくりと湖面を滑ってきた。
「よお! 揃ってるか?」
カイがドアを開けて身を乗り出す。
「なかなか大きいので来たな」
「これなら全員乗っても余裕だぞ」
カイが胸を張って威張っている間に、カリストとラミラが素早く大型セスナを縄で陸地と固定する。そして板を取り出すと大型のセスナと湖の端に置き、簡易の橋をかけた。
「どうぞ、お乗り下さい」
「よっしゃ!」
一番に乗り込もうとしたオグウェノをイディが止める。そのことにオグウェノが口をとがらせた。
「なんだよ?」
「安全確認」
「分かった」
オグウェノが渋々イディに先を譲る。セスナの中を確認したイディが出てきた。
「問題ない」
「よし!」
オグウェノがセスナに乗り込む。次にベレンが恐る恐る乗り込み、その後ろにクリスが続く。その様子を息を飲んで見ているルドの背中をラミラが押した。
「はい、さっさと乗りましょう」
「いや、ちょ、待って下さ……」
ルドとラミラが乗り込み、最後に周囲の確認をしたカリストがセスナに乗り込んだ。
クリスに情けない姿を見られなくないルドは、最後尾の席に座った。とはいえ、それほど広くないため二席前にはクリスがいる。
ルドが座席の隅で小さくひじ掛けに掴まっている頃、前方ではカリストがカイと相談していた。
「私が操縦してもよろしいですか?」
「別にオレが操縦するぞ?」
「連日の操縦でお疲れでしょうから」
「これぐらい、なんともないが……」
カイが視界の端でルドを確認する。
「そうだな。任せる」
「はい」
カリストが操縦席に移動する。
カイはルドの隣に腰を下ろしながら声をかけた。
「おう、緊張しているな。相変わらずセスナは苦手か?」
「克服できる気がしません」
「けどクリスは克服するんだろ?」
「なぜそれをぉっ!?」
セスナがガタガタと動き出す。徐々に速度が上がり全身が座席に押し付けられる。ルドが必死に声を押さえている前でベレンが楽しそうに言った。
「まあ! 不思議な感覚ですわ!」
「もう少ししたら安定する。そうしたら、この感覚もなくなる」
「同じ空を飛ぶ乗り物でも、帆船の時とは違う感じですのね」
余裕があるベレンにカイが笑う。
「姫さんの方が適応力はありそうだな」
「……そうですね」
ガチガチに緊張しているルドにカイがため息を吐く。
「そんなに緊張していると、シェットランド領に着くまでに力尽きるぞ。ほら、楽にしろ」
「そう言われましても……」
「ここで力が抜けないと、クリスの前でも力を抜くなんて無理だぞ」
「それはっ、関係ないので、わぁっ!?」
カイが真剣な顔で人差し指を横に振った。
「チッチッチッ。この状況で力が抜ければ、クリスの前なら簡単に力が抜けるようになると思わないか?」
「ハッ!」
ルドが悟ったような表情になる。
「これは訓練だ。クリスの前でも平常心が保てるようになるための」
「わかりました!」
ルドが大きく深呼吸をして力を抜く努力を始める。そんなルドを眺めながらカイは椅子に体重をかけた。
「なぁ、座禅って知ってるか?」
「ざぜん?」
「大昔にあった修行の一つらしいんだが、目を閉じて呼吸を整えながら座って集中することで、己の煩悩や雑念と向き合い、精神をコントロールできるようになるとか、悟りが開けるとかなんとか……」
「それができるようになれば! どうやるのですか!?」
「なんか細かい座りかたがあったけど……ま、ここでその座りかたは無理だからな。とりあえず背筋を伸ばして座れ」
ルドが言われた通り背筋を伸ばす。
「それで次は……?」
「目を閉じて大きく息を吸って……吐いて……呼吸を整えることに集中して……」
ルドの全身から徐々に力が抜けていく。そこで突然、機体が大きく揺れた。
「っ!?」
ガタガタと小刻みに機体が揺れる。慌ててひじ掛けに掴まるルドの姿にカイが苦笑いをする。
「先は長そうだな」
「……はい」
ルドはひじ掛けを掴んだまま座席に沈んだ。