すれ違う心
クリスは驚愕しているルドを眺めながら、ぼんやりと考えていた。
ずっと頑なに男だと思い込んでいたのに、自分の一言であっさりと、くつがえしてしまったか。驚いているが、どこか納得しているようにも見えるし……これは、もう完全にバレたな。
そう認識した瞬間、世界が揺れた気がした。
「師匠っ!」
崩れ落ちていくクリスにルドが手を伸ばすが届かない。
クリスが床にぶつかると思った時、影からカリストが現れ、ふわりと受け止めた。
「クリス様、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ」
クリスは脱力したまま、ぼんやりと返事をした。
いつもなら、どんなに体調が悪くても他人に体を預けることを嫌い、無理やり起き上がろうとする。だが、今はその気力もなく、力も入らない。
カリストはいつもと同じ様子で平然と声をかけた。
「馬車を呼びますので、戻りましょう」
「あぁ……」
焦点が合わないクリスを横抱きにすると、カリストは立ち上がった。
「では、お先に失礼します」
カリストは一礼すると、クリスを抱えたまま歩きだした。
歩調に合わせて揺れる艶やかな黒髪。切れ長で闇夜を連想させる漆黒の瞳に、中性的で美麗な顔立ち。
華奢な体格にも関わらず、人を抱えているとは思えない優雅な足取り。
いつの間にか現れた眉目秀麗の執事に、女性客たちから感嘆のため息がこぼれる。
店内の視線を一気に集めたカリストを、ルドが呆然と見送っていると、オグウェノが少し悔しそうに呟いた。
「おいしいところを持っていかれたな」
「おいしいところ?」
怪訝な顔をして振り返ったルドに、オグウェノが物知り顔になる。
「おまえは分からなくていいんだよ」
「どういう意味ですか?」
珍しくルドが不機嫌な顔になりオグウェノを睨む。だが、オグウェノはまったく気にすることなく質問をした。
「それより、これからどうするんだ? 魔法騎士団に戻るのか?」
「それは……」
ルドは迷うことなく答えた。
クリスが我に返った時には、ルドの屋敷の借りている部屋にいた。普段着姿で椅子に座っていたが、どうやって部屋に戻ったのか、いつ着替えたのか、覚えていない。
そのまま呆然を椅子に座っていると、ドアの前で控えていたラミラが訊ねてきた。
「クリス様、夕食はいかがされますか?」
クリスか軽く頭を振る。
「食欲がない。今日はこのまま休む」
「……わかりました」
ラミラが静かに下がる。クリスはふらりと立ち上がると、ベッドに倒れ込んだ。
「やって……しまったな」
いつかはバレると思っていたが、まさか自分から言うとは考えてもいなかった。
女とバレた以上、女性恐怖症のルドが、今まで通り自分の下で学べるとは思えない。
しかし、考えようによっては、丁度よかったのかもしれない。ちょうど一年で、治療院研究所を卒業する頃だった。魔法騎士団を退団しようとしていたらしいが、あれだけ必要とされているなら戻れるだろう。
それでも治療について学びたいと言えば、シェットランド領にいる、腕がいい治療医師を紹介して、そこで学べるようにすればいい。
「別に、なんてことはない」
ルドが来る前の生活に戻る。それだけだ。
クリスは寝返りをうって天井を眺めた。
ルドが来る前の生活を思い出そうとするが、なぜか思い出せない。気が付くと側にいて、琥珀の瞳が笑って、赤髪が揺れて……いつも、手が届く位置にいて……それが、当たり前になっていた……
クリスが再びうつ伏せになる。
「……大丈夫だ。だいじょう……ぶ……」
言い聞かせるように呟きながら、クリスは枕に顔を埋めた。
クリスの部屋から出たラミラは、食堂で食事中のエルネスタに報告していた。
「そう。クリスちゃんは、食欲がないの……」
「申し訳ございません」
頭を下げるラミラに、エルネスタが微笑む。
「あなたが悪いわけではないのだから、謝らないで。悪いのは……」
そう言って睨んだエルネスタの先には、魂の抜け殻となっているルドの姿があった。椅子に座って夕食をとっているが、その動きは規則正しく器械的だ。
魂が抜けた顔で、正面を向いたまま、手と口だけが動いている。
そんなルドにエルネスタは盛大なため息を吐いた。
「いままで気付かなかった、この馬鹿息子が悪いんだから。こんなのが息子なんて悲しいわ」
エルネスタの嘆きも耳に入っていないらしく、ルドの動きは変わらない。
隣に座っているフィオリーノがルドに同情する。
「いままでのことを考えれば、仕方がないことだ。むしろ、これを機に、女性と接することが出来るようになるんじゃないか?」
エルネスタの片眉がピクリと上がる。
「あぁーなぁーたぁー? それはクリスちゃん以外の子を、娘に迎えるということかしらぁ?」
一段低くなったエルネスタの声に、フィオリーノの肩が跳ねる。
「ち、違う! それは断じて違うぞ!」
「では、どういう意味か、しっかり説明して頂きましょうかぁ?」
夫婦の空気がどす黒い何かに侵食されていく。
ラミラは気配を消してそっと下がった。不穏な空気が食堂内に流れているため、他の使用人たちも入り口で控えている。
その不穏な空気の発生元であるエルネスタが、ルドに話しかけた。
「で、ルドはこれからどうするの? 明日には、シェットランド領に出発するのでしょう? 一緒に行くの? 行かないの?」
「あ……はい」
ルドが呆然としたまま、返事だけをする。その姿にエルネスタのこめかみに怒りが浮かぶ。
「ルゥドォヴィィクゥスゥ?」
「はい!」
突き刺すような殺気に、ルドが素早く立ち上がる。
「明日はどうするのか、と聞いているのよ」
やっと意識が戻ったルドが考えこむ。
「あ、明日ですか。明日は朝一番に……」
「あー、もう詳しい予定はいいわ。クリスちゃんと一緒に行くのか、行かないのか。どっちなの?」
「共に行きます」
即答したルドにエルネスタが、ほうっと感心した顔になる。
「思ったより、すんなりと答えたわね。じゃあ、なんでそんなにぼんやりしているの?」
「師匠の下で治療師の勉強をしたいのですが、どうすれば今まで通り学べるか……」
「クリスちゃんが女の子でも学びたいのね」
ルドが大きく頷く。
「当然です。師匠が師匠であることに変わりはないのですから」
エルネスタが満足そうに頷いている隣で、フィオリーノが提案した。
「学べなければ、魔法騎士団に戻ればいい。手配しておくぞ」
ルドが左右に、首を振る。
「いえ。自分は師匠を守ると決めました。学ぶことが出来なくなっても、有事の際に駆けつけられるように、近い場所に居たいと思います」
ルドの答えにエルネスタが相槌を打つ。
「そうね。魔法騎士団にいたら、すぐに駆けつけることができないものね。それなら、退団していいわ」
あっさり退団を許可されたルドは、直立したままエルネスタに確認した。
「いいのですか?」
「女の子一人守れないのに、国なんて守れるわけないもの。そうでしょ?」
話を振られてフィオリーノが言葉を詰まらす。
「そ、そうだな。だが、私はできれば魔法騎士団に戻ってほしいが……」
エルネスタから、ぶわっと闇が吹き出す。フィオリーノは隣からの重圧を振り払うかのように咳払いをした。
「だが、おまえは一度決めたら曲げないからな。それは治療院研究所に行くと言い出した時に、嫌というほど知った。あとは、おまえの好きにしろ」
フィオリーノの言葉に、エルネスタから不穏な気配が消え、満面の笑みが広がる。
「さすが、あなただわ。賛成してくれると思いましたの」
「君を敵に回したくない、というのもあるがな」
「あら、敵に回してもよくてよ?」
「命が惜しいからな。それに惚れた女は、敵にするより守りたい」
「もう! あなたったら!」
エルネスタが嬉しそうにバシバシとフィオリーノの背中を叩く。
惚気全開の両親を前にしても、ルドは一切表情を変えずに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
そして顔を上げたルドは着席すると、エルネスタに訊ねた。
「ところで母上は、いつから師匠が女性であることを、ご存知だったのですか?」
「あら〝神に棄てられた一族〟が女性しか生まれないことは、有名よ。知っている人は少ないし、箝口令が敷かれているけど」
「それは、有名と言えるのですか?」
「でも、一度聞いたら忘れられないでしょ?」
「確かにそうですが……あ!?」
夕食を再開していたルドの手が止まる。
「待って下さい。シェットランド領の前領主であるカイ殿は〝神に棄てられた一族〟ですよね?」
「えぇ、そうよ。今は白髪になられてしまったけど、昔は獅子のように輝く黄金色の髪をされていたわ。翡翠のように輝く瞳は仮面で隠されていたけど、髪が白髪になられてからは、外されているわね。おかげで、お会いした時は、いつでもあの瞳が見られるようになったわ」
エルネスタが、うっとりと思い出しながら話す。その反対側では、ルドの手が微かに震えていた。
「では、あの数々の武勇伝は……」
フィオリーノがルドの心境を察して静かにとどめを刺した。
「全て事実だ。お義父上、おまえの祖父であるガスパル将軍が実際に目の前で見ている」
「女性で、あそこまでの偉業を……」
ルドは残りの食事を駆けこむように食べると、勢いよく立ち上がった。
「デザートはいらないの?」
「はい。鍛錬をしてきますので、先に失礼します」
ルドは早足で食堂から出て行った。