クリスの失態
店内に入ったクリスは椅子に座ると、疲れたようにため息を吐いた。
「まったく迷惑なヤツだった。本当に魔法騎士団の騎士か? 後半なんて自滅戦だぞ。よく務めることができるな」
クリスの隣に立っているルドは、苦笑いを浮かべながら説明した。
「今回は暴走していましたが、あれでも普段はもう少し冷静です。熱血漢で押し切るところもありますが、いつもなら隊長たちが抑えますし」
「今回は抑えなかった、ということか?」
ルドが慌てて否定する。
「いえ! 隊長たちが今回のことを知っていたら、即止めています! 隊長たちが知らなかったか、もしくは不在だったか……」
「それなら、あいつらの単独行動ということか? だが、第二皇子に報告すると言っても、動じずに素早く撤退したところが気になるな。普通なら、もう少し動揺しそうなところだが……」
「まあ、報告が上がれば謹慎などの処罰がされるでしょう」
「処罰覚悟で動いていた、ということか? そこまでして、お前を連れ戻そうとするなんて、いい奴らじゃないか」
何かを思い出したのか、ルドの眉間にシワが寄る。
「いえ、昔から何かと突っかかってくる奴らでして……特にセルが絡むと、ロクなことがありませんでした」
「セルティが絡んだ時点でそうなるな。で、どういうことだ?」
「なにがですか?」
「魔法騎士団を辞めるという話だ」
クリスに睨まれたルドは、立ったまま真っ直ぐに見つめ返した。
「はい。退団願いを出しました」
「なぜだ?」
「師匠の下で学ぶためです」
「だが、一年という制約で、治療院研究所に入ったのだろう?」
「はい」
「ならば、戻れ」
「ですが!」
ルドの大声に、店内の視線が集まる。ルドは慌てて椅子に座ると、クリスに小声で訴えた。
「自分は師匠の下で、もっと学びたいんです」
そして、守り続けていきたい。
後半は言葉にしなかったが、目で必死に訴えた。しかし、無情にもクリスは頭を横に振った。
「おまえには、帰るべき場所がある。ならば、そこに帰れ。治療についてだが、基礎は十分に教えた。あとは応用になるが、おまえなら出来るだろう」
「……師匠」
認められて嬉しいが、今はその感情に浸っている場合ではない。
ルドが反論しようと改めてクリスの顔を見たところで、言葉に詰まった。
綺麗に整えられた眉が下がり、長い睫毛が俯いている。深緑の瞳が揺れ、いまにも涙が溜まりそうだ。化粧をしているためか、いつもと違う雰囲気が、物悲しさと儚さを強調している。
ルドがクリスから視線を外せず、何も言えなくなっていると、背後からエルネスタの声が忍び寄ってきた。
「ルゥゥドォォォ? なぁんで、クリスちゃんを困らせているのぉぉぉ?」
「い、いえ! 困らせてなっ、ぐぅ……」
後ろから首を絞められ、ルドの息が止まる。クリスが慌ててエルネスタを止めた。
「エル殿、私は困っていない。少し考え事をしていただけだ」
「あら、そうなの?」
エルネスタがあっさりと腕を外す。ルドは咳をしながらエルネスタから距離をとった。
「母上、いきなり首を絞めるのは止めて下さい」
「そもそもルドが、ちゃんと根回しをして退団願いを出さないから、こうなるんでしょう? ガスパルを説得できたぐらいで、喜んで退団願いを出したらダメよ」
「エル殿はご存知だったのか?」
エルネスタがクリスの隣の席に座る。
「えぇ」
「なぜ、止めなかった?」
「あら、なぜ止めないといけないの?」
「一年という制約なのだから……」
エルネスタが、にっこりと微笑む。
「その制約を破ることになっても、やりたいと思えることがあることのほうが、私は大切だと思うの」
「だが……」
「失礼します」
クリスの言葉を遮るように紅茶とデザートがテーブルに並べられる。そこにベレンたちもやって来た。
「噂通りの可愛らしいデザートですのね」
ベレンが嬉しそうに椅子に座る。オグウェノたちも空いてる席についた。
「可愛いでしょ? ほら、ほら。クリスちゃんも食べて」
エルネスタとベレンに挟まれたクリスは、渋々目の前のカラフルなクッキーを口に入れた。甘いはずなのだが、あまり味を感じない。
クリスがぼそぼそと食べていると、オグウェノがエルネスタを称賛した。
「只者ではないと思っていたが、まさか魔法騎士団の騎士の頭を踏みつけられるほどの腕前とは、思わなかった。ケリーマ王国の女性騎士団に、引き抜きたいぐらいだ」
「別にあれぐらいは簡単よ。相手が油断していたのと、頭を起こせない状況にしただけだから。そうでなければ、すぐに反撃をされて押さえられていたわ」
「反撃されたら、さすがに押さえられるか」
「そうね。まあ、私一人なら逃げきることも、できるけど」
「それだけできれば上等だ。時間稼ぎをして味方を逃がせるうえに、生還できるということだからな」
エルネスタがホホホと笑う。
「そういえば、あなたもクリスちゃんを攫った時は、すごかったと聞いているわよ? 大胆にも、帝城の中庭から飛空艇で攫ったんですって? しかも怪我人も出さず、なかなか鮮やかな手腕だったと聞いたわ」
オグウェノが苦笑する。
「こっちの事情だからな。なるべく怪我人を出したくなかったんだ」
「そのために、わざわざ髪を染めたんですってね?」
オグウェノは目を丸くした後、短くなった黒髪をかいた。
「そこまで知ってるとは、さすがだ。ハッタリのつもりで金色に染めたが、思ったより効果があって助かった」
そこでルドが思い出したように、クリスに訊ねた。
「そういえば、師匠はどうして髪を染めていると、分かったのですか?」
クリスがクッキーをもそもそと食べながら、興味なさそうに話す。
「髪から魔力を感じなかったからな。それなら、染料で染めていると思ったのだ」
「でも、地毛の可能性もあるわけじゃないですか。どうやって髪を染めていると見抜いたのですか?」
クリスが当然のように答える。
「〝神に棄てられた一族〟は金髪、緑目の女しか生まれないからな。男であり緑目である時点で、金髪ということはありえな……」
クリスが自分で言った言葉の意味に気がついて固まる。一方のルドは目を丸くしていた。
「女しか……生まれない? え? それだと師匠は?」
ルドはクリスを頭の上から足先まで、ゆっくりと視線を動かして見た。
確かに目の前にいるクリスはいつもと違って、どこからどう見ても女性である。いや、むしろこれで男というほうが無理があるぐらいだ。
ルドは恐る恐る確認するように訊ねた。
「え? あの、師匠は……本当は…………女性、ですか?」
ルドの質問に、クリスは顔を青くしたまま答えない。慌てて周囲を見るが誰も驚いた様子はなく、むしろ、何を今さら、という空気が流れている。
「そんっ!?……えっ!?…………えぇ!?」
平然としているベレンたちにルドが訴える。
「なんで、みんな驚かないんですか!?」
オグウェノが呆れたように肩をすくめた。
「こっちは何度も忠告したが、それを聞き入れなかったのは、お前だろ」
「いや、それは……まさか、師匠が……」
ルドがもう一度クリスを見ると、真っ青な顔で今にも倒れそうになっていた。
「師匠?」
ルドの声にクリスの肩が怯えたように揺れる。
「どうしましたか?」
ルドが手を伸ばすが、クリスは逃げるように立ちあがって一歩下がった。その時、椅子に足を取られてバランスを崩し、無言のままクリスの体が崩れ落ちた。