ベレンとエルネスタ
おどろおどろしい気配に、騎士たちの動きが止まる。全員が静かに気配の元へと視線を向けると、怖いほど綺麗な微笑みを浮かべているエルネスタがいた。
「こんな街中で、ナニを、しているのかしら?」
ランスタッドが抑圧的に叫ぶ。
「女は黙って下がってい……」
言葉が終わる寸前で、ランスタッドの顔は地面にめり込んだ。
「女性に対する口の利き方を知らないようね?」
ランスタッドの後頭部には、エルネスタの足がある。油断していたとはいえ、一瞬で魔法騎士団の騎士を沈めた実力に緊張が高まる。
明らかに、先ほどとは違う殺気が溢れる中、ルドが両手を出して落ち着くように声をかけた。
「母上。母上が踏まれているのは、魔法騎士団の騎士です。ゆっくりと、足をどけて下さい」
「そんなの着ている服を見れば分かるわ。でも、それだけなら私が足をどける理由にはならないわね」
不機嫌が上限を超えているエルネスタから発せられる怒りに、誰も動けない。
ランスタッドが、どうにか起きあがろうと体を動かしかけたが、それを封じるようにエルネスタが言った。
「今、顔を動かしたら、私の足と下着を見ることになるわよ? そうなったら、責任を取ってもらいますからね。ちなみに私の夫はフィオリーノ・ガルメンディアですから、そのつもりで」
女性が足を見せるのは、恋人や夫婦など親しい間柄だけだ。もし、それ以外の人が見た場合は、責任をとって結婚するという話もある。それが結婚している女性の足だった場合は、その夫に決闘を申し込まれることになる。
しかもフィオリーノ・ガルメンディアといえば、騎士の間では知らない人はいないほどの武人であり、輝かしい戦歴の持ち主だ。憧れはすれど、決闘をするなど考えられない。
「ぐっ……」
ランスタッドは唸りながら顔を地面に向けた。
「で、どうしてこうなったの?」
「いや、それが……」
説明をしようとしたクリスをベレンが止める。
「私が説明いたしますわ」
ベレンが包み隠さず、第三者の視点から全てを話すと、エルネスタが扇子を取り出して口元を隠した。
「そんなことで、これだけの騒ぎを起こすなんて浅はかね」
「ルドヴィクスが退団するというのだぞ!? そんなことではない!」
「ルドがいなくなったぐらいで揺らぐのなら、魔法騎士団なんて解散すればいいのよ」
「なんだと!?」
吠えるランスタッドを、エルネスタが睨み付ける。
「なによりも、私の大切なお茶の時間を邪魔したのですから。し、か、も、この騒ぎですと、今夜予定していた夜会は開けそうに、ありませんものねぇ?」
安全だと言われていた、この大通りでこれだけの騒ぎだ。急遽、後始末や改善対策に追われる人が出てくるだろう。ましてや、これだけの騒ぎがあった晩に行われる夜会に出席する貴族などいない。
「どう責任をとって頂きましょうかしらぁ?」
エルネスタの笑みの裏から、怒りの炎が見え隠れしている。収束が見えない状況に、騎士たちも動けない。そこにクリスが声をかけた。
「犬……いや、ルドの進退については、時間をくれ。魔法騎士団に戻るように説き伏せる」
「本当か、ぐぁ……」
顔を上げようとしたランスタッドを、エルネスタが強く踏みつける。
「クリスちゃんはいいの? ルドが魔法騎士団に戻っても」
「それが、あいつの仕事だったんだ。元の場所に戻るのは当然だろ」
「……そう」
エルネスタがあっさりと足を離す。そのことにランスタッドが驚いた。
「なっ!?」
警戒しながら、ゆっくりと体を起こしたランスタッドに、エルネスタが言った。
「今日のところは下がりなさい。こちらから、第二皇子に全て報告させてもらうわ」
「……わかった。行くぞ!」
騎士たちが負傷者を抱えて一斉に撤退していった。
エルネスタは、パチンと扇子を閉じるとクリスに微笑んだ。
「そのドレスも可愛らしくて、よく似合っているわ。ベレンが選んだの?」
「あ、あぁ……」
クリスは質問に答えるより、エルネスタが魔法騎士団の騎士に、直接意見をして通したことに驚いていた。
男尊女卑が強いこの国なら、普通は「女のクセに」の一言で、全てがなかったことにされる。それどころか、全員から斬りかかられても、おかしくない状況だった。
クリスが呆然と眺めていると、エルネスタが恥じらうように笑った。
「そんなに見つめられたら、恥ずかしいわ」
「す、すまない」
慌てて視線を逸らしたクリスに、エルネスタが手を差し出す。
「さ、お茶の続きをしましょ」
「お茶?」
「えぇ。すっかり冷めてしまったから、もう一度注文をし直したのよ。さ、行きましょ」
エルネスタに引っ張られてバランスを崩す。
「うわっ」
こけそうになったクリスの腰をルドが支える。
「大丈夫ですか?」
「あぁ……」
「どこか怪我を?」
「いや、慣れない靴で歩きにくいだけだ」
クリスが顔を上げると、いつもりより近い位置にルドの顔があった。ヒールの高さ分、背が高くなっているのだ。
それはルドも同じで、化粧によっていつもとまったく雰囲気が違うクリスが目前にいる。しかも、なんだかいい匂いまでする。
お互いに顔を赤くして固まっていると、エルネスタが微笑んだ。
「あら、あら。まぁ、まぁ」
その声に、ルドが慌てて姿勢を正す。
「元はと言えば、母上が師匠の手を引っ張ったのが、いけないんですよ」
「あら。それは御免なさいね」
エルネスタが珍しく素直に謝ったため、ルドの背中に悪寒が走った。
「……母上、なにを企んでおりますか?」
エルネスタが扇子を広げて微笑む。
「別に、何も。それよりも、お店までクリスちゃんをエスコートしなさい」
「いや、一人で歩けっ……」
言いながら踏み出したクリスが、すぐにバランスを崩す。戦闘で石が散乱している道では、真っ直ぐ歩くのさえ難しかった。
「危ない!」
ルドが両手でクリスを支える。
「ほら、ほら。ちゃんと支えていないと、クリスちゃんが足を挫いちゃうわよ?」
ルドは少し考えると、クリスに頭を下げた。
「失礼します」
ルドはクリスを横抱きにして持ち上げた。
「なっ!? なにをする!?」
「母上が言うように、足を挫いてはいけませんから。お店までですので、少し辛抱して下さい」
そう言うと、ルドはクリスが反論する前にさっさと歩き出した。その様子にオグウェノが苦笑いを浮かべる。
「オレたちの存在を、完全に忘れているな」
「そうですけど、仕方ありませんわね」
ベレンが同意していると、エルネスタが微笑んできた。
「なかなか良いドレスを選んだのね」
「磨けば光る原石でも、磨き方が悪ければ、光ることは出来ませんから」
「あら、どういう意味かしら?」
「ご自身のセンスにお聞きになれば、よろしいかと」
「言うようになったわね」
ベレンがにっこりと微笑む。
「もうルドは関係ありませんから」
その言葉に、エルネスタの目が丸くなる。そして、満足そうに微笑んだ。
「それなら良かったわ。あなたも一緒にお茶にしましょう」
二人は崩れた道を軽い足取りで歩いていった。