エルネスタと残された男たち
クリスの手を引っ張って通りに出たベレンは、二軒隣にある店へ歩いた。
「いらっしゃいませ、ベレンガリア様」
店の入り口にいた、屈強な体つきのドアマンが、恭しく頭を下げながらドアを開ける。ベレンは、チップをドアマンに渡すと、クリスを連れて店内に入った。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた女性の声が響く。店員は女性だけで、様々な色のドレスが飾られていた。
ベレンが慣れた様子で、店員に声をかける。
「この人の全身コーデを、お願いしますわ」
店員がにこやかな笑顔のまま、失礼にならない程度に、クリスを頭から足先まで注視する。
「はい。ご希望の色や、イメージなどは、ありますか?」
「そうですわねぇ……この前は、赤いドレスを着ていましたし、その前は黒でしたから、その二色以外がいいですわ」
「一足先に春を意識して、暖色系のお色や、瞳の色に合わせた緑色系などは、いかがでしょうか?」
「いいですわね。どうせなら……」
ベレンが完全にクリスを無視して、話を進めていく。
店員も、死んだ目になっているクリスを無視して、次々とドレスを持ってきては、ベレンに披露する。
「こちらは昨日、入ったばかりの新作です。少し高めの部分で絞ることにより、腰を細く、足を長く、見せる効果があります」
「夜会でも着れますわね」
「はい。目立つデザインですので、注目の的になること間違いなしです」
ベレンがチラッと、クリスの顔を見る。クリスは死んだ目を微かに泳がせた。
そのことを敏感に感じ取ったベレンが頷く。
「目立つのは苦手みたいですわ」
「それでしたら、こちらはいかがですか?」
店員が次のドレスをクリスの体にあてる。
「こちらは昔ながらのデザインですが、流行のレースを使いまして、洗練された雰囲気に仕上げております。それから、こちらは……」
店の奥から、色鮮やかなドレスが、次々と運ばれてくる。もう好きにしてくれ、とクリスが意識を放棄していると、ベレンが声をかけてきた。
「これだけあると悩みますわね。なにか希望はあります?」
「……目立たなければいい」
「目立たない……落ち着いたデザインというと……あれにしましょう」
ベレンがすぐにドレスを決める。思ったより早く決まったことにクリスが安堵していると、店員が靴を持って来た。
「背がありますので、ヒールは低めで揃えました」
「ルドが相手ですから、ヒールは普通の高さでも大丈夫ですわ」
「それでしたら……」
選べる靴の幅が広がり、店員がウキウキと店の奥に下がる。
クリスが顔を赤くして抗議した。
「犬が相手とは、どういうことだ!?」
「あら、今日はガルメンディア邸でパーティーがあるのでしょう? 当然、ダンスもありますから、踊る相手はルドになりますわよ?」
「パーティー……あっ!」
昨日、エルネスタがパーティーをすると言っていたことを思い出した。身内だけの食事会だと思っていたクリスは慌てた。
「誰が来るんだ? そんなに、大事になっているのか?」
「さあ? 皇族と、親しい貴族の方々には、招待状が配られていましたわよ」
「いつの間に……」
絶望するクリスの足元に、店員が靴を並べていく。
「あら、この靴は綺麗な形ですわね」
「はい。そちらは皮と布を使った新しいデザインでして……」
ベレンと店員の声が遠くなっていく。
パーティーは回避したいが、世話になっている以上、出席しない、というわけにはいかない。カリストはともかく、ラミラが嬉しそうに準備をしている姿が浮かぶ。
クリスの目から光りが消えるが、ベレンはお構いなしに店員と話を進めていった。
「アクセサリーはこちらの……」
「可愛いですわね。宝石はあまり大きくなくて……」
明るく楽しそう会話声が続くが、クリスの耳には入らない。
「髪型は……」
クリスが次に意識を取り戻した時には、全てが終わっていた。
一方のエルネスタは、タイプがまったく違う男三人に囲まれて、デザートを食べていた。その光景は、自然と店内の女性たちの視線を集める。
その視線にいたたまれなくなったルドが、声を出した。
「母上、買い物はこれで終わりですか?」
「んー、そうね。これで全部かしら」
「では、あとは帰るだけですね」
ルドがほっと息を吐く。
「ところで、こちらの方々は?」
エルネスタがオグウェノとイディに視線を向ける。
オグウェノは、数多くの女性を虜にしてきた極上の笑みをつけて自己紹介した。
「ケリーマ王国の第四王子、オグウェノ・ケリーマと申します。こちらは、臣下のイディ・カンバラケです。お見知りおきを」
紹介されて、イディが軽く頭を下げる。いきなり王子と自己紹介されたら、普通は驚くか疑うところであるが、エルネスタはそのどちらもせず、にっこりと微笑んだ。
「ルドヴィクスの母、エルネスタ・ガルメンディアよ。そう、あなたが……」
声が途切れたことに、ルドが慌てる。
「母上、場所を! 場所をわきまえて下さい!」
「わかっているわよぉ?」
どす黒い空気をまとった声に、オグウェノの顔が笑みを浮かべたまま引きつる。イディが、いつでも攻撃できるように気配を鋭くした。
「会いたかったのよぉ? あなたが、私の可愛いクリスちゃんを誘拐したのねぇ?」
オグウェノが助けを求めるように、無言でルドを見る。ルドが任せろ、と頷きながらエルネスタに言った。
「師匠は母上のものでは、ありませんから」
「いや! 言うことは、そこじゃねぇよ!」
思わず突っ込んだオグウェノに、ルドが首を傾げる。
「え?」
「天然か! いや、天然だったな」
オグウェノが頭を抱える。エルネスタは扇子を出すと、口元を隠した。
「あなたの顔は覚えたわ。夜道には気を付けなさい」
「いや、月姫を拐ったのは訳が、誤解が……」
エルネスタの目がスッと細くなる。
「言い訳は見苦しいだけよぉ?」
「グッ……」
オグウェノの顔から笑みが消える。エルネスタは横目でイディを見た。
「主であろうとも、誤った道を進みそうになったら、それを正すのが臣下の務め。あなたは、それを怠ったの?」
「……全ては王子の御心のままに」
エルネスタの片眉が上がる。
「そう。それがあなたの仕え方なのね」
パチンと扇子を閉じる。
「まあ、無事にクリスちゃんが帰ってきたから、ここはこれぐらいで引きましょう。ところでクリスちゃんは、どこに行ったの?」
ルドに再び緊張が走る。エルネスタが着せた服がダサいから、ベレンが買い替えに行ったとは、口が割けても言えない。
どう切り抜けるか悩んでいると、オグウェノが説明をした。
「お姫さんが、一緒に買い物をしたい、と連れていったんだ。どうしても、着せたい服があるらしい」
「お姫さん?」
首を捻るエルネスタにルドが説明する。
「ベレンのことです」
「あら。あの二人は、いつの間に一緒に買い物をするほど仲良くなったのかしら?」
「二人に険悪な様子は、ありません」
「あら、意外。でも……まあ、ベレンと対等に話ができるとしたら、クリスちゃんぐらいでしょうし、ちょうど良かったのかも、しれないわね」
エルネスタが視線を伏せて紅茶を飲む。オグウェノが不思議そうに訊ねた。
「お姫さんには、友人がいないのか?」
「彼女は身分の高さから、周囲が一歩引いていてね。本心を話せる友人は一人もいないの。その点、クリスちゃんはそういう遠慮がないから、話しやすいでしょうね」
「そういうことか」
「で、あなたはどっち狙いなの?」
エルネスタの一言で、イディとルドの視線がオグウェノに刺さる。
「言ったら、協力してもらえるか?」
「それは狙っている相手次第ね」
オグウェノとエルネスタが、不気味に微笑み合った。
着替えを終え、髪型まで整えたクリスが、ベレンの前に連れてこられた。
「やっぱり、思った通りですわね」
満足そうなベレンに対して、クリスの目はいまだに死んでいる。
「よくお似合いです」
店員の褒め言葉にも反応はない。ベレンは代金を払うと、クリスの手を引いて店を出た。
「早く戻りましょう。みんな驚きますわよ」
「あ、ちょ、待て」
慣れないヒールに足を取られて、クリスがベレンにしがみつく。
「大丈夫ですの?」
「あ、あぁ……」
どうにかバランスを取りながら、クリスが一人で立つ。店の中は、平らな大理石を敷き詰めていたため、普通に歩けたが、道は凹凸があり足を捻りそうになる。
「あなたでも、苦手なことがありますのね」
ベレンが手を差し出す。クリスは顔をしかめながらも、ベレンの手を取った。
「私だって、苦手なことぐらいある」
ベレンがフフフと笑う。
「なんだ?」
「少し安心しましたの」
「安心?」
「こうして見ると、あなたも普通の女性ですのね」
クリスが首を傾げる。そこに馬の蹄の音と、鎧が擦れる金属音が響いた。
「なんだ?」
一頭の馬を先頭に、騎士たちが道を塞ぐように走って来る。そして、あっという間に二人は、遠巻きに騎士たちに囲まれた。