女装再び
階段を上がりながら、クリスは皇帝に訊ねた。
「第一皇子は、ずいぶんと〝神に棄てられた一族〟が嫌いなようだな」
皇帝は、中庭でコンスタンティヌスが、オグウェノに言っていた言葉を思い出した。
「あいつは、まだまだ若くてな。国を治めるには、清廉潔白でないといけないと、思い込んでいるところがある」
そう言って、皇帝がふと気がついたように慌てた。
「あ、いや〝神に棄てられた一族〟が汚れているとか、そういうわけではないぞ!」
「わかっている。〝神に棄てられた一族〟に関われば、厄災が降るとか、国が亡ぶとか、そう言われていることは、子どもでも知っているからな。邪険になるのも分かる。ただ、度が過ぎると、こちらも考えねばならん」
皇帝が声を落とす。
「そうなれば、王位継承順位についても考え直そう。場合によっては、セルシティを第一候補に出す」
「それは止めとけ。あいつは、今の生活が気に入っているようだからな。そんなことをすれば、何をするか読めんぞ」
「分かっておる。我が子ながら、あやつの考えは飛びぬけ過ぎていて追いつけん」
「そもそも継承順位で言うと、次は第二皇子だろ?」
皇帝の顔が曇り、階段を上がる足も少し遅くなった。
「あやつは……先帝と似ておっての。確かに戦は上手い。魔力も強く、腕も立つ。騎士や兵士にも信頼されている。だが、政治が苦手で、物事を深く考える前に、体が勝手に動く性分だ」
「第二皇子が跡継ぎになると、先帝の再来になりそうだな」
「あぁ。ただ幸いなことに、今のところ、あやつは王位に興味はなく、コンスタンティヌスが継ぐべきだと公言している」
「では、セルシティに王位の話がいかないように、第一皇子をしっかり教育しておけ。ところで話は変わるが、帝都に向かう前にオークニーで私を襲ってきた賊がいるのだが……」
クリスの言葉に、皇帝の足が止まる。
「そのことについて話しがある。少しいいか?」
「あぁ」
「では、こちらに来てくれ」
階段を上り終えて城内に入ったクリスたちは、皇帝について歩いていった。
城内の奥へと進んでいく。しばらく歩くと、ドアの前に騎士が立っている部屋に到着した。
皇帝の姿に、騎士が敬礼をしてドアを開ける。クリスたちは誘導されるまま室内に入った。
「散らかっているが、気にしないでくれ」
細かな飾り彫りが施された大きな執務机の上に、書類が重なっていた。その前に、同じように細かな飾り彫りがされたローテーブルとソファーがある。
皇帝に勧められて、クリスがソファーに座った。ルドが自然な動きで、クリスの背後に立つ。
皇帝は、クリスと向かい合うようにソファーに座った。護衛の騎士が皇帝の後ろに立ち、残りの二人は部屋のドアの前で待機している。
皇帝は、クリスを正面から見据えると、深々と頭を下げた。
「今回は、先帝の治療で迷惑をかけて、すまなかった。しかも、帝城内で誘拐まで……完全にこちらの失態だ」
皇帝が自分の臣下に頭を下げる、という前代未聞の事態に、ルドと護衛の騎士が目を丸くする。だが、クリスは驚くことなく淡々と返した。
「オグウェノがしたことについては、気にするな。あれは、全面的にあいつが悪い」
皇帝は顔を上げると、真顔でゆっくり首を横に振った。
「いや、あれも良い経験になった。城の守りの薄いところがよく分かったからな。だが、帝都に向かう前に襲われるなど、不快な思いをさせてしまった」
「そのことだが、襲ってきたのは何者だ?」
「それについては、裏付けを取っている最中だ。だが、近日中には全ての関係者を拘束する。よって、帝都にいる間の、そなたの身の安全は保障する」
「その言葉、信じていいのか?」
「あぁ」
皇帝が深く頷いたところで、ノックの音が響いた。
「お茶をお持ちしました」
若い執事の声に、ドアの前で待機していた騎士が警戒をしながらドアを開ける。妙な緊張感が走る室内に、紅茶の良い匂いが漂ってきた。
「失礼します」
若い執事は平然と入ると、カップに紅茶を注ぎ、お茶菓子を並べた。皇帝が一息つくように紅茶を飲む。
クリスは紅茶を一瞥しただけで視線を皇帝に戻した。
「……拘束、できるのか?」
再確認してきたクリスに皇帝の顔が険しくなる。
「気づいていたのか?」
「確信はないが、情報と状況からな。ただ、私を襲わせた理由が分からない」
「そこについては、拘束してから話を聞く予定だ」
「そうか。全てが分かったら報告してくれ」
クリスがソファーから立ち上がる。皇帝も立ち上がりながら訊ねた。
「当然だ。ところで、帝都にはいつまでいる予定だ?」
「明後日までだな。明後日の朝、先帝の状態を診たら帰る予定だ」
「早いな。もう少しゆっくりしても良いのではないか?」
クリスがドアの前まで歩くと、若い執事が自然な流れでドアを開けた。そのまま、クリスと皇帝が並んで廊下を歩く。
「こちらも予定がある。あと、急ぎで帰るから、明後日は北の山中にある湖の周囲を人払いしておいてくれ」
「前々から思っていたのだが、急ぎで帰るのと、北の山中の湖が繋がらないのだが、どうなっているのだ?」
「見に来るか?」
皇帝は少し考えると、頭を横に振った。
「いや、止めておこう。今は、これ以上悩みの種を増やしたくない」
「それが賢明だ」
国賓用の裏口に到着したクリスは、ルドとともに馬車に乗って帰っていった。
皇帝が遠ざかる馬車を見送っていると、背後から声をかけられた。
「お二人はどうでしたか?」
皇帝は驚くことなく、苦笑いを浮かべながら振り返った。
「“神に棄てられた一族”だと、信じられなかったな。ファウスティーノから『可愛らしいお嬢さん』という報告がなければ」
「クリスティは、人の体の専門家ですから。どのように動けば男らしく見えるか、ということを、よく知っています。それにしても、クリスティが拐われたと聞いた時は、焦りましたよ」
「まさか、帝城内で拐われるとは、思わなかったからな。急がせて悪かった」
「まあ、無事でしたから良いです」
「だが、おまえが直接来る必要はあったのか?」
皇帝の背後に立っている青年が、銀髪を揺らしながらクスリと笑う。
「自分で釣った獲物は、自分で処理をしないと、クリスティに本気で怒られますから」
「えらく気に入っているようだな」
「見ていて飽きませんから」
青年は紫の瞳を細めると、咲き乱れる薔薇のように、優雅に微笑んだ。
翌日。
ルドの実家で、クリスは朝から顔をこわばらせていた。
「私の子どもは、男ばかりだからぁ。一度、娘とお買い物してみたかったのよねぇ。用意していた服も、とても似合っているわよ」
エルネスタは満面の笑顔で、嬉しそうに言った。その後ろでは、乾いた笑みを浮かべているラミラと、そっと顔を逸らして笑いをこらえているカリストがいる。
クリスはエルネスタに泣き落とされ、渋々着た服のスカートを握りしめて俯いていた。
「だから、私は、女装は、したくない、と……」
こめかみより後ろの髪を一つにまとめ、大きなピンクのリボンで留め、残りの髪は背中に流している。レースをふんだんにあしらった上着に、リボンと同じピンクの布で作られたスカートが、ふわりと広がる。
皮で作られた茶色のショートブーツにも、ピンクのリボンの飾りが付いている。
「さあ、これも付けて」
上機嫌のエルネスタが、ピンクのリボンをクリスの首元に付ける。
「あぁ、もう本当に可愛いわ! こういう娘が欲しかったの!」
一人で盛り上がっているエルネスタに、クリスは何かを言う気力はなかった。諦めの境地に達していると、バタバタと走る音とともにドアが乱暴に開いた。
「母上! 師匠に何を……」
そこで顔を上げたクリスとルドの目が合う。その瞬間、クリスの顔が真っ赤になった。ルドの顔も固まる。
エルネスタがクリスの背後に立って、クリスをルドの方へ向けた。
「ほら、見て。クリスちゃん、可愛いでしょ?」
クリスの背中を押して、ルドに一歩近づける。
「エ、エル殿。もういいだろう? 着替えを……」
「あら? このまま買い物に行くわよ」
「え!?」
クリスの顔が引きつる。ルドが慌ててエルネストを止めた。
「母上! 師匠は男性だと何度言ったら……」
エルネスタが扇子をルドの首に突き付ける。
「クリスちゃんのスカート姿に見惚れていた時点で、あなたの負けよ! 罰として、クリスちゃんをエスコートしなさい!」
「いえ、見惚れていたのではなく……って、何故そうなるのですかぁ!?」
ルドの叫び声が響いた。