ケリーマ国、国王
意識が浮上していく中、ルドは自分の現状を思い出していた。
イディとの手合わせに、あれだけの観衆が集まったのは想定外だった。魔法が観衆に当たらないように計算しながら攻撃するのは、全力で攻撃するよりも疲労した。
手合わせは意外な終わりをしたが、そこにクリスがいたのは想定外だった。しかも、そこでクリスがようやく自分を見てくれた。そのことで、気が緩んだ自覚はある。
だからと言って、気を失ったのは失敗だった、と考えていたルドは、ふと後頭部が生温かいことに気が付いた。あと、なんとなく柔らかい。
ルドは不思議な感覚に注意しながら、目を開けた。すると心配そうに、こちらを見下ろしているクリスの顔があった。
「し、師匠!?」
慌てて体を起こそうとしたが、なぜか体が動かない。体勢から考えて、クリスに膝枕をされているらしい。と、いうことは温かく柔らかいものの正体はクリスの膝、ということになる。
「え!? なぜ!? どうしっ!?」
パニックになっているルドに、クリスが微笑む。
「よく頑張ったな」
言葉とともに、優しく頭を撫でられた。
「師匠!? 何がっ!?」
琥珀の瞳を丸くしているルドに、クリスが頬を赤くして少し拗ねたように顔を逸らす。
「いつものように、ティアナと呼んでくれないのか?」
「はっ? えぇ!?」
驚きの連続にルドが言葉を失う。聞きたいことはいろいろある。が、それよりも、顔を逸らしたまま物悲しげに、チラチラとこちらを見ているクリスの表情に、ルドは胸が締め付けられた。
ルドは、ゴクリと生唾を飲み込むと、顔を赤くしながら口を開いた。
「ティア……」
「いい加減、起きろ!」
声とともに頭に衝撃が走る。ルドは目を開けると同時に、体を起こした。
「あ、動く……」
ルドは、あっさりと自分の体が動いたことに驚きつつ、周囲を素早く見回した。
独特の臭いがする小さな部屋。木で出来た棚と、幅が狭いベッドがずらりと並んでいる。
「……夢、だったのか?」
硬いベッドに寝ていたルドは、目の前で腕を組んで立っているクリスに視線を向けた。
「やっと、起きたか」
そう言いながら、クリスが背を向ける。視線を合わせようとしないクリスに、ルドが肩を落としながら言った。
「迷惑をおかけし……あれ?」
ルドの言葉が不自然に切れたため、クリスが振り返る。
「どうした?」
「師匠は、赤い服を着ていませんでしたか?」
クリスが今着ている服は、ケリーマ王国の男性がよく着ている、ゆったりとした白い服だった。ただ普通と一つ違うのは、首元に白い布を緩く巻いている。
首を傾げるルドに、クリスが素早く詰め寄る。そして、静かにゆっくりと、言い聞かせながらも、脅すように言った。
「私は、赤い服など着ていない。もし、その姿を見たのであれば、それは幻覚だ。すぐに忘れろ。いいな?」
「は、はい」
言葉の裏に殺気を感じたルドが激しく頷く。クリスは、フンッと鼻をならしてルドから離れた。
その様子を、カリストは穏やかに見守っていた。
ルドが起きるまでに、男物の服を用意しろ。という、クリスからの無茶な要求に応えるために、街中を奔走していたのだ。
普通の男性用の服では、クリスの体型に合わないため、まずは子ども服を探した。そして、そこから手を加え、違和感がないように仕上げた。
そんなことを知るはずもないルドは、俯きながら頭をかいた。
「あの姿は幻だったのか? いや、そんなはずは……でも、忘れろと言われたのだから、忘れるしか……」
ルドが呟いていると、カイがやって来た。
「なかなか帰ってこないと思ったら、まだ、ここにいたのか」
「こいつが、なかなか起きなかったからな」
「そういえば、ここはどこですか?」
ルドの質問に、カイが答える。
「救護室といって、訓練中に怪我をした兵士の治療をする部屋だ。薬や消毒の臭いがするだろ?」
「これが……」
ルドの国では怪我をしても治療魔法ですぐに治すため、救護室という部屋はなかった。クリスから、他国には救護室という部屋があることを聞いていたルドは、物珍しそうに周囲を観察する。
そんなルドを放置して、カイはクリスに言った。
「第四王子からの伝言だ。『予定の物が届いた。城に来てくれ』だそうだ」
「アレが到着したということか」
「そうらしい」
クリスが黙って歩き出す。
「え!? あの、自分はどうすれば……」
ルドがどうするか悩んでいると、カイが声をかけた。
「ほれ、行くぞ」
「は、はい」
クリスを追いかけるようにカイとルドが歩く。その後ろをカリストがついていった。
城に入ったクリスをオグウェノが出迎える。背後にはイディとムワイが控えていた。
ムワイはルドの姿を見て飛びつきそうになったが、イディに止められて渋々大人しくなる。
オグウェノは眼前の来たクリスに、不機嫌そうな顔で言った。
「なんで着替えているんだよ? せっかく似合っていたの……」
クリスの鋭い睨みで、オグウェノの言葉が止まる。
「私は、始めから、この服を着ていた。いいな?」
「……まぁ、いっか」
オグウェノは親指を立てて背後を指した。
「親父が来たから会ってくれ」
その言葉に、ルドが反応する。
「親って……ケリーマ王!?」
オグウェノは驚いているルドの頭から足先までを眺めた。
「そうなんだが……」
何か言いたげなオグウェノの視線を受けて、ルドは改めて自分の全身を見た。
先ほどイディと手合わせをした時の砂埃で、全身が汚れている。いくら魔法騎士団の騎士服とはいえ、このまま他国の王に会うのは失礼になる。
ルドは手で服を軽く払いながら魔法を詠唱した。
『地に返れ』
全身の土埃が消え、真っ白な騎士服へとよみがえる。
「よし、じゃあ行くか」
オグウェノが先導して城の奥へと進んでいった。
城の中でも、ひときわ豪華な装飾が施されたドアの前で、オグウェノが足を止める。すると、見張りの兵士が敬礼をして、ドアを開けた。
涼しげな青一色の壁に、白い柱が映える。広い部屋の中央に、黒髪の男が椅子に座っていた。その背後には屈強な戦士が二人、立っている。
一同に緊張が走る中、オグウェノが軽く手を上げて声をかけた。
「よう、親父。元気だったか?」
「あぁ。おまえが暴走したせいで、予定が狂って無茶をさせられたが、まずまずだ」
「暴走って、人聞きが悪いな」
「ムワイから、そう報告があったぞ」
「ちょーっと、予定を早めただけだろ」
「それが暴走だって言うんだ。そのせいで、どれだけ急ぐことになったか。そもそも、おまえは昔から……」
愚痴に移行しそうになったので、オグウェノが話しを切る。
「わかった、わかった。小言は後で聞くから、今は話を進めてくれ」
「そう言って逃げるなよ」
男はオグウェノに釘を刺すと、立ち上がってクリスたちの前まで歩いた。
「ケリーマ王国の王をしている、ヴィグ・ケリーマだ」
艶やかな黒髪に、深い海のような藍色の瞳。顔立ちは彫りが深く、オグウェノを年配にして渋くしたような感じだ。
カイが手を差し出しながら自己紹介をする。
「シェットランド領の領主をしていた、カイ・オッランケットだ。今は隠居して、悠々自適な生活をしている」
「おぉ! 豪傑のカイ殿か! まさか、こんなところで会えるとは!」
王が喜びながらカイと握手をする。気安い雰囲気で、とても大国の王のようには見えない。
「オレも、ケリーマ王国の王と会えるとは思わなかったが、こんなところにいていいのか?」
ケリーマ王国内とはいえ、王都からは遠く離れている。通信機があるため、指示はすぐに出せるが、政治を行う王が王都から離れるのは、あまりよろしくないはずだ。
そんなカイの考えを読み取ったのか、王が大きく頷く。
「俺はいなくても問題ないからな。国は妻が動かしている」
カイの目が鋭くなる。
「オレと同じ一族のか?」
王が安心させるように、穏やかに笑った。
「ここでは隠す必要はない。知っている者しかいないからな」
「そうか」
カイがクリスを紹介する。
「クリスティアヌス・フェリシアーノ。おまえたちが探していた、月姫だ」
「そなたが……」
王が感動したように呟くと、指を鳴らした。後ろで控えていた戦士の一人が膝をついて、布に包まれた球体を、王とクリスの間に差し出した。
「我が妻より、コレをそなたに返すように頼まれ、ここまで持参した」
王が球体を包んでいる布を少しずつ剥がしていく。
「妻より伝言だ。『月姫よ、直接会えないこと申し訳ない。そなたに月からの流れ星を返すことは、祖先からの悲願であった。この中には、我々が〝神に棄てられた一族〟と呼ばれる由縁となった情報が残っている可能性がある。どうか、これを開けてほしい。そして我々が何者なのか、それを教えてほしい。いつか、そなたと直接逢える日を楽しみにしている』だ、そうだ」
王が言い終ると同時に、最後の布が外される。布の中からは銀色に光る球体が現れた。凹凸どころか繋ぎ目もない、綺麗な球体だ。
「そうは言われても……どうやって開けたらいいんだ? そもそも開くのか?」
クリスの問いに、王が困った顔になる。
「その意見には同意するが……とりあえず、受け取ってくれないか?」
「わかった」
クリスが銀色の球体に触れる。その瞬間、銀色の球体の表面の一部が光った。
『生体番号、一○六八番。認証確認』
聞いたことがない声が響く。反射的に手を離したクリスを守るようにルドが前に出る。花のつぼみが咲くように銀色の球体が開いた。