手合わせ
「なんでこんなことに……」
ルドは兵士の訓練場で、ぼやいていた。目の前には、剣を構えたキツイ目の男。周りには、どこから聞きつけたのか、街の人々が囲っている。
「イディ様! 頑張ってぇ!」
「キャー! イディさまぁ!」
「そんな若造に、負けるな!」
「イディ様! こっちむいてぇ!」
「勝てよぉ!」
「イディさまぁぁぁ!」
黄色い歓声の中に時折、野太い応援が聞こえる。
そんな声も聞こえていないかのように、キツイ目の男はルドの前に立つと、ゆっくりと剣を抜いた。
「はぁ……」
ため息を吐きながら、ルドはこうなった経緯を思い出した。
ベレンが去った後、呆然としていたらキツイ目の男に睨まれた。寡黙そうな男だったから、本人は睨んだつもりではなく、ただこちらを見ただけだったかもしれない。だが、ルドは睨まれた、と感じた。
「どうかしましたか?」
ルドが訊ねると、キツイ目の男は、顔を背けて第四王子の背後に立った。
その様子に、オグウェノが笑う。
「イディ、嫉妬は醜いぞ」
「嫉妬?」
ルドが、イディと呼ばれた男の顔を見る。鉄仮面のような無表情からは、感情が読み取れない。
オグウェノが、喉の奥で笑った。
「そういえば、巷で噂の魔法騎士団と、一度手合わせをしたいと思っていたんだよなぁ」
オグウェノの軽く気安い雰囲気が、一瞬で重いものに変わる。低い声が、ずしりとルドにのし掛かってきた。
「相手をしてもらえるか?」
拒否を許さない王族の空気が、ルドを圧迫する。
返事に困っていると、カイが割り込んできた。
「そっちが手合わせをしたいと言っても、魔法騎士団がケリーマ王国の王族を傷つけたとなったら、外交問題に発展するかもしれないだろ? そんなの頷けねぇぞ」
「手合わせなのだから、怪我ぐらい承知の上だ」
「だ、か、ら、そっちが良くても、こっちがマズいんだよ」
「それなら、オレの代わりに、イディが相手をするっていうのは、どうだ?」
思わぬ提案に、カイが軽く驚きながらも納得する。
「あー、それならいっか」
カイがルドに確認するように視線を向けた。
「まぁ、それなら……」
ルドが渋々了承すると、オグウェノがパンと手を叩いた。
「よし、決まり! 兵士の訓練場があるから、そこでやろう!」
こうして、あれよあれよという間に訓練場へ移動させられ、手合わせをすることになった。しかも一緒に移動していたはずの、カイとカリストの姿が、いつの間にか消えている。
「二人とも、どこに行ったんだ……」
味方が一人もいない状況に、ルドの意気が沈む。だが手合わせに、そのようなことは関係ない。
ルドは大きく息を吐くと、雑念を払って構えた。
クリスは、歓声で盛り上がっている人々をかき分けて、移動していた。
「あの赤髪の兄ちゃん何者だ?」
「意外とやるな」
そんな声に思わず足が止まりそうになる。どうにか進んでいると、また別の声が聞こえてきた。
「あの赤髪の人もカッコイイ」
「なによ! あんたイディ様一筋じゃなかったの?」
「イディ様の筋肉は、芸術品でいつまでも見ていられるけど、あの赤髪もカッコいいんだもん」
「確かに顔も筋肉も、そこそこいいわよね」
「でしょー?」
キャァキャァと明るい声が響く。その声につられるようにクリスは、訓練場の方へ目を向けていた。
イディの剣撃を避けながら、ルドが距離を開けていく。
ルドはずっと軽い足運びで剣を避けていたが、そのリズムを崩してグッと足に力を入れた。
そのまま、大きく全身を使って伸び上がるように、背面飛びをする。そこから、伸ばした右手を地面につけ、右肘を大きく曲げて力を溜めた後、高く上空へ飛んだ。
空中で体勢を整えながら、地面へ右手を向ける。
『土よ、呑み込め!』
ルドの声に応えるように、イディの足元の土が動き、生き物の口のように開く。
イディが素早く下がると、土の中から勢いよく巨大な蛇のような形をしたモノが飛び出した。巨大な蛇は途中で顔の向きを変えると、イディに向かって一直線に落ちてきた。
しかし、イディは避ける様子なく、逆に腰を据えるように剣先を下にしてかまえた。
「どりゃぁぁぁぁぁ!」
イディが、力を込めて剣を下から上に振り上げる。巨大な蛇の顔がパックリと左右に割れた。
歓声が沸き上がる中、ルドが崩れ落ちる蛇の背後から降って来た。
『炎と風の輪舞!』
ルドが伸ばした手の先から、炎をまとった無数の風の刃がイディに襲いかかる。
「だぁぁぁあ!」
大声とともに一歩踏み出した勢いを剣にのせて空を斬る。その一閃で炎と風の刃が消えたが、その一瞬をついてルドがイディの懐に入り込む。
「なっ!?」
イディが防御をする間もなく、ルドはみぞおちに拳を叩きこんだ。
「グッ!」
倒れかけながらも、倒れないように踏ん張ったイディは、すぐルドの顔面へ蹴りを入れた。
ルドが顔前で腕をクロスしたところに、イディの靴裏が突き刺さった。防御は間に合ったが、蹴りの勢いで後方に吹っ飛び、地面を転がった。
周囲から、より一層大きな歓声が沸き上がる中、クリスは前のめりになって叫んでいた。
「ルドッ!?」
息を飲むクリスの前で、ルドは素早く立ち上がった。白い魔法騎士団の服が、ところどころ土で汚れているが、表情は生き生きとしている。
その姿に、クリスはホッとすると同時に、胸に違和感を覚えた。
「……なんだ?」
胸を打ったとか、傷があるというわけではない。透視魔法で診ても、特に変わったことはない。
「クリス様?」
いつの間にか後ろに来ていた、カリストに声をかけられて、クリスが我に返る。
「行くぞ」
クリスが人をかき分けて、最前列へ移動する。そして目的の人物を見つけると声をかけた。
「どうして、このようなことになった?」
その声に頭に被っている白い布の下から、深緑の瞳がいたずらをした子どものようにニヤリと笑う。
「カイ殿の提案だが、なかなか盛り上がっているぞ。イディの相手が出来るヤツは、滅多にいないからな。見応えがあって面白い」
「だからって大怪我をしたら、どうするんだ?」
クリスの後ろに控えているカリストが、淡々と言った。
「相手の方は分かりませんが、犬はまだまだ余裕ですよ。犬が本気なら、とっくに勝負はついてますから」
クリスが意外そうな顔をする。
「そうなのか?」
「クリス様が誘拐された時に、自我をなくした犬は、あんな可愛らしいものでは、ありませんでした」
そう言われて、クリスは訓練場に視線を向けた。
イディの剣撃を、ルドが魔法で防ぎながら、隙をついて攻撃をしている。二人の激しい動きで汗と土埃が舞い、男くさい肉弾戦が繰り広げられている。
この中のどこに、可愛らしい、という言葉が当てはまるのか分からない。
クリスからの疑いの眼差しに、カリストが苦笑する。
「言葉通りに受け取らないで下さい」
「よく分からんが、とにかく怪我をする前に、止めさせろ」
クリスの訴えに、オグウェノが残念そうな顔をする。
「こんなに盛り上がってるのに、止めるのか? 民衆から苦情が殺到するぞ」
「知るか! お前が止めないなら私が……」
「ちょい待ち」
オグウェノが、クリスの肩を掴む。
「なんだ?」
オグウェノが空を見た。つられてクリスも見上げる。すると人影が降って来た。
『重圧!』
その声とともに、今まで激しく動いていたイディとルドが、一瞬で地面に這いつくばった。
「覚えがある魔力だと思ったら、ここまで来ていたのですね! さっそくですが、剣を出して下さい!」
ルドの前に降り立ったムワイが、嬉々と声をかける。そこに大ブーイングと殺気がこもったヤジが飛んできた。
「なにしてんだ!」
「誰だ! てめぇ!」
「いいとこだったのに!」
「なにしやがる!」
「邪魔すんじゃねぇ!」
これだけの大勢の人々が一瞬で一丸となり殺気をムワイに向ける。
これには、空気が読めない、と言われているムワイでも、ヤバい状況だということは理解できた。慌てて視線を巡らせて、オグウェノを見つけ出す。
「あ、あの、どうなっているんですか!?」
駆け寄って来たムワイに、オグウェノが哀れみの顔を向けた。
「頑張れ」
「え?」
怒りの表情を浮かべた人々が、ムワイを囲む。
「あ、いや、その、悪気はなかったんです。その、すみません!」
ムワイが魔法で空に飛ぶと、そのまま逃げた。
「捕まえろ!」
観客たちがムワイを追って走り出す。
クリスは脱力したように地面に座っているルドに走り寄った。
「無事か!?」
ルドが顔をあげて、ふにゃりと笑う。
「師匠」
その表情にクリスの胸が締め付けられ、足が止まる。
「やっと自分を見てくれ……」
話している途中でルドが倒れる。
「おい! どうした!?」
クリスがルドの体を揺するが反応はない。
「怪我をしたのか!? 脳震盪か!? 脳内出血か!?」
クリスがルドの全身を透視魔法で診ていく。その後ろから呆れたような声がした。
「大した怪我はしてないぞ。攻撃が観衆に当たらないように神経を使っていたから、その疲れが出たんだろ」
その言葉通り、小さな擦り傷や切り傷はあるが、魔法で治療をしなければいけないような、大怪我はない。
クリスは安堵すると、後ろに立つカイを睨んだ。
「ルドはオグウェノと戦っているんじゃなかったのか?」
「本当はその予定だったんだが、外交問題とかでイディと代わったんだ。こいつは第四王子の右腕なんだから、実質第四王子と手合わせしたようなもんだろ」
「全然違う!」
「細かいことは気にするな」
「細かくない!」
カイとクリスが口喧嘩をする間で、ルドは満足そうに眠っていた。