ベレンの酔態
足を止めることなく猛進したベレンは、クリスの部屋の前にいた。その勢いのままノックをしようとしたところで、ドアが開いた。
「クリス様は、お休み中です。なにか、御用でしょうか?」
メイドが、少しだけドアを開けて対応する。態度は丁寧だが、青い瞳は冷めており、主の睡眠の邪魔はさせない、という空気が溢れ出している。
ベレンは、グッと何かをこらえる顔をした。
「それなら、よろしいで……」
「いい。入れ」
部屋の中からの言葉に、メイドが慌てる。
「よろしいのですか?」
「あぁ」
「……どうぞ」
メイドが、どこか不服そうに招き入れる。
ベレンが部屋に入ると、クリスはベッドから体を起こしたところだった。太陽のように輝く金髪をかき上げて、欠伸をしている。
眠そうな深緑の瞳が、ジロリとベレンを見上げた。
「で、そんな泣きそうな顔をして、どうした? なにがあった?」
「うわぁーん!」
緊張の糸が切れたように、ベレンが泣きながらクリスに抱きつく。
「お、おい! 泣きそうとは言ったが、本当に泣くな!」
クリスは慌てたが、ベレンを突き放さなかった。戸惑いながら視線でラミラに助けを求めたが、見守るような微笑みを返されただけで終わった。
ひとしきり泣いたベレンは、グズグズと鼻をならしながら、ようやくクリスから離れた。
「し、失礼しましたわ」
「とりあえず、茶を飲んで落ち着け」
クリスが指した方を見ると、テーブルにティーセットが用意されていた。
「……はい」
クリスとベレンが、向かい合って座る。ベレンは紅茶を口につけて驚いた。
「これは……」
見た目は普通の紅茶なのだが、スーとした後味がある。暑い気候に冷えた紅茶と、この爽快感はとても気持ちがいい。
初めての味に感動しているベレンに、クリスが訊ねた。
「で、なにがあったんだ?」
ベレンの体がビクリと揺れる。唇をギュッと噛むと、カップを持っている手に力を入れて言った。
「ルドに……謝罪してきました。一方的に、ですけど」
「そうか」
「許されないでしょうけど……私の顔なんて見たくなかったでしょうけど……」
水色の瞳に涙が溜まる。
「頑張ったな」
目の前にハンカチが現れた。ベレンが顔を上げると、クリスが顔を背けたままハンカチを差し出していた。
「拭け。可愛い顔が台無しになるぞ」
「ありがどう、ございまずぅ……」
ベレンがハンカチで顔をおおって泣き出す。
「それでも……それでも、好ぎだったんでずぅ……」
「そうか」
「幼いごろがら……ずっど、ずっどぉ……」
「誰も、お前の気持ちが偽物だとは思っていない」
「うわぁーん!」
再びベレンが豪快に泣く。
「ぞもぞも、なんで、あなだなんがに……」
「あぁ」
「わだじのほうが、ずっど前がら……」
「あぁ」
「わだじのほうが、ずっどずっどルドのごとを知って……」
「そうだな」
クリスが紅茶を飲みながら淡々と肯定する。
「わだじのほうがぁ……」
ベレンがテーブルに伏せる。そこに優しい甘い匂いが漂ってきた。
ベレンが顔を上げると、テーブルの上にクリームたっぷりのケーキ、果物が山盛りになっているフルーツタルト、ふんわりと柔らかそうなパンケーキ、透明で涼しげなゼリーなど様々な菓子が並んでいた。
「これは……」
「好きなだけ食べろ」
「え?」
「しっかり泣いた後は、しっかり食べろ」
思わぬ展開にベレンの涙が止まる。
「よろしいのですか?」
「あぁ」
ラミラがケーキを切り分けると、皿にのせてベレンの前に置いた。
「ありがとう……ございます」
ベレンの口から自然と感謝の言葉が出る。その様子にクリスが表情を緩めた。
テーブルの上から菓子がほとんどなくなった頃。
「男なんてルドだけじゃないのよぉ!」
顔を赤くして、叫んでいるベレンがいた。
「……なんで、菓子で酔っぱらうんだ?」
「酔っぱらってなんてぇ、いませんわ!」
徐々に呂律が怪しくなってきているベレンが、否定しながらクリスに絡む。
「そもそも。あなたがぁ、ハッキリしないのがぁ、いけないんですのよぉ。これからはぁ、男の服を着るのは禁止です! これはぁ、命令ですからね!」
「わかった、わかった。お前の言う通りにするから、少し休め」
「そんなこと言ってぇ、わかってないでしょ! いぃーい? あなたはぁ、素材は悪くないんだから、ちゃぁーんと綺麗にすればぁ……っと」
話している途中で、強烈な眠気に襲われたベレンの体が揺れる。
ラミラがクリスに耳打ちをした。
「お酒に漬けたケーキがありまして……」
「それで酔ったのか」
「こぉーらぁ」
ベレンが立ち上がってフラフラと近づいてくる。
「にゃにを二人でコソコソ話していますのぉ?」
「危ないから歩くな」
「そぉんなこと、ありませんわぁ……あっ」
こけそうになったベレンをラミラが支える。ベレンは気を失うように眠っていた。
「なかなかの荒れっぷりだったな」
「失恋とは、このようなものです」
ラミラがベレンをソファーに運ぶ。
「ベレンの中でケジメをつけたのだろうが、普段と比べたら反動が凄いな」
「クリス様以外には見せられない姿でしょうね。クリス様が相手だから、ここまで素を出されたのかも、しれませんが」
「肩書がある人間は大変だな」
他人事のような言い方に、ラミラが苦笑いをする。
「そのうち、クリス様も同じようにやけ食いをするかもしれませんよ?」
「私には縁がない話だ」
「それは恋愛の方ですか? それともやけ食いの方ですか?」
「両方だ」
「それは、どうでしょうね」
ラミラが訳知り顔で微笑む。その表情に、クリスが片眉を上げた。
「どういう意味だ?」
「私としましては、失恋をする日が来ないほうが、良いと思うのですが……」
「恋愛など私には無縁だ。そんな日は永遠に来ることはない」
「はい、はい」
軽くあしらわれたような言い方に、クリスの機嫌が悪くなる。だが、ラミラは気にすることなく食器を片付けていく。
そこに、軽くノックの音が響いた。ラミラが素早く出てドアの前で少し話をした後、カイとカリストが部屋に入ってきた。
「どうした?」
クリスの問いに、カリストが鼈甲の櫛を取り出した。
「必要かと思いまして」
「そうだな。頼む」
カリストが、クリスの金髪を梳いていく。その光景を見ながら、カイがクリスと向かい合うように椅子に座った。
「どうして、第四王子について行った?」
「月からの流れ星を開けてほしい、と頼まれたからだ」
カイが今までみたことがないほど、真剣な表情になる。
「知っているのか?」
「なにも」
「知らないのに、引き受けたのか?」
驚くカイの前にラミラが紅茶を置く。
「知らないからこそ、引き受けた。私の中にある記憶は、警報音と炎と生きてという願いだけだ。もし他のことがあるなら知りたい」
「開けられるのか?」
「それは見てみないと分からん」
「それもそうだな」
紅茶を飲んだカイの目が丸くなる。
「珍しい茶だな。飲んだ後に涼しい感じがする」
ラミラが、ティーポットの中に浮かぶ緑の葉を見せながら、説明をした。
「ミントが入っております」
「それでか。暑い時にはいいな」
紅茶が気に入った様子のカイに、今度はクリスが訊ねた。
「で、そんなことを聞くために、来たのか?」
「それはついでだ。それより、これからちょっと面白いことが始まるぞ」
「面白いこと?」
「あぁ。犬対第四王子の対決だ」
「はぁ!?」
クリスの間の抜けた声が部屋に響いた。