カリストの嫌がらせ
オグウェノは菓子を食べて口直しすると姿勢を正した。
「話を戻そう。カイ殿に確認したいことがある」
「なんだ?」
「月姫はどこまで自分のことを知っている?」
聞きなれない名称にルドがカリストに視線で確認する。だがカリストも知らないらしく、軽く首を左右に振っただけだった。
カイが二人に説明することなく話を続ける。
「なぜ月姫のことを知っている?」
オグウェノが被っている白い布を取った。
「こういうことだ」
金髪が太陽の光で輝き、深緑の瞳が笑う。カイは同じ深緑の目を丸くしながらも、すぐに表情を戻して訊ねた。
「偽者ではないという証拠は?」
「オレが男という時点でそれを証明するのは難しいが……そうだなぁ、ご先祖様は月からの流れ星を回収に行った部隊の一人だ」
カイが困ったように頭をかいた。
「やっぱりか。なんとなく予想はしていたが」
「そのことを知っているなら話は早い。ケリーマ王国の王族はその子孫だ」
「国政の内容から、もしや、とは思っていた。だが、なぜ空中庭園に帰ってこなかったんだ?」
オグウェノが肩をすくめる。
「そもそも空中庭園が墜落したっていうことを、ご先祖様は知らなかったんだ。月からの流れ星は見つけたが、突然連絡が取れなくなった。そのうち迎えが来るだろうと待っていたが、迎えはこない。さあ、どうする?」
「近くの国で、生活基盤を作るしかないな」
「そういうことだ。持ち前の知識を惜しみなく発揮した結果、ケリーマ王国の王政に関わるようになり、王族になった」
「〝神に棄てられた一族〟を王族に取り込むヤツがいるとは。豪胆なのか馬鹿なのか」
呆れているカイに、オグウェノが男前の笑顔を向ける。
「愛だ。もともとケリーマ王国の王族は、惚れた相手は全力で懐に入れて守る性質でな。反対するヤツも最後は、愛の力で黙らせる」
拳を作って力説するオグウェノに、カイは生温かい視線を向けた。
「……自分で言っていて、恥ずかしくないか?」
「なぜだ?」
「……若いっていいな」
遠くを眺めるカイに、オグウェノが詰め寄る。
「話がずれたが、月姫は自分のことを知っているのか?」
「それは分からない。そもそも、そのことを知っているかも不明だ」
「教えていないのか?」
カイの視線がキツくなる。
「なぜ教えないといけない?」
「自分の出生は、気になるものだろう?」
「帰ることも出来ない、遠くから見ることしか出来ない。そんなことを、わざわざ教えてどうなる?」
カイの頑とした姿勢に、オグウェノが方向を変える。
「なら、本人が知りたいと言ったら?」
「……それなら教える。だが、教えられることは少ししかない。それなら、知らなくてもいいだろう」
「もし、それがもっと分かるとしたら?」
「どういうことだ?」
「月からの流れ星の中身だ」
カイがテーブルを叩きながら立ち上がる。
「何が入っていた!?」
「いや、まだ開けていない」
「……なぜ?」
「開けるには月姫が必要らしい。いや、月姫にしか開けられないようになっている、といったところか」
「そういうことか」
カイが脱力したように椅子に座った。
「協力してくれるか?」
「クリスティ次第だ」
「オレから話すか?」
オグウェノの申し出をカイが断る。
「いや、オレから話そう……月からの流れ星か。パンドラの箱にならないといいな」
「パンドラの箱?」
「遠い昔の昔話だ。あらゆる災いが入った箱があり、それを好奇心から開けた者がいた。開けた瞬間、災いが世界中に飛び出したが、箱を急いで閉めたため希望だけが残った。それから人々は様々な厄災に苦しむことになったという話だ」
「つまりオレが珈琲と格闘することになったのも、その箱を開けた者のせいということか」
珈琲が入ったカップを睨むオグウェノに、カリストが涼しい顔で甘いお茶を飲みながら言った。
「この程度のことを厄災というとは、随分と穏やかな生活をされているのですね」
珈琲を飲まなければならない状況に追い込んだ、張本人からの言葉に、オグウェノの顔が歪む。
「おまえとは、初対面のはずなんだが……オレなんかしたか?」
カリストは答えず、ツンと顔を逸らして甘い菓子を食べる。その様子にカイが苦笑いをした。
「目の前でクリスティを攫った仕返しだ。とりあえず、その珈琲は全部飲んどけよ。でないと、この地味な嫌がらせは続くぞ」
カイの言葉に、カリストがワザとらしく言った。
「嫌がらせなどでは、ありませんよ。ただケリーマ王国の第四王子は、甘い物が大好きで珈琲が飲めないお子様舌だと、商人を通して世界中に言いふらすだけです」
「本当に、地味な嫌がらせだな!」
オグウェノはカップを持つと、一気に飲みきった。
「どうだ!」
得意げに笑いながらオグウェノがカップをテーブルに置く。すると、コポコポと液体が流れる音が響き、ふんわりと独特の香りが風にのって鼻をかすめた。
オグウェノが、恐る恐る視線を下げる。そこにはカップに二杯目の珈琲を注いでいるカリストの姿があった。
「やめてくれぇぇぇぇーーーーーー!」
カリストを敵にしてはいけない。
ルドが決心した瞬間だった。
二杯目の珈琲の前にオグウェノが死んでいると、怒りを含んだ可愛らしい声が降ってきた。
「私たちをカフェに残して先に城に帰ったばかりか、悠々とお茶までしているなんて、どういうことですの!」
早足でテラスに乗り込んできたベレンに、オグウェノの顔が引きつる。
「あ……いや、悪かった。わ、忘れていたわけじゃないぞ」
「忘れていましたのね?」
ベレンに笑顔で詰め寄られ、オグウェノが視線を逸らす。
「ま、いいですわ。イディ」
呼ばれたイディが紙の束をオグウェノに差し出す。
「なんだ?」
「あなたのツケ、とかで買い物を致しましたの。支払いは後でいいなんて、便利な街ですわ」
渡された紙の束は、オグウェノ宛の請求書だった。
「こんなに買う前に止めろよ」
目の前のイディに文句を言うが、それをベレンが遮る。
「イディは悪くありませんわ。ただ私に負い目があって忠告できないだけですの」
ベレンが意味あり気に微笑む。
「負い目って、イディが下着を見ただけだろ」
イディがオグウェノに詰め寄る。
「見てない」
キツイ目つきに加えて二度と触れるなという鬼気迫るものがある。
「わ、わかった」
オグウェノが思わず頷く。
その様子に満足したベレンが振り返った。目が合ったルドの体が固まる。
緊張しているルドにベレンは優雅に頭を下げた。
「お久しぶりです。その節は失礼致しました」
「あ、いや……」
「許して頂けるとは思っておりません。ただ、これは謝りたいという私の我がままです。本当に申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げたまま顔を上げそうにないベレンに、ルドが困惑する。
「いや、その、もういいですから……」
ルドがどう対応するか悩んでいると、ベレンが突如頭を上げた。
「はい。ですので、今日はこれで失礼させて頂きます」
一人で自己完結したベレンは、スタスタとテラスから出ていった。
「なんだ? 嵐か?」
男たちが言葉を失っている中、カイの呟きが落ちた。