ルド視点
時間はほんの少し遡り……
ルドはセスナの窓から呆然と外を見ていた。
カイがこの街の責任者らしき男と話している時、桟橋を渡ろうとして止められているクリスの姿を見つけた。それで思わずセスナの中から呼びそうになったのだが、その前に衝撃的なことが起きたのだ。
クリスが第四王子に微笑んだ。そして第四王子がクリスの顎に手を添えて見つめ合った。
ルドはその光景を目にした時、世界がグラリと揺れた気がした。
「どうしかしましたか?」
カリストに声をかけられてルドが我に返る。
「あそこに師匠が……」
再び視線を向けると、そこにクリスの姿はなかった。
「クリス様なら、こちらですよ」
「え!?」
言われた方向を見ると、カイがクリスの無事を確認して喜びながら抱き締めていた。
その光景にルドが安堵する。
「良かった」
「まだ安心するのは早いですよ」
クリスたちに第四王子が近づく。カイと少し話した後、意気投合したように笑い合った。
少ししてカイがこちらに手招きをしたため、カリストが素早くセスナから出る。
ルドがどう行動するか悩んでいると、ラミラが声をかけてきた。
「大丈夫そうですので、外に出ましょう」
「あ、はい」
ラミラがスタスタと外に出る。ルドも外に出ようとしたが、何故か足が重い感じがした。
動かないルドにラミラが声をかける。
「いかがされました?」
「いえ、なんでもないです」
重い足を意識して動かしながらルドが外に出ると、ラミラが嬉しそうにクリスに駆け寄っていた。
「お綺麗です、クリス様! このような服も似合いますね。カルラが見たら喜んでいますよ」
ここでルドは改めてクリスが着ている服を見た。
上半身の華奢な体型がよく分かるほど体のラインに沿った作りになっており、鎖骨から肩までは大胆なほど出ている。腰から下はスカートのように裾が広がり、その下にはゆったりとした白いズボンを履いていた。
赤いバラを連想させる深紅の布に、金糸で唐草模様の刺繍がされたケリーマ国の伝統的な民族衣装だ。
ラミラが言う通り、違和感がないほど似合っているし、綺麗だと思ってしまった。
またしても呆然としているルドに視線を向けることなく、クリスは不機嫌そうな顔で言った。
「世辞はいい。それより休みたい。寝ていないんだ」
オグウェノがクリスの隣に来る。
「では、部屋に案内させよう」
「あぁ」
二人が並んで歩き出した。
「あ、お待ち下さい」
ラミラが慌ててクリスを追いかける。だがルドは動けなかった。何故か体が動かず胸が痛い気がした。
「どこかで打ったか?」
痛みがあるところに触れるが変わった感じはない。
俯いたまま胸に手を当てて考えているルドにカイが声をかける。
「おまえさんは一緒に行かなくていいのか?」
「あ、いや……でも……」
「クリスティの護衛がおまえさんの任務じゃなかったのか?」
「今はラミラがいますから……」
セスナの固定が終わったカリストが会話に入る。
「いつもなら誰がいても、ついて行くではありませんか」
カリストの言葉にルドはふと疑問符が浮かんだ。
自分はいつもクリスとどのように接していたのだろう……どれぐらいの距離で、どのように話していたのか……
わからなくなったルドは無意識に呟いていた。
「……自分はいつもどうしていた?」
「何を言っているのです?」
訝しむカリストの肩にカイが手を乗せる。
「こういうこともあるんだよ。今まで、どういう風に接していたか突然分からなくなることがな」
「はぁ」
理解できていない様子のカリストにカイが軽く頭を振る。
「まったく、お子様だな。おまえたちは」
「私もですか?」
カリストが目線で心外だと訴える。
「まあ、いい。とりあえずクリスティから話を聞こう」
歩き出したカイにカリストが従う。ルドも後について行こうとしたが、やはり足が重かった。
「なぜなんだ?」
足を怪我したり魔法がかけられたりしているわけではない。自由にならない足を睨んでいるとカイが声をかけてきた。
「置いていくぞ!」
「行きます!」
ルドは慌てて走った。
三人が城に入ろうとしたところで使用人が出てきて頭を下げた。
「オグウェノ第四王子より、みなさまの身の回りの世話をするように仰せつかりました」
慣れた様子で頭を下げる使用人にカイが笑顔で応える。
「おう。よろしくな。さっそくだが、クリスティの部屋まで案内してくれないか?」
「かしこまりました」
使用人の案内で城内を歩いていると、前方からオグウェノがやって来た。
カイが長年の友人のように親しげに呼びかける。
「どうした? クリスティに追い出されたか?」
「あぁ。寝てないから休むってな」
「そうか。それならオレたちも今は行かないほうがいいな。それだとクリスティが起きるまで、どう時間を潰すか」
「なら、その時間をちょっとくれないか?」
「ん? なにかあるのか」
「あぁ。話したいことが……」
オグウェノがカリストとルドに視線を向ける。
「二人が邪魔か?」
カイの率直な物言いにオグウェノが笑う。
「そうなるな」
「話の内容は?」
「月姫と月からの流れ星に関することだ」
カイが振り返ってルドを見る。
「んー。まぁ、いっか。三人で話を聞く」
「いいのか? 魔法騎士団は皇帝の犬だろ?」
オグウェノがルドを睨む。
「あ、こいつは皇帝の犬というより、クリスの犬だ。だから気にしなくていいぞ」
「……こっちに来てくれ」
少し不満気な顔をしたがオグウェノは三人を連れて城の奥へと進んだ。
湖に突き出したテラスの上。柵の下では透明な水の中を魚が泳ぐ姿が見える。視線を上げれば、レンガや土で作られた街があり、その街の先には緑の木々。そして砂だけの砂漠がある。
そんな絶景を前に四人がテーブルを囲んでいた。
揚げ菓子とお茶が運ばれてくる。オグウェノが最初にお茶と菓子を食べた。
「ここの地方の伝統菓子と茶だ」
カリストとルドがお茶と菓子を少しだけ口にする。
蜂蜜をたっぷり練り込んだ生地を揚げて砂糖をまぶしているため、甘さ以外の味がない。お茶も香辛料が効いているが砂糖と牛乳で甘さのほうが引き立っている。
カリストがカイに視線を向けた。毒や薬など危険なものは入っていないので食べていいという許可である。
「よっしゃ!」
カイが勢いよく菓子を口に入れた。
「甘い……口なおし……」
テーブルに沈みながらお茶を飲む。
「あめぇぇぇ……」
とどめを刺されたカイがテーブルに突っ伏した。明らかに瀕死状態となっているカイにカリストが助け船を出す。
「失礼します」
カイが素早く影からポットとカップを取り出すと注いだ。
「どうぞ」
カリストからカップを受け取ったカイが一気に飲む。
「はぁ、助かった」
ふわりと香った匂いにオグウェノが目を細める。
「なんの茶だ?」
「珈琲です」
「あの苦い豆の飲み物か」
若干顔を引きつらせているオグウェノに復活したカイが顔を起こす。
「オレは甘い物が苦手でな。すまないが遠慮させてもらう」
「それは悪かった」
カリストがカイのカップに二杯目の珈琲を注ぐ。その様子にオグウェノが興味を持った。
「その珈琲は美味いのか?」
「お飲みになりますか?」
「え、あ、いや……」
歯切れが悪いオグウェノに対して、カリストは極上の微笑みと共に珈琲を淹れたカップを差し出した。
「さぁ、どうぞ」
カイとルドが黙って見つめる。断りづらい状況に陥ったオグウェノはカップを持つと意を決して口に珈琲を含んだ。
「にげぇぇぇ……」
一口でオグウェノがテーブルに沈む。そこに畳みかけるようにカリストが話しの続きを催促する。
「で、どのようなお話しでしょうか?」
ワザとやってるな。
ルドが引き気味にカリストを観察する。顔は笑顔だが、どんな吹雪よりも寒い空気が周囲を渦巻いている。
「ま、待ってくれ」
甘いお茶が入ったカップを手に取ろうとしたオグウェノにカリストが微笑みかける。
「まさかご自分から興味を持たれて頂いた飲み物を残すなんて、そんな失礼なことはされませんよね?」
綺麗な顔立ちだけに迫力が増している。甘いお茶を飲もうとしたオグウェノの手が止まる。
我慢できないわけではないが、苦味が口の中を占領しているのは地味に辛い。
カリストは敵にしてはいけない。
地味な嫌がらせを横目にルドは改めて思い知った。