ルドの心情
ルドは真っ暗な世界にいた。右も左も上も下も全てが黒一色で何もない。ルドが周囲を見回していると、目の前に見慣れない民族衣装を着たクリスが現れた。
「師匠!」
ルドが手を伸ばして駆け寄るが、触れる直前で逞しい腕に遮られた。クリスが赤い衣装を翻して逞しい腕の中に入る。
そのまま精悍な顔立ちの男がクリスの肩を抱いて歩き出した。
「師匠!?」
追いかけようとするが足が動かない。必死に足を動かそうとしているルドの前にたれ目の男が降って来た。
「僕が弟子になりますから、あなたは必要ありませんよ」
「は!?」
たれ目の男が軽い足取りでクリスの後を追う。
「待て!」
どうにか動こうとするが体が動かない。それどころか足元が沼のようにぬかるみ、体が沈んでいく。
「師匠!」
どんなに叫んでもクリスの足は止まらない。
「師匠っ!」
クリスの姿が小さくぼやけていく。
「師匠っぉぉぉぉ!」
ルドは自分の叫び声で目が覚めた。座っている椅子がガタガタと揺れている。
「ここは!? 師匠は!?」
慌てて周囲を見渡すルドにカイが声をかける。
「お、意識が戻ったか」
「ここはどこですか!? 師匠は!?」
「落ち着け。今から離陸する」
「離陸?」
全身が椅子に押し付けられ、すぐにフワッとした感覚が襲ってきた。
「あぁぁぁーーーーーーー!」
ルドはひじ掛けにしがみつこうとしたが、縄で縛られているため手が出せないことに気が付いた。
「いやっ、やめっ、フワッって! ふわって、わぁぁぁーーーーーーーーーーーーー!」
「二回目なんだからいい加減なれろよ」
ルドが半泣き状態で叫ぶ。
「慣れません!」
「ほれ、もう安定するから。そうしたら、その縄を外してやる」
どうすることも出来ないルドは背もたれに全身を預けてシクシクと泣いた。
しばらくして安定飛行になるとカイは立ち上がってルドに巻かれている縄を外した。
「はぁ……」
「本当に情けないな。そんなのでクリスティに会えるのか?」
「し、師匠!?」
ルドがキョロキョロと周囲を見回す。
「ここにはいない。いまから会いに行く」
「会いに行く? 助けに行く、ではなく?」
「どうやらクリスティは自分の意思でケリーマ王国のヤツらと動いているみたいだからな。理由を聞きに行くところだ」
「自分の意思で!? どういうことですか?」
先ほどの夢が脳裏に浮かぶ。正夢になるのか!? とルドは焦ったが、カイは肩をすくめて言った。
「それも含めて、今から確認に行くんだ」
「……そう、ですか」
ルドが椅子に沈む。カイが呆れながら席についた。
「おい、おい。最初の勢いはどうした?」
「師匠が自分の意思で行かれているなら……自分を必要としていないなら……邪魔は出来ません」
ルドが暗い影を背負って俯く。
「邪魔しに行くんじゃねぇよ。話を聞くだけだ」
ルドからの返事はない。俯いたままのルドにカイがため息を吐いた。
「クリスティが男前の背中に逃げたことが、そんなにショックだったのか?」
「ショック……?」
顔を上げて首を傾げるルドにカイが訊ねる。
「ショックじゃなかったら、なんでそんなに落ち込んでいるんだ?」
「落ち込んで……自分は落ち込んでいるんですか?」
思わぬ質問にカイの目が丸くなる。
「そこはオレに聞くなよ。そう見えたってだけだ」
「落ち込んでいる……のか?」
ルドの様子にカイは呆れたように言った。
「おまえさんさぁ、クリスティに相応しい人とか、なんとか言っていたけど、本当にそんなヤツが現れても大丈夫なのか?」
「え?」
「今だって、そんなヤツが現れたわけじゃないんだぞ。男前の背中に逃げられただけなのに、その落ち込みようだ。そんなんで、これからもやっていけるのか?」
「いや、でも……自分は、そう決めて……」
ルドが徐々に沈んでいく。
「おまえさんさぁ、そろそろ自分の気持ちと向かい合ってみたらどうだ?」
「自分の気持ち?」
「おまえさんはクリスティのことを、師匠であって、それ以上でもそれ以下でもないって言っていたが、本当にそれ以外の気持ちはないのか? それなら、なんでそんなに落ち込むんだ?」
沈んだままルドが考え込む。
確かにクリスは自分と目が合って逃げられた。しかし、それだけで、何かされたり、何か言われたりしたわけではない。
あと弟子になる、という男が現れたが、自分が破門されたわけではない。自分は弟子のままで、クリスとの関係は何も変わっていないはずだ。
しばらく沈黙が続いた後、ルドは顔を上げてカイの方を向いた。
「なぜ、自分はこんなに落ち込んでいるのでしょうか?」
カイが盛大にこける。
「だから! それを自分で考えろって言ってるんだよ!」
「……わからないです」
「なら、そのまま拗らせとけ!」
カイは腕を組んで椅子に座り直した。
「クリスティも拗らせ体質だが、こいつも酷いな」
頭を抱えて悩むルドを横目にカイはため息を吐いた。
しばらくルドが考え込んでいるとカリストの声が響いた。
「帆船を見つけました」
「お、どこだ?」
カイが窓から下を覗く。鏡のように光りを反射している湖に浮かぶ帆船があった。
「あそこに着水できるか?」
「直線距離がもう少し欲しいですね」
セスナが湖の上を旋回する。カイがカリストの隣に来た。
「ちょっと代われ」
カリストが素早くカイに席を譲る。それでもセスナはガタガタと揺れた。
「な、なにをしているんですか!?」
ルドがひじ掛けにしがみつく。
「ちょーっと無理するから、しっかり掴まってろよ」
カリストが椅子に座って腰にベルトを装着する。それを見てルドも急いでベルトを装着した。セスナが円を描きながらゆっくりと下降していく。
「は、早くないですか!?」
体が座席に押し付けれられる。
「着水するぞ!」
カイの声とともに機体に水がかかり、そのまま二、三回跳ねる。
「ワーーーーー!」
体が前に投げ出されそうになったと思ったら、強い力で外に向かって引っ張られた。セスナが湖に沿って円を描いていく。波しぶきを上げながらグインと回ったセスナは、しばらく湖の上を滑ってから止まった。
「はぁ、はぁ……生きて……る?」
ひじ掛けにしがみついていたルドが顔を上げる。
「……少し酔いました」
後ろの席に座っていたラミラが青い顔で呟く。
「悪い、悪い。ま、無事に着いたんだから良しとしてくれ」
悪びれた様子なくカイが豪快に笑う。
「……とりあえず、そこの桟橋の隣に移動しましょう」
カリストがカイと席を交代してセスナをゆっくりと移動させた。
さすがにこれだけ派手な登場をしたため湖の周囲には人が集まり、桟橋には兵士たちが武器を構えて並んでいた。
「止まれ! 何者だ!?」
この街の責任者らしき男がセスナに向かって叫ぶ。
「どうします?」
カリストがカイに指示を仰ぐ。
「オレが話しをつけてくるから、ちょっと待ってろ」
カイは桟橋の手前で止まったセスナのドアを開けると軽く飛んで責任者の前に着地した。
「おう、騒がせて済まなかったな。オレはカイ。孫を探して、ここに来た」
「ま、孫だと?」
軽い身のこなしで突然現れて自己紹介をした老人に男がたじろぐ。
「そう。その船に乗ってたから、この街のどこかにいると思うんだが?」
帆船を指さされ、男の顔が引き締まる。
「乗っていた者が孫だと証明できるものはあるか?」
「本人に会って証明してもらうしかないな」
「それ以外に証明できるものは?」
「ない」
堂々と腕を組んで宣言をしたカイに男が困惑する。オグウェノが後から来ると言っていた客人の可能性もあり、無下な態度はとれない。
「では、貴殿の身分を証明するものは?」
「それもないが……昔は豪傑のカイと呼ばれていた」
二つ名にその場にいた兵士たちがざわつく。活躍したのは数十年前のことだが、遠い異国の地でも豪傑のカイの名は武勇伝とともに知れ渡っていた。
「だ、だが、豪傑のカイは金髪で顔を仮面で隠しているのでは?」
「あー、隠居したから仮面はしてないんだよな」
カイが困ったように頭をかく。男もこの非常事態をどのように収束したらいいのか悩んでいた。