カリスト
「クソッ!」
ルドは遥か上空へと上昇していく帆船を地上から見上げることしか出来なかった。他の騎士たちも同じように空を見上げている。そんな中、足元で動く気配がした。
「なんだ?」
ルドが下を向くと影から黒い物体が出てきた。
「カリスト!?」
右手で左肩を押さえたカリストがゆらりと立ち上がる。左手の先からはポタポタと血が流れ落ちていた。
「どうしたんだ!?」
カリストは綺麗な顔を歪ませて舌打ちをした。
「クリス様の影から出ようとした時にやられました。タイミングが悪く、そのまま影に封じ込められたので少々無理をして出ました」
言葉は落ち着いているが黒い瞳はどす黒く濁っており、刺すような冷気が全身から放出されている。
カリストは周囲の騎士たちと同じように空を見上げると、再び舌打ちをした。
「チッ。あんなボロ船に連れ去られるとは」
「ボロ船?」
どう見ても立派な帆船である。あれが戦の時に敵船として海上に浮かんでいたら落とすのは容易ではない。だが怒りが膨らみ少しの刺激で暴発しそうなカリストには言えない。
カリストはルドを無視して歩き出した。ルドが慌てて追いかける。
「どこへ?」
「皇帝から詳しい話を聞きます」
「いや、それは……」
呆気にとられていた騎士たちが我に返って動き始める。指示が飛び交う中をカリストが悠然と歩いていくが、誰も何も言わない。まるでカリストが見えていないか、存在していないかのように周囲が動いている。
ルドが驚いていると若い執事が現れた。
「皇帝がお待ちです」
カリストの名を確認することなく若い執事が誘導する。カリストとルドは城の奥へと通された。
「お連れいたしました」
若い執事が重厚感のある木製のドアを開ける。そこは壁に国旗と剣が飾られ、その前に大きな円卓と複数の椅子がある部屋だった。国旗の前に皇帝が、その隣に中年の男が座っている。
カリストがツカツカと円卓に近づく。
控えていた騎士が止めようとしたところで、カリストは足を止めて冷ややかな視線を皇帝に向けた。
「こちらは時間がありません。手短にお願いします」
カリストの言葉に皇帝の隣に座っていた男が立ち上がる。
「身の程をわきまえろ! たかが執事風情が……」
威勢よく声を荒げていた中年の男が黙る。人形のように整った顔が静かに動き、光りがない黒い瞳が向けられた。それだけで中年の男は椅子に崩れ落ちる。
なんとか椅子に座っている中年の男を気にしつつ皇帝が説明を始めた。
「そなたの主を連れ去ったのは東南にある大国、ケリーマ王国の第四王子であるオグウェノ・ケリーマだ。第四王子は放浪癖があり、諸国漫遊していることは有名だった。我が国も旅の途中で寄ったという話であり、不審な点はなかった」
「クリス様を連れ去った目的は?」
「わからぬ。そもそも、そのような目的があったのであれば帝都に入れなかった」
「なにも知らない、ということですね」
「恥ずかしながら、そういうことだ」
カリストの態度に普段なら騎士たちが怒るところだが、冷徹な気配を隠さないカリストに警戒することに集中しているため誰も動けず何も言えない。
カリストの黒い瞳が皇帝を見下ろす。
「帝都の北にある山の中に大きな湖がありますよね? そこに通じる道を全て封鎖して、人払いをして下さい。いますぐ」
「わかった」
皇帝が若い執事に目配せをする。若い執事は一礼をすると足早に部屋から出ていった。
「他にすることは?」
「ありません」
カリストは背を向けて歩き出す。そこに中年の男が声を震わしながら訊ねてきた。
「な、なにをするつもりだ? 相手は大国だ。下手をすれば大戦になるのだぞ」
「戦……ですか」
カリストが笑顔で振り返る。その表情は優雅で美しく、このような状況でなければ見惚れてしまいたいほどだった。
「クリス様の状態次第では綺麗に大掃除をする必要があるでしょうね。あぁ、あなた方のお手は煩わせませんよ。すべてこちらで致しますので」
「なんだと?」
「あ、でも新しい地図はそちらで作って頂かないといけなくなりますね。ケリーマ王国が消えた地図を」
カリストが背を向けてドアノブに手をかけたところで、思い出したように振り返った。
「クリス様に何かありましたら、私はシェットランド領の領民たちを抑えることは出来ませんから。そうならないよう、そちらの仕事をしっかりしておいて下さい」
今回の誘拐劇はあまりにも出来過ぎていた。少なくとも帝城内に手引きをした協力者がいなければ出来ないことである。その犯人を見つけておかなければ、ケリーマ王国だけでなく帝都も掃除するということを示唆したのだ。
「失礼いたします」
カリストは礼をすることなく部屋から出て行った。
小走りに近い早足で廊下を進んでいくカリストをルドは無言で追いかける。クリスを連れ去られて怒りに震えていたが、怒りの冷気を振りまくカリストを見ているうちに、いつの間にか頭が冷めていた。
城を出たところでクリスとルドが乗って来た馬車が待機していた。
「行きますよ」
カリストが馬車に乗り込む。
「どこへですか?」
ルドも乗り込むと、馬車は出発した。
「北にある山の中腹にある湖へ」
「そこに何があるのですか?」
カリストがルドの顔を見て口角を上げる。
「着いたら、わかりますよ」
ルドは悪寒が走ったが気のせいだと無理やり自分に言い聞せる。カリストが執事服の懐を探りながらルドに言った。
「少し失礼します」
カリストは掌サイズの板を取り出して耳に当てると話しかけた。
「現状は聞いての通りです。あとは湖にセスナを手配して下さい……一機で大丈夫です。ボロ船はアンドレが追っています……えぇ。方角と速度が分かれば目的地は絞れますから……あとはお願いします」
話し終わったカリストが懐に板を納める。
「あの、今のは?」
「通信機です。これは携帯版ですので、あまり遠くとは話せません。ですので、ラミラが持っている通信機でシェットランド領への報告と支援の依頼をするように頼みました」
「それが通信機ですか!?」
あまりの小ささに驚く。ルドが知っている通信機は酒瓶が四本入るぐらいの箱で、大人が一人でどうにか持ち上げられるぐらいの重さはある。
カリストが平然と話す。
「緊急時以外は使用しませんから。他言無用でお願いします」
「は、はい」
ルドはカリストの左手を見た。血は拭きとられ、いつもと変わらない動きをしている。
「肩は大丈夫なのですか?」
「魔法で治しましたから」
「治療魔法が使えるのですか?」
「クリス様が使われている魔法と同じです。傷を治すなど簡単なものしか出来ませんが」
「それでも凄いです。師匠以外にも使える人がいたんですね」
「屋敷の使用人とシェットランド領内にも使える人がいます。クリス様は認めた人には惜しげなく知識を教えますから」
「さすが師匠です」
いまは囚われの身になっているクリスに尊敬の眼差しを送る。そんなルドを横目で見ながらカリストが呟いた。
「その余裕もいつまで持ちますかね」
「なにか言いました?」
「いえ。湖に着くのは夕方になりますから、今は休みましょう」
そう言うとカリストは深く腰掛けて目を閉じた。
夏休みはこれで終わりなのですが、もう少しストックに余裕があるので
週二回更新をもう少し続けていきます
よければブクマと評価お願いします
励みになります(*≧∀≦*)