ケリーマ王国第四王子
ベレンがクリスを引っ張って歩き出したことにルドは慌てた。飛び出したい気持ちを押さえて木陰に隠れながらクリス達の後を追う。
中庭から城に入ろうとした時、ベレンが動きを止めた。すぐに一歩下がって頭を下げる。ベレンが頭を下げる相手といえば限られているため、なんとなく想像できた。
ルドが気配を消して木陰から覗き見ると、二人の前に皇帝と護衛の騎士、そして異国の服を着た三人の男がいた。
三人とも体格を隠すようなゆったりとした白い服を着ており、腰のあたりを紐で結んでいる。中心にいる男だけ頭に白い布を被り、腰と同じ紐を額に巻いて止めていた。
その右側には大剣を持ったキツい目の男が、左側には手ぶらでたれ目の男がいる。
ベレンが頭を下げていると皇帝が声をかけた。
「外に出るのは久しぶりではないか? 体は良いのか?」
「お気遣いありがとうございます」
皇帝がベレンの隣にいるクリスをチラリと見た後、再びベレンに視線を戻した。
「話はできたのか?」
「はい」
顔を上げたベレンの表情を見て皇帝が微笑む。
「そうか」
「あの、すみません」
異国の服を着たたれ目の男が皇帝に話しかける。穏やかな顔つきで争い事が苦手そうな雰囲気だ。
「こちらの方は?」
「ああ。我が姉の娘のベレンガレシアだ。ベレン、こちらはケリーマ王国のオグウェノ・ケリーマ第四王子だ」
そう紹介されたのはベレンのことを訊ねた男ではなく、白い布を被っている男だった。
ベレンが黙ったまま膝を折ると、白い布を被っている男が微笑んだ。
彫りが深く、男らしい精悍な顔立ち。浅黒い肌に筋肉質な体は、美丈夫という言葉がしっくりくる。
オグウェノは尊大な態度で頷いた。
「この国は美人が多いと聞いていたが、その通りだな」
「ありがとうございます」
次にオグウェノはベレンの隣にいるクリスに目を向けた。王族特有の威圧感がクリスにのし掛かる。
「そちらは?」
「治療師のクリスティアヌスだ」
「ほう、この国の治療師は皇帝より偉いのか?」
クリスが皇帝を前にしても頭を下げず憮然とした顔で立っていることを指摘したのだ。普通ならここで頭を下げるところだが、クリスは微動だにしない。
代わりに皇帝が余裕のある笑みと共に答えた。
「治療師がいなければ存在しない命もある。そのことを考えれば、治療師は皇帝より偉いかもしれぬな」
苦しいながらも、どうにかフォローをした皇帝に対して、クリスは無言のままオグウェノの深緑の瞳を見つめている。皇帝の話に合わせる様子もない。
オグウェノはクリスと視線を合わすように中腰になった。
「そんなに我が目が珍しいか? ん? そなたも同じ色だな」
クリスはファウスティーノの城の中庭でこの男を見かけた時のことを思い出していた。
あの時は夜更けで周囲は暗かったが、それでも男前だと分かった顔が目の前にいる。
普通なら見惚れるところだが、クリスはあっさりとオグウェノから視線を外してベレンに言った。
「私は明日の準備で忙しい。これで失礼する」
「待て」
歩き出したクリスが足を止めて振り返る。
「何か用か?」
「それはこちらの台詞だ。我に用があるのではないのか?」
「ない」
「王子に対して、なんたる無礼……」
再び歩き出したクリスにキツい目の男が手を伸ばす。
たれ目の男とは正反対で、キツい目つきをした厳つい顔に、黒茶の髪を刈り上げた、いかにも戦士という雰囲気の男だ。本気を出せばクリスなど簡単に潰せそうなほどの大柄な体格である。
その気配を感じたクリスが振り返ると、目前まで腕が迫ってきていた。反射的に腕を引くが間に合わない。
クリスの腕が屈強な手に掴まれる、というところで赤髪がなびいた。
「何者だ?」
キツい目の男の腕を遮るようにルドが立っている。キツい目の男がルドを睨んでいると、オグウェノが思い出したように言った。
「その服……名高い魔法騎士団の騎士服だな? しかも赤髪ということは、あの有名な赤狼か?」
ルドは無言のまま答えない。その態度にキツい目の男が怒鳴る。
「答えろ!」
「犬だ」
「は?」
思わぬ回答に全員の視線がクリスに集まる。
「それはただの犬だ。赤狼など大層なものではない。行くぞ」
クリスが背を向けて歩き出したため、ルドもその後ろに続く。その様子にオグウェノがニヤリと笑った。
「もう少し大人しくしているつもりだったが……」
オグウェノの呟きにたれ目の男が慌てる。
「王子、まだ早い……」
「イディ! 行け!」
オグウェノの命令と同時に巨体が動いた。腰に下げている大剣を振り上げてクリスに迫る。
「逃げて下さい!」
ルドがクリスを突き飛ばして大剣を避けると同時に掌をキツい目の男に向けた。
『風よ! 我が身と踊れ!』
ルドの手から複数のつむじ風が発生し、キツい目の男に斬りかかる。四方からの攻撃に逃げ場はなく男に直撃するかと思われた、その時……
「どぉりゃぁぁぁあ!」
キツい目の男が咆哮を上げながら、つむじ風を大剣で真っ二つに斬り捨てた。
「魔法を切った!?」
驚くルドに向けてキツい目の男が剣を振り下ろす。ルドが素早く避けて間合いを取ると、皇帝が叫んだ。
「オグウェノ第四王子! どういうつも……」
「皇帝! こちらへ!」
皇帝が問い詰める前に騎士たちが壁になるように囲む。そして、そのまま城の中へと誘導された。入れ代わるように別の騎士や兵たちが次々と中庭になだれ込んでくる。
周囲が混乱していく中、クリスは自分の影を蹴ろうとした。だが、その前に足元に三日月型のナイフが刺さった。そしてナイフを中心に見たことがない幾何学模様が広がる。
「執事は呼べませんよ」
たれ目の男がクリスの前に立つ。
「なにを……」
クリスは逃げようとしたが体が動かなかった。そこにオグウェノが現れる。
「ちょぉーっと話がしたいんだけど、ここは騒がしいからな」
先ほどまでの尊大な話し方と態度が消え、軽く親し気な雰囲気でクリスに手を伸ばす。
「私は話などな……うぉっ!?」
オグウェノが軽くクリスを肩に担ぐ。
「やめっ! おろせ!」
クリスの叫び声にキツい目の男と戦っていたルドが気づく。
「師匠!」
標的をオグウェノに変えたルドが飛びかかるが、たれ目の男がクリスの首元に三日月型のナイフを突きつけた。
「動かないで下さい」
ルドを始め、騎士や兵たちも動きを止める。キツい目の男が悠々と歩いてオグウェノの隣に立った。
周囲を囲んでいる騎士の一人が一歩前に出る。
「オグウェノ第四王子。逃げ場はございません。どうか大人しく投降して下さい。皇帝がいまなら、まだ国交間問題にはしないと申されております」
オグウェノは困ったように顔をしかめた。
「問題もなにも、始めからこれが目的だったんだよなぁ。おっ! 来た、来た!」
オグウェノが無防備に上を向く。ルドは警戒をしながら同じように見上げた。
「なっ!?」
周囲の騎士たちも同じように驚く。
「なんだアレは!?」
「飛んでいるのか!?」
「あんなものが!?」
「どうやって!?」
周囲が騒めいている中、クリスも見上げたかったが魔法で体の動きを封じられているため見ることが出来ない。
「じゃあ、お暇させてもらうぜ」
オグウェノの言葉に周囲を囲んでいる騎士たちが一斉に殺気立つ。
自分たちが守るべき帝城内で自由に暴れた上に、あっさりと逃げられたとなっては騎士たちの顔面どころか全身に泥を塗られたようなものだ。一矢報いるためにもクリスの存在など関係なく攻撃をするかもしれない。
それだけは避けたいルドがどうするか考えていると、オグウェノが空いている右手で頭に被っている白い布を取った。
「なっ!?」
「ヒッ!?」
「まさっ!?」
小さな悲鳴とともに騎士たちが後ずさりをする。先ほどの殺気は完全に消失して逃げ腰になっていた。
白い布の下から現れた金髪と緑目というオグウェノの姿に騎士たちが小声で囁き合う。
「〝神に棄てられた一族〟か?」
「まさか……」
「だが、あの髪と目は……」
「とにかく近づくな」
「呪われるぞ」
オグウェノはそんな騎士たちを面白そうに眺めていた。
「ほーら、呪われたくなかったら近づくなよ」
そう言いながらオグウェノが被っていた白い布を投げる。白い布を避けるように騎士たちが一斉に下がった。
「じゃあ、行くか」
「はい」
たれ目の男が頷いて袖口に手を入れる。引き抜くとその手には長い杖があった。
『帰艦!』
杖を振り上げると真上から光りの輪が降り注ぎ、四人の体がそのまま浮かんだ。
「師匠!」
悔しそうにルドが叫ぶ。その声に押されるように小柄な影が光りの輪の中に飛び込んだ。
「ベレン様!」
騎士たちの顔が青くなる。
クリスは目の前に飛び込んできたベレンに叫んだ。
「お前、なんで来た!?」
ベレンが担がれているクリスの手を握る。
「したいと思ったことを致しましたの!」
「そういうことでは……」
クリスは諭そうとしたが小さく震えているベレンの手を見て黙った。なぜ飛び込んだのかは不明だが、覚悟をした上での行動なのだろう。
こうして二人は空に浮かぶ巨大な木造の帆船に吸い込まれていった。