ベレン
緑の草木に囲まれ、白亜の大理石で周囲より一段高く造られた台の上。乳白色の石で造られたテーブルに紅茶と茶菓子が並んでいる。
その前には白に近い金髪を結い上げ、水色の瞳を憂い気に細めて紅茶を飲んでいるベレンがいた。
若い執事に連れられてクリスが台の上まで来ると、ベレンが顔を上げて微笑んだ。心なしか少しやつれたように見える。
「お久しぶりです。どうぞ、おかけになって」
椅子を勧められたがクリスは立ったまま言った。
「用件は?」
「相変わらずの態度ですのね。普通でしたら反逆罪で罰せられますのに」
「お前がしてきたことに比べれば可愛いものだ」
「そうですわね……」
ベレンが再び目を伏せる。
「処罰を受けたとはいえ、それで私がしてきたことが……罪が消えるわけではありませんものね」
「少しはまともに考えられるようになったようだな」
クリスはベレンと向かい合うように椅子に座った。
そんな二人の様子をルドは木の影から覗き見していた。距離があるため会話の内容は分からないが、ベレンがクリスを傷つける様子はない。
ルドはベレンの姿が視界に入るたびに全身に悪寒が走ったが、その度に木に頭突きをしながら気をそらして見守った。
そもそもルドが女性恐怖症になったのはベレンが原因であった。
ベレンは幼少の頃、ルドに淡い初恋をしたのだが、その想いを利用されたうえに、大いに拗らせた。その結果、ルドの婚約者の対象となりうる少女や女性たちに盛大な嫌がらせをした。
そのことを耳にしたり、その光景を目の当たりにしたルドは同年代の女性を避けるようになり、ついにはこの国の女性だけが対象の女性恐怖症になっていた。
そんなベレンが一年前、ルドを追いかけてオークニーに来たことで事件が起きた。そこでベレンが操られていたことが発覚し、事件も解決したのだが、その時にルドはベレンを庇ったクリスを剣で刺している。
クリスは気にするなと言ったが、ルドはそうはいかない。自分を戒めるためにも絶対に忘れられない。
ルドは血が出るのではないか、というほど強く自分の手を握りしめると顔を上げた。
クリスが紅茶や茶菓子に手を出すことなく話を続けていく。
「これから、どうするつもりだ?」
クリスの言葉にベレンが驚いたように顔を上げる。
「謝罪を要求しないのですか?」
「私は謝ってほしいわけではない。謝ったところで過去は変わらないからな。それより、お前がこれからどうするのか。そのほうが重要だ」
「これから、どうするのか……」
クリスが黙ってベレンの言葉を待つ。
ベレンは紅茶に映った自分の顔にボツボツと話し始めた。
「今までは……ルドに嫁ぐことしか考えていませんでしたわ。周りが全然見えていなくて……気が付いたら同年代の友人たちは、ほとんど嫁いでいて……自分だけ取り残されたような感じですの」
「犬……いや、ルドのことは、もういいのか?」
「ルドは……あの時のあの目……私に躊躇いなく剣を向けてきた時の……まるで物を見るかのような感情のない……」
ベレンは身震いした体を自分の両手で抱きしめた。
「と、とにかく、ルドはいいのです。ルドも私とは会いたくないでしょうし……」
ベレンは話を切った。ずっと慕っていた相手から本気で殺されかけたのだからトラウマにもなるだろう。
クリスはベレンの心情をなんとなく察して話を戻した。
「では、どうするのだ?」
「別の相手を探すようになりますわ。でも皇帝の姉の娘である私に求婚してくる人なんて……」
そこでベレンは何かに気が付いたように大きく目を開くと、紅茶を一気に飲み干してカップをテーブルに置いた。
「そう、私は皇帝の姉の娘。政略目的で他国に嫁ぐという方法もあります」
名案とばかりに晴れやかな顔になったベレンをクリスが不思議そうに見る。
「そこまでして嫁がないといけないのか?」
「え?」
何を言っているんだ、こいつ? と言わんばかりのベレンからの視線にクリスが逆に驚く。
「別に嫁がなくても生きる道はあるだろ」
「どうやってですの?」
「興味があることを調べて研究したり、作りたいものを作ったり、旅に出たり……」
「旅!? 女性が!?」
ベレンが身を乗り出してクリスに迫る。
「あ、あぁ。いろんなものを見ることは良いと思うぞ」
「それこそ無理難題、夢物語ですわ」
「そうなのか?」
キョトンとしているクリスにベレンが大きく頷く。
「そうですわ。女性に旅なんて無理です」
「どうしてだ?」
「女性が旅をしたなんて聞いたことがありませんもの」
「聞いたことがないと、したらいけないのか?」
「え?」
「聞いたことがないと、出来ないのか?」
「それは……」
「他の国では男も女も普通に旅をするぞ」
ベレンは戸惑っていたが思い出したように言った。
「あ、他国に馬車で行ったことがありますわ!」
「それは公務でだろ? 自分が行きたいところに自由に行ったことは?」
「……ありませんわ」
「お前の外見なら嫁に欲しいという男など、いくらでも出てくるだろ。その前にやりたいことをやってもいいと思うぞ」
前触れなく誉められ、ベレンの頬がうっすらと染まる。
「え? わ、私に嫁いでほしいっていう人が、そんなにいるかしら?」
どこか恥じらっているような、もじもじと手弄りを始めた。クリスが平然と説明する。
「くっきりとした目に高すぎない鼻と大きすぎない口。それに綺麗な肌とサラサラな髪をしているんだぞ。お前のような可愛い美人は、なかなかいないだろ」
ベレンの頭にボンと小さな爆発が起きて顔が真っ赤になる。ベレンが両手を頬に当てて左右に首を振った。
「そっ、そんなっ! そんなことございませんわっ!」
「いや、幼い女子が想像するお姫様を実体化した姿だ。まぁ、実際に姫だがな」
「見え透いたお世辞はやめてください」
言葉ではそう言いながらも、ベレンはどこか嬉しそうだった。
白に近い金髪は柔らかく波打っており、こめかみから垂れている髪が風が吹く度にふわりと揺れる。
大きな水色の瞳は長い睫毛に縁どられ、ガラス玉のように輝いている。白い肌は滑らかで頬はほんのり朱色で血色がよい。鼻筋も通っており、唇は朝露で濡れた花びらのように瑞々しい。
妖艶というより、可愛らしく愛くるしいという言葉のほうが合う。
これだけの容姿だと欠点を探すほうが難しい。ただし性格は除いて。
クリスが肩をすくめながら呟く。
「世辞ではないんだがな」
「ですから……」
ベレンはクリスの顔を見て動きを止めた。まっすぐ見つめてくる深緑の瞳はお世辞や媚を売っていない。本音だが、その中に羨望も見える。
ベレンは今までの恥じらいが嘘のように表情を引き締めた。
「あなたはなさらないのですか?」
「なにをだ?」
「ご自身がされたいことです」
「私はしているぞ」
「えぇ。ご自身の性別を偽ってまで。ですが、本来の性別でされたいことがあるのではありませんか?」
クリスが遠くに視線を向ける。
「……そのようなことはない」
「人に勧めるなら、まずはご自身がされるべきだと思いますわ」
クリスはチラリとベレンを見た後、再び視線を逸らした。
「世の中には、どうしようもないこともある」
「そのようなことはありませんわ」
ベレンが前のめりになってクリスに詰め寄る。
「素は悪くないのですから。私にお任せなさい!」
「な、なにをするつもりだ?」
のけぞって逃げようとするクリスの手をベレンが掴む。
「ドレスはいくらありますから。それに私のメイドはメイクの腕も一流ですのよ」
「いや、もう、女装はしたくな……」
「さぁ! 私の部屋へ行きましょう!」
素早くクリスの腕に自分の腕を絡ませたベレンは意気揚々と歩き出した。