イール
少し考えたクリスは先帝に説明を始めた。
「まず、手足の指先が黒くなった原因だが、血管が詰まって指先に血液がいかなくなり肉が死んで腐ったためだ。治療魔法では死んだ部分は治せない。だから、いくら治療魔法をかけても黒くなったところは治らなかったのだ」
「呪いではないのか!?」
魔法陣の外にいる皇帝がどこか安堵したように確認する。クリスは軽く頷いた。
「あぁ。ただ私の治療でも黒くなった部分を治すことは出来ない」
先帝が黒くなった手足に視線を落とす。
「では、このままにしておくしかないのか」
「それでもいいが、そのままにしておけば他の部分にも悪い影響を与えるぞ。それに痛みもあるだろう?」
「痛みはある……が、治療はできないのだろう?」
「あぁ。黒くなったところを元に戻すことは出来ない」
「では、どうするのだ?」
「黒くなった部分を切断する」
騎士たちが口々に抗議する。
「先帝の体を斬るだと!?」
「治療できないからと、そのようなことをしていいと思っているのか!」
「恥を知れ!」
喚く騎士たちを無視してクリスが先帝に説明をする。
「このままだと腐った肉が原因で高熱が出て全身が弱り死ぬ危険性がある。高熱が出て、全身が弱った時に治療師に治療をさせても、それは一時しのぎにしかならない。腐ったところがあるかぎり、何度も同じことが起きる」
騎士たちが一斉に黙る。
「どうする?」
先帝はイールに視線を向けた。眉一つ動かない顔は表情らしきものが一切見えない。
「イールから聞いている物語がまだ途中でな。全てを聞くまでは死ぬのが惜しい」
「全ての物語を語るにはオヴィディオ様が千年は生きる必要があります」
声変わり前の高い澄んだ声は表情と同じく感情はない。だが聞き惚れてしまいそうになるほど魅惑的な声だ。
「そうか。では、あと千年は生きなければならないな」
先帝は面白そうに言うと、真剣な顔になりクリスに紺色の瞳を向けた。
「私の手足を斬ってくれ」
覚悟を決めた戦士の顔をしている先帝にクリスが頷く。
「わかった。あと、手足の血管が詰まった原因だが……」
「それにも原因があるのか!?」
皇帝が驚きの声を上げる。だが、それは先帝や騎士たちも同じ意見だったらしく驚いた顔をした。
「ある。ここに幽閉されてから、ほとんど運動せずに甘い物を多く食べていただろ?」
「確かに幽閉されてからは食へのこだわりが強くなったな。酒と甘味の量が増えた」
「それを毎日続けていたのだろう? 多すぎる甘味は血管を傷つける。しかも体内にある、取り過ぎた甘味を調節する機能が死んでしまっているから、体の中で甘味の調節がない出来なくなっている。これ以上、悪化させたくなければ食事にも気を付けなければならない」
「甘味を取らないようにすればいいのか?」
先帝の質問にクリスが首を横に振る。
「甘味だけではない。パンや米、芋や麺類も禁止だ。イール、医学についての知識はあるか?」
「はい」
「食事療法の知識はあるか?」
「あります。調理も可能です」
クリスが皇帝に言った。
「これから先帝の食事はイールに相談してから作るようにしてくれ。場合によってはイールが作ってもいい」
「あ、あぁ。わかった」
戸惑いながらも了承する皇帝とは反対に先帝が嬉しそうに笑う。
「イールが作る料理とは楽しみだな。ぜひ食してみたいぞ」
「その辺りの詳しいことは皇帝と話し合ってくれ。今日は手足を切断する道具を持ってきていないから、施行するのは明日にする。切断にはそこそこ時間がかかるから、朝から施行するようになるがいいか?」
「それでいい」
クリスがイールに近づいて小声で訊ねる。
「手術プログラムは入っているか?」
「はい」
クリスが先帝の方を向く。
「切断する時はイールを借りてもいいか?」
「好きにするがよい」
「では、借りよう。また明日の朝来る」
クリスが魔法陣の外に出る。イールは床に刺した金のナイフを抜くと先帝の首輪を外した。
そこに外から騎士が小走りでやって来て、皇帝に敬礼をした。それから、そっと耳打ちして離れたが、皇帝の表情が険しくなる。
「……予想より到着が早いな。すぐに行くと伝えろ」
「はい!」
騎士が再び小走りで部屋から出ていく。皇帝はクリスにすまなそうに言った。
「所用が入った。見送りが出来なくて悪いが、先に失礼させてもらう」
「こちらも後は帰るだけだ。気にするな」
「この者が外まで案内する。では、また明日」
皇帝が騎士を二人連れてさっさと部屋から出ていく。残った騎士がクリスとルドの前に来た。
「ついてきて下さい」
歩きだしたクリスたちにイールが頭を深く下げて見送った。
地下から出たクリスとルドが騎士の後ろについて城の中を歩いていく。そこに若い執事が現れた。
「失礼いたします。ベレンガリア様がお呼びです」
その名にルドの肩が跳ね上がった。顔はどうにか無表情を貫いているが目が泳いでいる。そんなルドを横目にクリスが訊ねた。
「用件は?」
「以前の詫びをかねてお茶を一緒にしたい、と仰っておられます」
「詫び……か。どうする?」
クリスがルドに確認すると、若い執事が待ったをかけた。
「すみませんが、お茶にはクリス様だけいらしてほしい、と仰られております」
「私だけ?」
意外なことにクリスが驚いていると、ルドが大きく首を横に振った。
「私も共に行きます。師匠になにかあっては……」
「それ以上は言うな。アレでも皇帝の姉の娘だ。皇族を疑ったと不敬罪に問われるぞ」
クリスの言い方がすでに不敬に当たるが、そこは誰も指摘しない。皇帝と先帝に対する態度からクリスの爵位が辺境の領主というものだけではないということは浸透していた。
それでもルドは食い下がる。
「ですが……」
「ここに来るまでに襲ってきた連中がやってきたら、それはそれで好都合だろ。城内に手引きした者がいるということになるから、犯人を特定しやすくなる」
「余計に危険です」
「なら、ベレンから見えないところにいればいいだろ」
「それでは遠すぎます」
「別にお前が側にいなくても、何かあればカリストがすぐに対処する」
「確かにそうですが……」
ルドがどこか悔しそうにクリスの影に視線を落とす。クリスは肩をすくめた。
「お前は過保護すぎるぞ。どうせ、もうすぐ魔法騎士団に戻るのだろう?」
驚いたルドはすぐに声を出すことが出来なかった。琥珀の瞳を丸くしたまま、どうにか声をだす。
「ど、どどど、どうして、そのことを!?」
クリスにだけは知られまいと隠してきたのに、どこで知られたのか分からない。
クリスがため息を吐く。
「ガスパル殿が教えてくれた。もともと一年という制約で治療院研究所に入った。一年が終われば治療師になれなくても魔法騎士団に戻るのだと」
ルドが黙って顔を伏せる。
「お前と会う前から自分の身は自分で守ってきた。お前がそこまで私のことを気にする必要はない。そろそろお前はお前の道を進め」
そう言うとクリスは若い執事に近づいた。
「案内してくれ」
「よろしいのですか?」
若い執事がルドに目配せする。
「……わかりました。ベレンから見えないところで護衛させて頂きます」
「好きにしろ」
クリスは呆れたように言うと若い執事に誘導されて城の中庭へと移動した。