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先帝

 重い扉が開くと同時に明るい光が差し込んできた。


 今までの重く湿った空気が嘘のように、部屋の中から軽く爽やかな風が通り抜ける。暑くも寒くもなく過ごしやすい気温と、高い天井から適度な明るさの光が降り注いでいる。

 石造りの広い部屋の中心にベッドと机と椅子があり、それらを囲むように銀色の魔法陣が床に輝いている。


 地下といえば普通は薄暗く空気が湿っており、カビ臭く劣悪な環境であることが多い。だが、この地下にはそういうものが一切ない。

 快適な空間にルドが無表情のまま驚いている隣で、クリスは部屋の数か所に視線を向けて頷いた。


「この部屋の作成にはシェットランド領の先代の領主も関わっているのか?」


「さすがだな。気付いたか」


「床の魔法陣は中にいる者の魔力を吸い取るものだ。その吸い取った魔力で灯りや部屋の温度を調節しているのだろう?」


「そうだ。常人だとすぐに魔力が枯渇するそうだが、先帝の魔力は膨大でな。毎日これぐらい消費して丁度いいぐらいらしい」


「なかなかの魔力量だな。だが、この中でどうやって治療をするのだ? 治療をしようとしても、魔方陣の中に入ったら治療師の魔力も吸い取られるだろ?」


「治療をする時だけ魔力を吸収する装置を先帝に装着し、魔方陣の外に移動してから治療をしていた」


「確かにここで治療魔法を使うなら、それぐらいしか方法はないな」


 クリスと皇帝が話していると中央にあるベッドから声が響いた。


「その声はフルジェンツィオか?」


 声の主がベッドの上でゆっくりと体を起こす。ぼさぼさに絡まった白髪に、顔中に刻まれた深いシワ。手入れがされていない中で紺色の目が鋭く光っている。


 皇帝が魔法陣の外から話しかけた。


「治療師を連れてまいりました。治療を受けて頂けませんか?」


 老人はクリスが着ている治療師の服と首にかけている白いストラを確認すると、興味なさそうにベッドに横になった。


「何人の治療師の治療を受けたと思っておる? 治ることはない。ほおっておけ」


「そうはいきません。そのままでは全身が黒くなり悪魔へと変化してしまいます」


「全身が黒くなる?」


 クリスの疑問に皇帝が答える。


「始めは足の指先がいつの間にか黒くなっていた。それが少しずつ広がり、今では手の指も何本か黒くなっている。このままでは全身が黒くなり、最後には悪魔の姿になってしまう」


 クリスは少し考えて訊ねた。


「痩せているように見えたが、指が黒くなる前からずっと痩せていたか? 太っていたことはないか?」


「この部屋で過ごすようになってから体型はふくよかになったが……半年ぐらい前から急に痩せてきた」


「よく喉が渇くと言わないか?」


「確かに……喉が乾くと水や酒を飲む量が増えている」


「そうか」


 ずっと黙っていたルドがクリスに耳打ちする。


「治療できそうですか?」


「手足が黒くなった原因の予想はついたが……」


「どうされました?」


「完全に治療することは出来なさそうだ」


 騎士たちが今にも抜刀しそうな勢いでクリスに注目する。皇帝が落胆しながらも軽く言った。


「そうか。治療師の最高位である白のストラを持つ貴殿でも無理なら仕方あるまい」


「いや、まったく治療が出来ないわけではない。だが、そもそも本人が治療を拒否している」


「拒否したら治療は出来ないのか?」


 少し驚いた様子の皇帝にクリスが当然だと説明する。


「治療を受ける、受けないは本人の自由だ。本人が拒否しているのに、なぜ治療をしなければならない?」


「いや、治療は受けたほうが良いだろう。なぜ治療を拒否するのだ?」


「それぞれ事情がある。ちょうど、そこに治療を拒否している本人がいるのだから、理由を聞いたらいいだろ」


 クリスの発言に騎士たちが一斉に剣の柄に手をそえて腰を落とした。


「失礼だぞ!」


「先帝と皇帝に対しての無礼な言葉の数々!」


「もう我慢ならん!」


 突き刺さる殺気に普通ならすごむところだが、クリスは平然としている。

 代わりに隣に立っているルドが無表情のまま琥珀の瞳を騎士たちに向けた。ルドの背後に巨大な赤毛の狼の幻影が現れ、一陣の風が吹き抜ける。


「クッ」


「うっ」


「……ッ」


 騎士たちは腰が抜けかけたが、どうにか踏ん張った。それでも根性で立っている状態のため、足は微かに震えている。

 騎士の一人が無意識に自分の喉に触れた。首が繋がっていること、傷がないことに安堵する。


 眼力だけで赤毛の狼に喉を噛みきられる幻影が脳裏に叩きつけられた。それだけで実力の差は明らかであり、直接剣を交えなくても勝敗がついた。


 騎士たちが意気消沈している中、ベッドに寝ていた先帝が再び体を起こした。


「小気味よい気迫だ。名は?」


 ルドが先帝に頭を下げる。


「ルドヴィクス・ガルメンディアと申します。ガスパル・マルティの孫です」


「ほう、ガスパルの孫か」


 紺色の瞳がルドを見定めた後、隣にいるクリスに視線を移した。


「その目……名は?」


「クリスティアヌス・フェリシアーノ」


 頭を下げることなく簡潔な名乗りに騎士たちが歯ぎしりをする。しかし先帝は気にする様子なく訊ねた。


「カイの身内か?」


「……」


 無言のクリスに先帝が頷く。


「そうか。あやつの身内らしい振る舞いだ。治療師だったな?」


「あぁ」


「私の治療に来たのか?」


「依頼されてな」


「ふむ……イール」


「はい」


 全員が一斉に声がした方に顔を向ける。先帝が寝ているベッドの頭元側の先にある壁に少年が立っていたが、誰もその存在に気付いていなかった。


「気配を感じなかった……」


 ルドが思わず呟いたが、その場にいた全員が同じ印象だった。


 呼ばれた少年が歩いて先帝の頭元に来ると、懐から金色の首輪を取り出して先帝の首に装着した。そして、歩きながら足元に描かれている魔法陣の数か所に金のナイフを突き刺した。


「これで治療が出来るな」


 先帝の言葉の意味が分からずクリス以外が首を傾げる。だが、クリスは躊躇うことなく魔法陣の中に足を踏み入れた。


「魔力を吸い取られます」


 止めようとするルドにクリスが前を向いたまま説明をする。


「魔法陣の効力は突き刺した金のナイフで一時的に止められているから、魔力が吸い取られることはない。先帝の魔力は首輪が吸い取っているから魔法での攻撃は出来ない」


「魔法陣の効力を止めた!? そんなことが!?」


 言葉にならない皇帝にクリスが訊ねる。


「あのイールという少年は先代の領主が連れて来たのだろう?」


「そうなのか!?」


 皇帝が周囲の騎士に問うが誰も知らないので答えられない。先帝が喉の奥で笑い声を殺しながら言った。


「クックックッ。おまえは知らんかっただろうが、イールはカイが暇つぶし用に、と置いていったのだ。この通り、いままで誰も存在に気付かなかったがな」


「イールがいたから、こんなところに大人しく幽閉されていたのだろう?」


「そうだ。イールはなかなか優秀でな。私が知らない国のことやお伽話を話すだけでなく、ボードゲームや組手の相手など、なんでもこなすのだ。初めて戦以外の楽しみを知ったぞ」


 先帝からの賛辞に全員の視線がイールに集まる。


 年齢は十代半ばぐらいで、とても先帝が言っていることが出来るとは思えない。

 無表情だが顔立ちは恐ろしく整っており、肩でまっすぐに切りそろえられた銀髪と銀色の瞳が冷たく光る。執事服を着ているため少年と思ったが、メイド服を着ていれば少女にも見える。


 クリスが呆れたようにため息を吐いた。


「この部屋の装置といい、イールといい、先代はかなり思い切ったことをしてくれた。あとで回収することになる私のことをまったく考えていなかったようだな」


「そう愚痴るな。そのおかげで私は快適に幽閉されている」


「では、回収する時は全面的に協力をお願いしたい」


「そこは約束しよう」


 先帝の前に立ったクリスは布団に手をかけた。


「黒くなった手足を診させてもらう」


「あぁ。酷い臭いがするぞ」


 クリスが布団をはぎ取る。すると肉か卵が腐ったような臭いが鼻に飛び込んできた。

 しかし、クリスは慣れた様子で淡々と手足を観察した。


「……右手は小指の先だけ、左手は小指から二本か。右足は小指から三本と、左足は……全滅だな」


 クリスが言った部位は細く真っ黒になっていた。クリスが手をかざして先帝の全身を透視魔法で診ていく。


「このままだと数年後には失明するな。他も……なかなかに酷い」


「治療できないなら、できないと言ってよいぞ」


 先帝や皇帝の治療を拒否するということは、その治療師の首が飛ぶこともある。そのため普通は誤魔化したり無理にでも治療をしたりするのだが、クリスは何も言わずに顎に手を置いたまま考えた。


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