領主ファウスティーノ
外が明るくなってきた頃、ルドは自然と目を覚ました。相変わらずクリスの手はルドの上着を握りしめている。
ギリギリの時間までクリスを寝かせたいと考えたルドは、静かに上着を脱いで部屋から出て行った。
自分の部屋に戻ったルドはいつものように軽く体を動かした。それから腰につけている袋に荷物をまとめ、部屋から出る。すると老齢の執事が立っていた。
「おはようございます」
挨拶をしながら礼をした執事にルドも頭を下げる。
「おはようございます」
「朝食はいかがいたしましょう?」
「できれば早く出発したいので……」
「では、すぐにお部屋に朝食をお持ちいたします」
思わぬ言葉にルドは驚いた。朝食は出来ていない、もしくは、朝食は食堂で領主夫婦と共に食べるように、と言われると予想していたのだ。
「かなり朝早いのですが大丈夫ですか?」
「いつでも召し上がって頂けるよう準備しておくように、とファウスティーノ様より仰せつかっております」
ルドは感心しながら礼を言った。
「それは助かります。自分の部屋に朝食を二人分運んでもらってもいいですか?」
「かしこまりました」
「ありがとうございます」
「いいえ。失礼いたします」
執事が下がるとルドはクリスを起こすために部屋に入った。
「……あれ?」
置いていった上着がない。部屋を出た時はクリスが寝ているベッドから垂れ下がっていたのは確認済みだ。クリスを起こさないようにベッドの下や部屋の中を探すが見当たらない。
ルドは首を傾げながら先にクリスを起こすことにした。
「ティアナ様、起きて下さい」
「……朝か」
クリスが布団から顔を出す。眠そうに目をこすると、欠伸をしながら体を起こした。
「お前、上着はどうしたんだ?」
シンプルな紺色のシャツにセルシティの親衛隊の服である水色のズボンを履いている。クリスの質問にルドは言いにくそうに指さした。
「上着は……その、そこに……」
ルドが指さした先はクリスの胸だった。
言われてクリスが視線を下に落とす。そこにはルドの上着を抱きしめるように持っている腕があった。クリスの顔が一瞬で真っ赤になる。
「なっ!? なっ、なんでここにあるんだ!?」
「昨日の夜、ティアナ様が寝ぼけて自分の上着を掴んで、そのまま寝てしまったのです」
「そ、それなら、上着だけ取れば良かっただろ!」
「それで起こしてはいけないと思いまして」
平然と話すルドの姿にクリスは慌てているのが馬鹿らしくなり、顔を逸らしながら上着を突き返した。
「それは悪かったな」
上着を受け取ったルドは執事が近づいてくる気配を察して、急いで説明をした。
「朝食を自分の部屋に準備してもらうようにしました。外で待っていますので、着替えが終わりましたら声をかけて下さい」
「わかった」
ルドが部屋から出て行く。クリスは手で額を押さえながら俯いた。
「なにをやっているんだ、私は」
そこにルドの上着はないのに、なぜかルドの匂いが鼻をかすめた気がした。
影から出した服に着替えて目に包帯を巻いたクリスはルドの部屋に移動した。部屋に隠匿の魔法がかけられていることを確認すると、包帯を外して準備されていた朝食をとった。
無言で朝食を終えたクリスにルドが機嫌を伺うように声をかける。
「出発しようと思うのですが、大丈夫ですか?」
「あぁ」
「今日の夕方には帝都に着く予定です」
「あぁ」
クリスはルドと顔も合わせようとせず、どこかよそよそしい。そんな態度のクリスにルドが心配そうな顔をする。
「どこか悪いのですか? 時間はかかりますが馬車での移動にしましょうか?」
クリスは目に包帯を巻くと、マントを羽織りフードを被った。
「いや、私は平気だ。行くぞ」
「わかりました」
立ち上がったクリスの手にルドの手が触れる。その瞬間、クリスが手を引っ込めた。
「どうかされましたか?」
「あ……いや、なんでもない」
そう言いながらクリスは一瞬だけ透視魔法を使うと、ルドの袖の裾を掴んだ。
「……ティアナ様?」
ルドの困惑した声にクリスが不機嫌そうな声で返す。
「なんだ?」
「……いえ、いいです」
二人が廊下に出ると老齢の執事が頭を下げた。
「馬の準備ができております。こちらへどうぞ」
執事に案内された先には一頭の馬とファウスティーノ夫妻がいた。
ファウスティーノが笑顔で二人に挨拶をする。
「おはようございます。昨日は夕食を共にできず、失礼しました」
「いえ。こちらこそ朝早くから対応していただき、ありがとうございます」
「この馬は走ることが好きですから、しっかり走ってくれますよ」
ファウスティーノは馬を撫でながらルドに言った。
「それにしてもセルシティ第三皇子の発想力にはいつも驚かされます。移動といえば同じ馬を使って目的地まで走り続けるものなのに、こうして疲れた馬を元気な馬と交換して、早く目的地に到着する方法を考え出すとは。まあ、普通はこんなことをしようとしても、馬を貸し出す領主たちと良好な関係でないと出来ないことです。たとえ皇子であろうとも、全ての領主と良好な関係というわけではないのですから」
そこまで言ってファウスティーノの細い目が開き水色の瞳がルドに向けられる。
「ただし皇帝の命であれば別ですが」
前代未聞の移動方法をしてでも急いで帝都に連れて行き、治療をしなければならないほどの価値がクリスにあるのか。
セルシティからの指示だが、その裏には皇帝がいるのではないのか。
ルドはファウスティーノの言葉の裏を読み取りつつも、穏やかな表情のまま淡々と言った。
「私は与えられた任務を遂行しているだけですので」
ルドの答えにファウスティーノの細い目がニッコリと半円形になる。
「そうですか。道中お気をつけ下さい」
「はい」
ファウスティーノとルドが話している間にロレーナがクリスの前に来た。
「馬での移動は大変でしょうけど、頑張って下さいね」
そう言いながらクリスの手に小さな袋を握らせる。
「あの……これは?」
「昨日の足湯の中に入れていた花を乾燥させて詰めたものです。このまま香り袋として使ってもよろしいですし、湯につけて香りを楽しむこともできますよ」
「ありがとうございます」
「この花はね、昔ラベンダーという少女が少年に恋をしたけど、告白できずに待ち続けていたら一輪の花になってしまった、という由来がありますの。花言葉は"待ち続ける""献身的な愛"ですわ」
黙って聞いているクリスにロレーナが話を続ける。
「あなたも待ち続けてラベンダーのようにならないでね。想いは口に出して言わないと伝わりませんから」
「……伝わらなくてもいい想いもあります」
「そんなこと……」
「そろそろ、よろしいですか?」
二人の間にルドが入る。クリスは無言で膝を折ると、ルドに誘導されて馬の前まで歩いた。
そこでルドがクリスを馬に乗せながら小声で訊ねた。
「何を渡されたのですか?」
「ラベンダーという花を乾燥させて袋に入れた物だ。この花の匂いには気持ちを落ち着かせる効果がある」
「魔法の類のものではないようですね」
「そのようだな」
「では、そのまま持っていきましょう」
ルドが馬をファウスティーノ夫妻の前まで移動させると、頭を下げた。
「いろいろとありがとうございました」
「道中、お気をつけて」
「失礼します」
夫妻に見送られながらルドたちは城を出発した。
クリスたちの姿が見えなくなったところでファウスティーノがロレーナに訊ねた。
「さて、どのように報告しましょうか?」
「可愛らしいお嬢さんでした。で、よろしいと思いますわ」
ファウスティーノが片目を開く。淡い水色の瞳が鋭くロレーナを射貫いた。
「それでよろしいのですか?」
「はい」
「……わかりました。そのように皇帝に報告しましょう」
ロレーナが満足そうに微笑みながら頷く。ファウスティーノは踵を返すと城内へ歩き出した。
「次は昨夜来られた客人の朝の準備をしないといけませんね」
「そうですね」
ロレーナもファウスティーノについて歩き出したが、城内に入る前に振り返った。
「……」
薄く開いたロレーナの淡い水色の瞳がクリスとルドが走り去った道を見つめる。そこで肩に手をかけられた。
ロレーナが顔を上げるとファウスティーノが微笑んでいた。
「随分と気に入ったようですね」
「えぇ。本当に可愛らしいお嬢さんでしたから」
「あの二人なら何があっても大丈夫でしょう」
「できれば何もなければ良いのですが」
「私たちは私たちの仕事をするだけです」
「そうですね」
微笑み合うと揃って城内に入っていった。