記憶
呼び鈴を鳴らして少しすると、ロレーナがメイドとともに部屋に入ってきた。そこでルドが室内にいることに気づいたロレーナは少しキツめの声で注意した。
「護衛とはいえ女性の部屋に男性が入られるのは、あまり褒められたものではないと思いますが」
ルドが声を出す前にクリスが止める。
「あの、私が部屋に入れました。呼び鈴が置いてある場所が分からなかったので、はしたないこととは思ったのですが……」
どこか恥ずかしそうに顔を伏せたクリスを見て、ロレーナが困った顔になった。
「あら、あら。それは失礼しました。呼び鈴を近くに置いておりませんでしたか? それはさぞ、お困りになったでしょう」
素直に詫びるロレーナは見る限りでは演技をしているようには思えない。そこにルドが会話に入ってきた。
「ところで夕食のことですが……」
「そう、そう。夕食のことでご相談したいことがありましたの」
ルドの話を遮ったロレーナが悲しそうな顔で話す。
「急な来客がありまして……申し訳ないのですが、夕食をご一緒できなくなりました」
それは好都合、とルドは思ったが表情には出さずに頷く。
「わかりました。それでしたら、この部屋で夕食を頂いてもよろしいですか? お嬢様の食事は私が手助けしますので、食事だけ運んできてもらえたら助かります」
「食事の手助けなら使用人がしますから、ゆっくり食事を召し上がって下さい」
「いえ、お嬢様は人見知りもありまして不慣れな人の前だと緊張して休めないのです」
「あら、あら。それなら、そのようにいたしましょう」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げたルドにロレーナがクスリと笑う。
「どうかされましたか?」
首を傾げるルドにロレーナが謝った。
「気を悪くされたのなら、ごめんなさい。威厳と力を誇示して威張っている騎士が多いのに、あなたは謙虚で素直なんですね」
「そうですか?」
不思議そうにしているルドにロレーナが微笑む。
「そういうところですよ。では食事を運ばせますので、それまでごゆっくりお過ごし下さい」
ロレーナはメイドを連れて部屋から出て行った。
来客の相手で忙しいのかファウスティーノとロレーナはクリスたちの食事中に顔を見せることはなかった。
クリスたちは夕食を終えると、余計な詮索をされないためにも早々に休むことにした……が、そこで問題が起きた。
「昨日のこともありますし、自分は部屋の前で見張りをしています」
「だ、か、ら、設定を考えろ! たかが貴族令嬢にそれはやり過ぎだ! ただでさえ探られているのに、余計に怪しまれる! お前の部屋は隣なんだから、なにかあればすぐに来れるだろ。とにかく部屋で休め!」
「ですが……」
ごねるルドにクリスが何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ! 私がお前の部屋で休む! それなら問題ないな」
「名案を思い付いたような顔をしないで下さい! 別の問題が発生します!」
「それならお前は隣の部屋で休め」
疲労からかクリスの目が座っている。このままだと本気で部屋に押しかけてくる勢いだ。
クリスの本気を感じたルドはガックリと肩を落とした。
「……わかりました」
「よし。では、さっさと出ていけ」
それだけ言うとクリスはベッドに潜り込んだ。
「はぁ……」
すでに部屋に罠を仕掛けているルドはやることがないので仕方なく隣の部屋へと移動した。
ベッドに入ってすぐ眠りについたクリスは、ふと目が覚めた。よく眠った気がして布団から顔を出したのだが周囲は暗い。
「……まだ夜か」
クリスはベッドから出るとカーテンの隙間から差し込む淡い光に気が付いた。クリスはベランダの前にある窓に近づいてカーテンを少しだけ開けた。
空には薄雲があるため星はあまり見えないが、その中でも満月が強く輝いていた。その光景はなんとなく幼い頃に見ていた空を思い出した。
幼い頃の記憶では空は常に黒く、いつも同じ場所に青い球体が浮かんでいた。
クリスは周りにいた大人に青い球体の名前を訊ねたことがあった。
『ティアナは知りたいことが沢山あるのね』
自分と同じ金髪緑目の女性の優しい声が響く。
『あれは……って言うのよ』
教えてもらった言葉のところだけ音が抜けたように聞こえない。ただ女性の悲しそうな微笑みが強く印象に残っている。
「あれは誰なんだろうな」
クリスが空に向かって手を伸ばす。手と月が重なるが掴むことはできない。
記憶と同じ。見ることは出来ても触れることは出来ない。
「……遠いな」
手を下ろして庭に目を向ける。様々な植物が規則正しく並び、迷路のような道を作っている。季節的に花は少ないが、手入れが行き届いた綺麗な庭だ。
その中を動く影がある。クリスは咄嗟にカーテンの後ろに身を隠した。
「こんな時間に?」
カーテンの隙間から動く影を覗き見る。
影は植物を一つ一つ確認するようにゆっくりと動いていた。
「庭師か? それにしては服装が綺麗だな」
白くゆったりとした服が体の線を隠すように覆っている。汚れ一つなく、裾には植物の刺繍がしてある。肩幅はしっかりしており、男らしい筋肉質な体格であることが想像できる。
「あれは南東の方にある国の伝統的な服だな。夫人が言っていた急な客人か?」
海と砂漠を挟んだ南東に大国があるが、その国の民族衣装に似ている。
クリスが観察をしていると、月光に照らされて顔が見えた。
漆黒の黒髪に彫りが深く甘い顔立ちと、この国では珍しい褐色の肌。遠くからでも分かるほど男の色気が溢れている。この外見で愛を囁かれれば、大抵の女性は恋に落ちるだろう。
影が動きを止めて顔を上げた。黒い前髪の下にある鋭い深緑の瞳がこちらを見る。クリスの手が動き、自然と窓を開けていた。
「ティアナ様!」
ルドが部屋に飛び込んできた。
「なんだ!?」
お互いに驚いた顔をして見合う。
「窓が開いた気配がしたので何か起きたのかと……」
「あ、あぁ……すまない」
クリスが開けた窓の先を見ると、庭に男の姿はなかった。ルドが周囲を警戒しながら窓を閉める。
「変わりありませんか?」
「あぁ」
「やはりドアの前で見張りをしたほうが……」
そこまで言ってからルドは反論される、と身構えた。しかし、クリスは何も言わずに布団に潜り込んだ。
「ティアナ様?」
「……その呼び方のせいだ」
「え? よく聞こえなかったのですが」
ルドがベッドのそばに立って屈む。クリスは布団を被ったまま言った。
「好きにしろ」
いつもの覇気がなく、どこか哀愁が漂う声にルドが戸惑う。
「あの、本当にいいのですか?」
返事はない。少しして規則正しい寝息の音が聞こえてきた。
ルドが困ったように赤髪を掻く。
「……とりあえず廊下で見張るか」
歩き出そうとしたルドは服を引っ張られて止まった。
「ん?」
振り返るとクリスの手がルドの上着の裾を握りしめていた。ルドはクリスの手を外そうとしたが、その途中で手を止めた。
「どうするか……」
上着だけをここに残してドアの前で見張りをするという方法もある。だが、それをするのは躊躇われた。
慣れない環境に加えて、クリスにはかなり無理をさせている。肉体の疲労は精神にも影響を与える。暗闇は不安を増大させるし、一人になりたくない夜もある。
本人は自覚していなくても、それが無意識の行動に現れることもある。
ルドはクリスの手をそのままにしてベッドに背を向けると腰を下ろした。
「今夜だけだ」
クリスの寝息を聞きながらルドは目を閉じた。
来週から夏休みの間だけ火曜日と金曜日の週二回更新していきます(*≧∇≦)ノ