ロレーナ夫人
包帯で目を隠しているクリスは何が起きているのか会話から推測していた。椅子に座らされたところでルドが慌てて出て行った。
その間に靴を脱がされ、マントとスカートが濡れないように裾を上げられる。
「失礼します」
メイドがクリスの足を持ち上げて深い桶の中に入れた。心地よい湯の温度に足が包まれ、ふわりと花の匂いが漂う。
「熱くありませんか?」
匂いから花の種類を推測していたクリスはすぐに返事ができなかった。
「……え? あ、はい。熱くないです」
「何か気になることがございますか?」
ロレーナの質問に、クリスは設定である貴族の令嬢らしく振舞うため、微笑みながら声を少し高くして答えた。
「良い匂いですね。花の匂いですか?」
「えぇ。ラベンダーという紫の花を湯の中に入れております。寒い地方に咲く花でして、花の香りには体を休める効果があるそうですよ」
「まぁ、花にそのような効果があるのですか」
「はい。馬での移動続きでお疲れでしょうから、少しでも休めて頂けたらと思いまして準備しておりました」
ロレーナの穏やかな声が心に染み渡る。
城に到着して気が付くと足湯をしているという状況で、普通なら警戒するところだが、クリスは自然と力が抜けていた。
「お心遣い、ありがとうございます」
クリスが住んでいる屋敷は温泉が湧き出ているため毎日風呂に入っていた。それが突然帝都に行くことになり風呂どころか体も拭けない状況が続いていた。
文句の一つでも言いたいところだが、風呂を準備するには大量の水と火をおこす木が必要なため、世間一般では滅多に入らない。
一般常識に疎いクリスでも、そのことは知っていたので何も言わずに我慢していた。
それが、こんなところで足だけでも湯に浸かることが出来た。しかも、足だけなのに想像以上に気持ちがいい。
そんなクリスの心境を悟ったのか、ロレーナがにこやかに話す。
「体を拭くための湯と着替えも用意しております。足湯が終わりましたら、体を拭きましょう」
「それは、あり……」
ロレーナの申し出にクリスは素で、ありがたい、と言いかけて口を閉じた。
普段なら自分でするが、今は目が見えない設定だ。このままだとメイドが服を脱がせて体を拭くだろう。いや、目が見えていても領主を務めるような貴族なら、着替えから体拭きまで使用人にさせるのが当然である。
だが、そんなことは絶対にされたくないクリスは急いで首を横に振った。
「い、いえ。せっかく準備をしていただきましたが……」
温かい湯で体は拭きたい。しかし、着替えから体拭きまではされたくない。そんなことをされた日には羞恥で憤死する。
葛藤しているクリスにロレーナがおっとりと提案した。
「では、湯を置いておきますので、ご自分でされまして、終わりましたら呼ぶというのは、いかがでしょう?」
「え?」
普通ではありえない提案にクリスが固まる。
目が見えることがバレているのか? どこまでの情報を知っているんだ?
クリスは探るように、そっと透視魔法を使ってロレーナの表情を覗いた。
人を疑うことを知らないような、無垢な微笑みを浮かべた貴婦人だ。なにかを企んでいるようには見えないが……
クリスが悩んでいる間にメイドがクリスの足を湯から上げてタオルで拭くと靴を履かせた。そして素早く部屋から出ると、すぐにワゴンを押して戻ってきた。
ロレーナがクリスの手を取って、メイドが目の前に持って来たワゴンに触れさせる。
「こちらに湯と着替えが置いてあります。終わりましたら呼び鈴を鳴らして下さい」
外見や雰囲気はおっとりしているのに行動が早いロレーナはメイドを連れてさっさと部屋から出て行った。
ぼそぼそと部屋の外で話し声がした後、足音が遠ざかっていく。
クリスは透視魔法で周囲を確認しながらドアに近づくと小声で外に声をかけた。
「何を話した?」
ドアの前に立っているルドが小声で返事をする。
「呼び鈴が鳴るまで部屋に入るな、と言われました」
「その通りだな」
「なにか問題はありませんか?」
「……たぶん大丈夫だ」
「たぶん?」
「また後で話す。今は合図をするまで誰も部屋に入れるな」
「はい」
クリスは目に巻いている包帯を外すと部屋を見回した。
手入れがしっかりされた年代物のベッドにテーブルと椅子。壁や棚に飾ってある物も古いが気品と統一感がある。大きな窓からはベランダに出られるが、今はカーテンが閉められている。
「普通の部屋だな」
部屋を確認したクリスはワゴンに近づいた。
ワゴンの上には大きめの桶が二つあり、一つは熱めの湯が、もう一つにはぬるめの湯が入っていた。そして、その隣には数枚のタオルと淡い水色の生地に白いレースがあしらわれたドレスがある。
「さっさと終わらせるか」
クリスは豪快に服を脱ぐと急いで体を拭いた。
体を拭いてさっぱりしたクリスは用意されていたドレスを着た。
ドレスと言っても室内用のゆったりとした服で、首元と手首とスカートの裾に白いレースがあしらわれている。
こんなに可愛らしい服を着ることになるとは……
「……考えないようにしよう」
クリスは自分の今の姿を想像しかけたが、首を振って止めた。それから目に包帯を巻くと、ドアに近づいてルドに声をかけた。
「入っていいぞ」
ルドが伺うようにそっとドアを開ける。
「呼び鈴を鳴らさなくていいのですか?」
「それなんだがな……」
ルドが部屋に入りドアを閉める。そこでルドの動きが止まった。
ルドがなにかを言う前にクリスが先手を打つ。
「服装については何も言うな」
「あ……はい」
クリスは目に包帯を巻いていることを初めてありがたいと思った。ルドならこんな似合わない服を着た姿を見ても何も言わないだろうが、哀れみのこもった眼差しを向けるだろう。そんな視線は見たくない。
クリスはルドがいるであろう方向に背を向けて説明を始めた。
「私は目が見えない設定だ。そしてロレーナ夫人はそのことに気を使って丁寧に対応してくれた」
「はい」
「だからこそ、気になった。あそこまで丁寧なら、呼び鈴を手の届くところに置くか、呼び鈴が置いてある場所を教えるはずだ。だが呼び鈴で呼ぶように、としか言わなかった。それでは目が見えない私は呼び鈴がある場所が分からず、呼ぶことが出来ない。実際に呼び鈴はワゴンから離れたテーブルの上にあり、手は届かないし、かなり探さなければならない」
ルドも引っかかることがあった。この城に到着してからワザとクリスと離れさせられ、何かを探られているような感じがした。
「……試されている?」
「どちらかというと、疑われている、かもしれないな」
「厄介ですね」
「あぁ。しかも観察眼が鋭そうだ」
「そうですね」
ルドが同意する。そのことにクリスが少し驚いた。
「お前もそう思うか?」
「はい。穏やかで人当たりが良いのですが、その裏になにかを持っているような印象を持ちました」
「面倒なことになる前に出たいな」
「そうですね。夕食はどうしましょう?」
「できれば部屋で食べたいが……」
ルドが頷く。
「そのように交渉します」
「そこは任せる。とりあえず、呼び鈴を鳴らすか」
クリスはテーブルの上にある呼び鈴を鳴らした。