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ねえ こっちにきてよ

作者: 淡行マユウ



目を開けるとそこには


見慣れない女が、

とても幸せそうな顔で俺のことをじいっと見つめていた。




──────────────────────




「....アンタ、誰」

「起きた?もうクラスの皆帰っちゃったよ」



辺りを見回すと空はすっかり茜色になっていて、グラウンドで練習を行っているであろう野球部員達の声が耳の奥まで響いてくる。

教室で机の上で居眠りこいて、気が付けばこんな時間になっていたんだろう。そんなことは分かっているんだ。

高校二年生で、部活も入らずに毎日とりとめのない日々を送っているってことだって、そんなことも分かっているんだ。


「どうしたの?」


ただ、目の前にいるコイツが誰なのかさっぱり分からないんだ。


「寒いね。もう冬だもんね」


目の前のソイツは髪を団子頭にして、メガネをかけている。

それなのに茶髪だし制服のシャツのボタンはひとつだけ空いてるし、何だかアンバランスだ。


先生から早く帰れってまたうるさく言われちゃうよ。と言われれば教室から出ない訳にもいかず、そのまま俺は成り行きでコイツと人気のない廊下を二人きりで歩いている。


「....あのさ、聞きにくいんだけど」

「ねえ。運命って信じる?」


いや、何を言っているんだ。運命だか何だか知らないがその前にお前は一体誰なのだ。現実的な意見を口にしてやろうかと思ったが振り返り俺を見つめるその瞳を見ていると、質問に答えなければいけないような気がした。


「信じない。前世だとか来世だとか、くだらないから」

「キミはいつもそう言うよね」


満足そうに笑うとまた前を向き歩く姿。

いつもって、だからその”いつも”って何なんだよ。

お前は誰なんだよ。


「春が来たらまた一緒にお花見したいね、夏はスイカ割り、秋はそうだなあ。読書の秋とか?私達はそんなことしないか、そしたらまた冬が来て今みたいに一緒に帰れる、そういえば去年は確かーー、」


「アンタ誰なの」


楽しそうに話していた声がピタリと止み、空気が固まる。


するとゆっくりとこちらを振り返り目の前のお団子頭は今にも泣き出しそうな顔をしながら「やっぱり....覚えてないんだね....」と小さな声で呟いた。


「覚えてないとかじゃなくて、俺はアンタを知らない」

「知ってるよ。キミが覚えていないだけ」

「....馬鹿にしてんの?」

「キミは忘れてしまったんだよ、私に関する記憶を全て」


廊下に響くのは目の前の女の少し高い声と呼吸。

俺は夕日に照らされるその後ろ姿を見ながら、心臓がどくん、と波打つのを実感した。


「何なの?アンタ、怖いんだけど」

「私からしたらキミの方が怖いよ」

「記憶を失くすとか。漫画じゃねえんだよ」

「そうだよここは現実、でも実際にキミは私を忘れてる」


淡々と話し続けるその声に俺は少しだけ恐怖を感じた。

忘れてる?何を?いや、こんな事本当にあるのか?


病院に、いや担任に話をして、友達に連絡をして確認をーー現実的な解決方法は頭の中にどんどんと瞬時に浮かび上がっては来るのに、目の前のソイツの雰囲気がそうさせないとでも言うかのように、俺はその場から動かなくなっていた。


「混乱してる?大丈夫だよ、周りは誰も気付いていない。職員室に教室のカギを返してきてくれるかな、そうしたら一緒にゆっくり帰ろう、何処かでゆっくり話でもしようよ」

混乱する頭の中で女の声が耳の奥にまで響き渡る。

「カギ....、お前が返して来いよ」

「私は無理なの。ねえお願い」


彼女の手から強制的にカギを渡され、両手を握られる。

その手は驚くほど冷たくまるで長時間外で人を待っていたかのように凍えそうなくらいの体温だった。



──────────────────────



「キミ。自分の名前は覚えてる?」

「....(ユウ)

「!ユウくん....!」

「何だよ、お前知ってんだろ?」


えへへ。と笑うとソイツはとてつもなく嬉しそうな顔をして「別に良いでしょ?嬉しいものは嬉しいの」と言いながらメモ用紙に俺の名前を記入していた。

何と言うか、よく分からないヤツだ。


「ユウくん、公園のベンチ座ろ」

「待てよ。寒いし、俺早く帰りたい」

「気持ち悪くないの?」

「は?」

「私が誰か思い出せないの、気持ち悪くないの?」


そりゃあ気持ち悪いよ。気持ち悪いというよりも胸がモヤモヤするよ。それなりに親しかったみたいだし、思い出せないってのも申し訳なく思ってるよ。


「ユウくんって私のこといつも邪魔者みたいに扱ってたから、今もそうなのかな」

「いや、そんなことはないけど」

「じゃあちょっとだけ話していこ!ね?お願い」


とても悲しそうな顔をして下を向くものだから、俺は焦って否定をしてしまった。

記憶を失くす前の自分のことなんて分かりもしないのに、いい加減なことを言ってしまったと瞬時に後悔。

だけど俺のそんな発言を聞いてとても嬉しそうにする表情を見たら別に良いかな。なんて。俺って偽善者だったのかな。


「ユウくんはほとんど、私より先に歩いて帰ってたんだよ。恥ずかしがり屋さんなのかな。本当はこうやって一緒に毎日帰りたかったんだけどそうはいかなくて」

「お前ウザそうだもんな」

「ひどいなあ。でもこうして話してみると、ユウくんって意外と優しいんだなって思った。勇気出して話しかけてみて本当に良かった」

「俺達って友達だったんだよな?何、お前ってイジられキャラなの?」


お団子頭は楽しそうに笑うと、イジられキャラっていうか、いつもユウくんが私のこと気付いてないって感じ!とまた訳の分からない発言をした。

この意味不明な性格からして、何となく前の出来事が予想出来る。


それにしても俺はどうして記憶を失くしてしまったのだろうか。ふと、現実的な思考が頭の中に戻ってきたことにより目の前のソイツをじいっと見つめる。

すると何故か顔を少しだけ赤らめ、下向きになりながら女は話し始めた。


「そ、それにね、ユウくん。私達....友達じゃなくて....」

「え?」


風が吹く。公園に立つ木々がざわざわと揺れる。呼吸が一瞬だけ止まって、心臓が大きく鳴る。

友達じゃない?親しみのある話し方や思い出話、素振り。

もしかして、友達でないのなら──。



「付き合ってるんだよ、ユウくんと、私....」

「付き、合ってる?」

「うん....」


目の前のソイツはどんどんと顔を赤くしていく。俺はどうすれば良いのか、まるで分からない。

付き合っている?ということは、思春期の男子高校生だ、それなりの妄想はしてしまう、目の前のこの女と、俺は、あんなことやそんなことをしているという訳か?


「ユウくん、驚きすぎ」

「えっ」

「言っておくけど私達まだデートぐらいしかしてないから」

「そ、そんなの分かってるっての」


急に周りの空気が熱くなった気がする。

それによく見てみればコイツ、可愛いかもしれない。

先入観というものは恐ろしく俺も所詮ただの男だということで、さっきまで変わった女友達ぐらいにしか思っていなかったその存在を突然色めいた目で見てしまう自分が情けなくて仕方ない。


「だからね、どうしても思い出して欲しくて」

「あ~....えっと....まあそういうことなら」

「え?」

「いや、俺も何で忘れたのか分かんねえけど、彼女忘れるとか男として最低だろ。だからこれから病院に....」

「病院なんて行かなくて良い」


木々がざわめくのと同時にソイツは俺の首根っこを引っ張って唇を触れさせた、俺はというと記憶の中での人生で初のキスというやつを経験したことで頭が真っ白になり、それと同時に鼻先に香る甘い匂いに脳内が痺れてやられてしまい、唇をちゅっと、音を立てて離された直後に「キスされた」ということに気が付いた。


「....」

「な、何、そんなに見ないで」


自分から仕掛けておいたくせに恥ずかしそうに目線を逸らし、ボタンの外れたシャツを右手で触る。これは、まずい。俺としたことが。記憶上は初対面の筈なのに、胸が高まる。うるさい。この女のことを、可愛い。と思っている。


「....いや、その、突然だろ」

「ユウくんと ずっとこうしたかったから」

「は、はあ?」


その唇には少しだけ艶が出ていて、鼻の先に残る甘い香りと木々のざわめきがうるさくて、俺はというとすっかり目の前のソイツに目を奪われてしまい、シャツに 目が行き、細くて綺麗な指先に目が行き、頭の中は馬鹿みたいにくだらないことで敷き詰められている、でも、そんな事も御構い無しに彼女は少しだけ上目遣いになると俺をじいっと見つめて、こう言った。


「ねえ こっちにきてよ」




────────────────────




私の部屋に来て?と声を掛けられてノコノコとついて行き煩悩だらけの頭の中を見せるかのように好き勝手に動いた自分って、本当に情けないと思う。


「これで私の長年の夢が叶ったぁ」

「長年の夢って、大袈裟だな」


身支度を整えながらも彼女は何事もなかったかのように楽しそうに笑いながら話す。


「本当だもん。ずっとこの日のためにシュミレーションしてて良かった」

「そんな言い方すんなよ、まるで片思いみたいじゃん」

「....うふふ。そうだね」

「さっきはさあ、運命とか信じないって言ったけど、悪くねえかも。俺お前のこと覚えてないけど何か気許せるっていうか、彼女だからかなって思うとさ。記憶なんかなくったって関係ねえのかなって」

「そうだね、私はそれを証明して見せた、あなたは私のこと知らないはずなのに」

「ホント、おっかしい話だよな」


乱れた髪を鏡を見ながら綺麗に団子頭に結び直して、眼鏡をかけるとゆっくりと俺の方を見て微笑む。


「目閉じて」

「何」

「言わせないでよ、キスしたいの」

「しょうがねえなあ」


「ねえ こっちにきてよ」

「ん?もう来てるだろ」

「きてくれたの?私の方に」

「当たり前だろ、記憶もなくて初対面同然だっ てのに、それでもこうして傍にいるんだから」

「....ずっと、待ってた....」

「変なヤツ、ほら、早く」

「うん、大好き、ユウくん....」


俺は目を閉じて、柔らかな彼女の唇がゆっくりと触れていくのを実感する。そしてまた少しずつ離れていくのを感じて、彼女の表情を見ようとゆっくりとまぶたを動かした。


「うふふ。嬉しいな。あ、そういえば喉乾いたよね?ちょっと飲み物持ってくる。待ってて」

「あ....ああ、悪い」


彼女が部屋を出るのと同時に鳴り止まない心臓を落ち着かせ、気晴らしに部屋の中をさりげなく眺める。


ひとまず現在の時刻を確認しようと時計を探すが、見当たらない。この部屋に時計は置いていないのか。


仕方なく携帯を開いて画面を見ようとすると、同時に何かが落ちる音がした。


「ん?何だこれ....」


視線をそちらへ向かわせて心臓が大きくなったのが分かった。

それは分厚いメモ帳、床に落とされたことで中身が開いてしまい、そこには綺麗な文字がたっぷりと詰め込まれている。


冷や汗がたらり、と流れてくるのが分かって呼吸が上手く出来ない。


俺は──、なんてものを見てしまったんだ、


「ユウくん、飲み物持ってきたよ~!ってあれ、どうしたの?そんなに驚いた顔して」


前兆もなくいきなり部屋のドアを開けてトレイに2つのグラスを乗せた彼女は不思議そうな顔をする。


俺はというと、大した言葉も出ずに作り笑顔で彼女に向き直るのが精一杯だった。


ユウくん、変なの。って、笑う表情。


「お....おれ、そろそろ帰るよ」

「え?どうしたの急に」


(──学校の制服だって知り合いから借りるの本当に大変だった。去 年からずーっと後ろからあなたのこと見てたの。)


「病院とか、行かないとだし」


(──キミは私のこと見てくれなかったけど、いつも一緒に帰ってるんだもん。これって照れてるだけだよね?かわいいなあ。まだ付き合ったばっかりだもんね!)


「大丈夫だよ!」


(──だから私、思ったの。キミに触れたいって。今度こそキミの体温を感じたいって。そのためには嘘のひとつやふたつ、許してくれるよね)


「な、にが大丈夫なんだよ....」



(──名前 ユウくん

ぜったいわすれない)




「何だって良いじゃない....あれ、変なの、もしかして、



気付いちゃったのかな?」




少し高いその声が、部屋の中に響き渡って俺は携帯を持つ手を震わせたままその場から動けなくなっていた。


彼女はトレイを机の上に置くとドアの元へと戻り、かちゃり。とゆっくり部屋の鍵を閉めた。そしてベッドの上に腰掛けると凄く綺麗な笑顔で俺を見つめて、唇を動かす。嘘だ。これは何かの間違いだ。幸せな気分から一気に現実を、いやむしろ地獄を見せられている気分だ。嘘だ。こんなのありえない、現状を受け入れたくなくて、信じたくなくて、まぶたを閉じて視界を暗くした。





「ねえ ユウくん ────────こっちにきてよ。」












目を開けるとそこには


見慣れない女が、とても幸せそうな顔で俺のことをじいっと見ていた。





end.

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